【借りたかった力】
ソリの冒険者ギルドは街に見合った小規模のもので、小さな建物に必要最低限の人員、一応のギルド食堂があるような、ささやかな施設だった。
ここはあくまで通過する街で、冒険者たちは皆、より大きなレストロワか山越え先の次の街へと向かう。人手が少ないにも係わらず職員たちが切羽詰まっていないのも、この街の特色の一つなのかも知れなかった。
とはいえ、当然利用する冒険者がいないわけではない。西の港へいくのか、はたまた北へ山越えをするのか、この支部を利用する冒険者の中には、同じくレストロワ方面から来た者もいるようだった。
ルシアンとガルドのふたりを見て驚くこともせず、まるで見慣れているかのように……けれどルシアンへは軽く会釈のような仕草をして、そっと下腹を押さえて去っていく者もちらほらと。
「……トラウマじゃねぇか」
「そんなにかな……?」
どこかとぼけたような声に、ガルドが鼻を鳴らしてギルド正面の大扉を引いた。
ギルドホールへ踏み入れば、いつもの慣れ親しんだ雰囲気に包まれる。鉄と革の匂い、防具が軋む音、紙がめくられるような音と、人々の視線。
「……お、おお……無哭だ……」
「隣のが相方か……?」
「なんだっけ、"哭紋"だろ……?でもどっちも意外と話しやすいって噂だぜ」
「いやまさかだろ……」
囁くような声が耳に届くが、ルシアンはいつもの柔和な笑みを崩さずに歩を進める。ガルドは掲示板の前で立ち止まり、そこを眺めることにしたようだった。
どの街の冒険者ギルドも基本的に構造は同じで、掲示板の位置や受付カウンターの位置は全て統一されている。
地図は、入って左手前の資料棚に。地図や小さな図鑑などの中から入用の資料を選び、受付へ持っていき、支払いをする方式だ。
資料棚の中、小さく折りたたまれたそれを、ルシアンが一枚手に取る。
ホール奥にある受付カウンターへ向かえば、受付嬢が小さく頭を下げて、やや控えめにルシアンを見上げた。
「お、おはようございます……!地図のご購入、一部で銀貨一枚ですっ」
こく、と柔和な笑みのままに頷き、ルシアンがカウンターの上に銀貨を取り出す。
それを受け取る受付嬢の後ろで、書記官が一人、やや唖然とした顔で立ち上がった。
――ガリッ、と椅子の足が鳴る音で、それに気づいたルシアンもそちらを見る。
「あ、あっ、あの、ルシアンさんですよね、ガルドさんのパーティーのっ」
「ええ、はい」
少々目を丸くして、ルシアンもそれに答える。その柔和な笑みの後ろ、掲示板を眺めていた無哭の眼差しが、じり、と書記官のほうへ向いた。
"面倒ごとか"――とでもいうかのような鋭い視線に、ひゅっ、と小さく書記官の喉が鳴りかけたが、……この機を逃すすべもなかった。
「すみません、もしお時間があれば、い……意見をお伺いしたいことがありましてっ……!」
「……ええ、構いませんよ」
「っ!では、そちらっ、待合ソファで結構です!長い時間はいただきません!」
書記官に指し示されたのは、先ほどの資料棚のすぐそばにある待合席。よく、冒険者たちが待ち合わせをする場所でもあった。
ルシアンが踵を返せば、ガルドものそりとそちらへ向かう。
慌てて机上の資料をかき集めて胸に抱え、片方の手で眼鏡を押し上げながら、書記官があたふたと待合席のほうへ駆け寄っていく。その背には焦りと、わずかな期待。
受付嬢ら他の職員が、どこか神妙に目配せをしていた。
(まじか……まじかよ……!)
書記官は――心臓が飛び出んばかりだった。
誰か識者に知恵を借りたいことがあったのは間違いではないのだが、……こんな末端のギルド支部に、まさか"哭紋"が。
胸がはやる。
この、無紋こと"ルシアンさん"の噂は、実のところ冒険者ギルドの書記官の間ではやや有名だ。
冒険者であれば、依頼を受ける。依頼を受ければ付随するのが、報告書だ。これの精緻さが、実務資料として異様に"使いやすい"。
現場の状況、魔獣や現象の挙動、所感という名の現場での視点、後続依頼へつなげるための注意点、俯瞰から見た危険度の推移。
丁寧すぎるほどに報告者の私情から切り離されたそれは、その報告書が一枚あれば、依頼区分も危険度の再査定も支部間共有も滞りなくできる、……ギルド事務からすれば喉から手が出るほどに必要なもの。
支部間共有資料として回ってきたそれは何度も見た。そうして、何度も思った。困りごとをこの人に相談できればどんなにか、と――。
それが、まさかこうして、下っ端書記官の自分の、話を聞いてくれるとまで。
待合ソファの机に資料を置き、書記官が膝をついてぺこりと頭を下げる。
「えと、すみませ、貴重なお時間を……こ、こちら資料になります……!」
「まずおかけになっては?」
すらり、とルシアンの手が向かいのソファに伸び、書記官が一拍だけ息を詰めた。それはさながら、――え、無哭が無紋の後ろに立っているのに……?という硬直だったが……下っ端書記官の自分にちょっとこの"手"は断れない。
ぎこちなく一礼をして、尻の端だけでソファに座る。正面から銀の瞳に見つめられ、……けれど、せっかくの機会だ。すう、とひとつ深呼吸をして、気持ちを整えた。
「――っ、ありがとうございます。実はこのソリの街から西側の断崖地帯において、行方不明者が多発しておりまして」
机上の資料を書記官が差し出せば、ひとつ頷いたルシアンがそれを丁寧に受け取った。
行方不明になったとみられる人々の情報と、最後の街滞在記録。街を出た時刻や、それを見かけた目撃者からの証言などが、まばらに記された資料だった。
「行方が分からなくなっているのは、西の港方面へ向かった人々だけで……港での目撃証言もなく、……かといって事件性も見られず、遺体や遺留品も見つかっていません……」
「……ほう」
ぺらり、とルシアンが資料をめくるのに合わせ、書記官も該当の項目を指で示す。
年に何十人もいる、などといった大層なものではない。年に一人か二人、いなくなるかどうかといった頻度。だが、紙面の記録によれば、それがもう十年以上も続いていた。
続く書記官の声は、どこか低く、重い。
「遭難か、誘拐か、魔獣の被害か……ですがソリの近郊に現時点で驚異的な魔獣の情報はなく、何か別の要因があるのか……」
「なるほど……行方不明者に共通点は?」
「な、無いようです。不明者も家族や知り合いからの届け出があった分しかわかりませんが、身元も冒険者だったり旅人だったり、年齢も性別もてんでバラバラで」
銀の瞳が、行方不明者の名前をなぞった。
痕跡も残さずに立ち消えていった人々の、その一覧。行方不明者が出ない年もある。年に二人いなくなる年もある。――恐らく中には、届け出がなくリストに乗らない者もいるだろう。
机上にあった添付の地図を、ルシアンが広げる。
ソリの街から西側、元あった断層が崩れたのか、迷路のようなその断崖地帯。
近くに湿地帯を表す記号もある。察するに、もともと地層が脆い場所なのだろうか。
「過去に調査依頼を出したこともあるんですが、その断崖地帯は足場も脆く、入り組んでおり……いずれも収穫はなく、悩みの種なんです」
「…………」
「……な、何か、新しい視点があればと……」
「ふむ……」
――それきり、ルシアンは口元に手を当て、黙り込んでしまった。
――【借りたかった力】




