【夜明けの侵入者】
翌朝ガルドが目を覚ませば、――腕の中に、ルシアンの体温があった。
「ッ……!?」
思わず、ぎょっと肩を揺らす。昨晩は別々に寝たはずで、一緒に寝るかといったやりとりもなかった……はず。
(……なん、……寒かったのか……?)
わずかに頭を上げて部屋を見やれば、火を細くしていた薪ストーブはしんと静まり返っており、外は薄曇りで室内もひそかに冷えていた。
そうか、寒かったのか、と改めて上掛けをかけなおし、その身体を引き寄せる。
普通の一人用の寝台のため、どうしても密着し、囲い込む形にはなってしまうが。
(……ぬくい)
隙間ができないように毛布でくるめば、肩口に引き寄せた淡紫の髪がゆるりと落ちた。
ついで、背を向けていた身体がわずかに身をよじる。振りむいた顔は……ぽやり、まだ眠さの残る眼差しだった。
「……おはよう、ごめんね……寒かった」
「ん」
低く、短く、返事をする。不服でもなんでもない。……そうでもしなければ、口角が緩みそうだった。
寒さに負けて、ベッドに入ってくる雇用主。ううん、なるほど。事例が溜まっていく。
もしや冬の間はこうして入ってきてくるのでは、といった淡い期待すら生まれる。
鼻先で髪に触れても何も言われない。
胴に腕を回しても、肩を抱えても何も……というか腕の中、彼は再び微睡んでいる。
「…………」
なるほど……。……いやなるほどじゃねぇか……。
しかしながら――朝の支度のためにストーブをつけなければ、という実務と。
いやだが、いやしかし、今のこの体温を手放すのはあまりにも――という思考が、ガルドの中でせめぎ合う。
(出たくねぇ……)
しばらく低く唸ったのちに、ガルドは小さなため息をついた。
動きは最小限に、毛布に冷えた空気を入れぬよう、静かにベッドを出る。床に足を下ろせば、木の肌が足裏にひやりと触れた。
辺境の街の朝は、交易都市に比べるとほんの少し遅い。
夜明けそのものはとうに過ぎているはずなのに、窓の外にはまだ白く薄い靄が滞っていて、眼下、ギルド前の広場でさえ息を潜めたように眠っている。
窓枠に乾いた北風が当たれば、時折かすかに、かた、と鳴った。隙間風もないのに、外の冷え込みを感じさせるには十分な音だった。
屈み込んでストーブに火を入れる。完全に落ちたかと思われていた火は、燻ったような薪の奥にわずかな熱を残していた。これなら部屋もすぐに暖まるだろう。
しばしそのまま、火が薪を舐め始めるのを眺める。
元来寒さにも暑さにも強いガルドは、この程度の冷えでどうこうということはない。南の方の湿度の高い暑さは苦手だが、北方大陸は夏も乾いた風が吹く土地だった。
膨れたベッドに視線をやる。どうやら寒さが苦手らしい雇用主殿は、この程度の冷えですでに起きてこられない。あいつも南の夏は苦手そうだな、などと思いながら、ガルドがゆるりと立ち上がった。
「……もう起きるのかい……?」
まったりとくぐもって聞こえた声に、ガルドがぴくりと肩を揺らして覗き込めば――すっぽりと毛布に埋まったルシアンが、半ば寝ぼけたような顔で薄く目を開いていた。
ガルドもストーブを一瞥だけして、肩をまわすようにひとつ背を伸ばす。
「ん、……起きる」
「んん……」
低く答えて歩み寄れば、ルシアンの毛布がわずかに持ち上がった。起きる仕草ではなく、呼び込むようなそれは、……、……もう、足が勝手に動く。多分見えない磁場がある。恐らくきっと絶対にある。
(こりゃあ……欲しいのは、俺か……"暖"か……?)
内心の葛藤を誤魔化すように息をつき、寝台を鳴らして、ガルドは再び毛布の中へ身を滑り込ませた。
まるごと抱き込んでやれば、ふぅ、と息をつくような気配。鼻先を柔らかな髪に埋めれば、宿の寝具の匂いがしみ込んでいる。
「……あったけぇか」
「……暖かいね……」
そうか、と、その身体に腕を回す。眠気を纏ったままの呼吸が、毛布の中でぬるく揺れる。
ストーブが、ぱちん、と音を立てれば、それが再び訪れた静寂の合図のようだった。
始まりの遅い初冬の朝。
ならばもう少し、このままでも許されるだろう、と……ガルドはしばし、そのぬくもりを抱いていた。
宿の食堂で朝食をとったあとは、ひとまずソリの街を散策してみることにした。
鍛冶屋や雑貨屋はそれぞれ一軒ずつ。街の住居は、木造の低い建物が多い。
この辺りはどうやら冬季には雪深くなる地域らしく、建物は押しなべて、屋根の傾斜がやや急だった。
素朴で穏やかな気風の街で、食事処や屋台もちらほらと。
旅人や商人の出入りも多く、街の住民にとっても外部の人間は珍しくもない。
ただ、ガルドの風体を見てほんのわずかに身を引き、隣のルシアンを見てそっと肩の力を抜く。
そしてそれ以上、干渉してこないような街であった。
街外れの木工所から、薪を割る音がする。
家々の煙突からは煙が上がり、広場では落ち葉を集めた焚き火の周りで、子どもたちが遊んでいる。
風に乗ってほのかに木と煤の匂いがして、冷えた空気と高い笑い声が陽を押し上げていくようだった。
「……影流れの谷の、蝶だったか」
静かに広場を眺めていたルシアンに、隣からそんな声が降ってきた。
見上げれば、同じように子どもたちを眺めたまま、ガルドがじっとそこにいる。
季節外れの蝶が舞う、この街の近郊にある谷。
レストロワにある宿、カルネティアの従業員が言うには、冬季はそこで蜃気楼が起こり、越冬のために蝶が渡ってくる、というものだった。
「うん。あとでギルドに地図を買いに行こうか」
「ああ」
やり取りは短く、それだけ。
けれどそのまま、互いに何を言うでもなく、しばらく子どもたちの笑い声に耳を澄ませる。風に乗ってきたのか、広場の隅の方でかさりと落ち葉が舞った。
ガルドの肩にかかる外套がわずかに揺れる。
普段は威圧的に映るその姿も、今はただ、穏やかな空気に溶け込んでいた。
ルシアンがちらりと横を見やれば、それに気づいたガルドが、なんだと問いかけるように眉を上げる。ただそれだけの静かな時間だ。
寒さが和らぎ、太陽がようやく街を照らしはじめる。
その光に、ささやかな街の息吹と、煙と笑い声と、淡い霧のような冬の気配が、静かに交ざっていた。
――【夜明けの侵入者】




