【絶対の護衛】
次の街"ソリ"は、レストロワから約四日ほど歩いたところにあった。
冬の街道、葉が落ちて見通しの良くなった林縁。ちらほらと小型の魔獣も見かけたが、ガルドがいては脅威にすらならない。
ルシアンが街道沿いのあちこちを観察してもまだ余裕があり、天候が崩れることもなく、道行は特に問題なく順調に進んでいった。
ソリにたどり着いたのは夜で、街の入り口には衛兵の姿もなく、入ってすぐの場所にこじんまりとした冒険者ギルドが建っているだけ。
このギルドが街の中で一番大きな建物らしく、あとは数軒の宿屋と各所の食事処、商店。街の端に民家が立ち並ぶ……そんな街だった。
「ひとまず宿と夕食だね。夕飯はどうしようか」
「……露店あんだろ。なんか買ってくる」
街の通りを見渡したガルドが、顎でその先を示した。一応の露店通りらしき灯りが見え、酒場へ繰り出していく影もちらほら。
宿はギルドのすぐそばにあり、ふたりはそこでいったん別行動となった。
こちらを一瞥してから通りのほうへ流れていく大きな背中を見送って、ルシアンも宿屋の扉をくぐる。
扉の上部にあるベルが、控えめにからんとなった。
宿の主人は老夫婦で、どちらも物静かで穏やかな応対。
ルシアンの丁寧な物腰を快く思ったらしく、夫婦ともに終始にこやかであった。
部屋の予約と鍵の受け取りを終えて宿の外へ出れば、まぁ、当然護衛はまだ戻っていない。
ギルド――へは、明日にでも一緒に行くとして……かといって宿の中に戻っても仕方がない。そのまま、ギルド前の小さな広場で待つこととする。
通行人を酒場へ呼び込む声がする。住民が外套を首まであげ、寒そうにしながら家路を急ぐ。
満腹で酒に酔った者もいれば、交易帰りの商人らしきもいる。
レストロワの喧騒には遠く及ばないが、この街の夜もなかなかに賑わっていた。
ささやかなその喧騒に耳を傾けながら、ガルドが去っていった通りのほうに視線を投げていれば、背後からルシアンの肩を叩く手があった。
振り返れば、知らない男。
「や、こんなところにいたら風邪ひくよ」
――はて、と思う。知り合いだったか、どこかですれ違ったか。
親しく会話をするような顔見知りではないのだけが確かだが……にこ、と柔和な笑みを構える。
「……どなたかとお間違えでしょうか」
「いや?でも、温かい酒でもどうかと思って」
その男、口調は真面目で紳士的だったが、優しげに見える視線が、ルシアンの口元や首、腰、足へと落ちていった。
なるほど、と、ルシアンの笑みがやや薄まる。これは、知り合いではない。――少々厄介だ。
「ね、いい店知ってんだ。一緒に行こう」
「生憎、連れがおりますので……」
にこやかな笑みを返されても、男は引かない。それどころか、……一歩肩を寄せてくる始末。
「そう……いや、でも別に……少しの時間ならさ、その連れにもわかんないだろ」
そう言って、男の手がほんのわずかに動いた。
肩でも抱こうとしたのか、背中に触れようとしたのか――どちらにせよ、ルシアンが軽やかに半歩身を引くことで、その手のひらが宙を撫でる。
その動きに、男の顔から愛想笑いがすっと引いた。
「……あれ。意外と固ぇな」
低く落ちたそれは、まるで"気安く誘ったのに"とでも言いたげな声音。
そのまま何かを言いかけた男に――、
「おい」
――ルシアンの背後から、鋭く重い声が割って入った。
肩越しに、ルシアンもゆるりと顔を向ける。通りの方から戻ってきたばかりの、護衛。
手には露店で仕入れてきた包みを提げ、赤い瞳が静かに細められている。
「……なんだ、知り合いか」
それだけを言った声に、ぞくりと男の空気が冷えた。見下ろされる眼差しに、……手心はない。本能的に、男が一歩後ずさる。
「あ、ああ……、いや……失礼……」
「…………」
「…………」
――ひたりと、銀と赤の瞳に見つめられ、男は息が詰まる思いだった。ふたりを知っているわけではない。
けれど、この大柄な戦士を従えているかのような、その柔和な笑みが、……先ほどまで自分が見ていたそれとはまるきり違って見えた。どんな言い訳を言ったのかも曖昧に、そそくさと通りを離れていくその男。
ガルドはその背中を目で追うこともせず、無言でルシアンの隣へ立ち並ぶ。
そして無造作に、片手をルシアンの背に添えた。
「……寒ぃだろ。入るぞ」
冷えた肩ごと柔らかく包むような動作だったが、手のひらには明確な縄張りが滲んでいた。
それを振り払われないことを確認すると、ふっと小さく息を吐いて、口を閉ざしたままの雇用主を宿の扉へと導いた。
ルシアンが連れてきた巨躯の戦士に、老夫婦は一度だけ目を丸くしたものの、こりゃベッドから足がはみ出しそうだね、と小さく笑うだけだった。
「廊下に薪があるからね、部屋のストーブを焚くなら寝るときは気をつけなね」
背中に声をかけてくる妻の方に、ガルドも小さく顎を引いて返す。
柔和に笑みを湛えたままのルシアンは黙って歩みを進め、ガルドもそれを追従するだけだった。
こつり、こつり、静かな足音が、階段を上る。
「…………」
「…………」
――四回、だ。
先ほどから張り付いた柔和な笑みが、まだルシアンの顔から剥がれない。
セレスで、セレフィーネで、アウルグレイで。そしてこのソリの街で。……ガルドと別行動をとるときだけ、どうにもああいった手合いに声をかけられる。
最近はまったくなかったから、ルシアン自身、本当に油断――というか、そもそも意識していなかった。
鍵を開け、部屋へと入る。小さな薪ストーブと、寝台が二つ。テーブルと椅子。
部屋はどこか落ち着くが、心は落ち着かない。
外套を脱ぎながら、それを椅子の背もたれに引っ掛ける。肩掛けの革鞄を下ろし、旅装を解いていく。
「……ガルド、」
「……ん」
「私は、……隙だらけなんだろうか」
「…………」
屈んで薪ストーブに火を点けている護衛に、……背を向けたまま、ふと、そんな疑問が漏れてしまった。
公共の場において、隙を見せているつもりは、微塵もない。女性的に振る舞っているつもりも、もちろんない。
己の中性的な見た目も、まぁ、ある程度は理解しているが……それを利用したことなど、今まで一度もない。
つまりは、ほんの少し、男としてのプライドが、といったところ。
「女性……に見えるわけではないよね?」
「……ああ」
「……目的が分からない。誘えば来ると思われているのだろうか」
ぶつ、と呟いた声には、……わずかにふてくされたような色がのっていた。
火が灯ったのを確認したガルドが、ゆっくりと立ち上がる。しばし無言のまま首元の留め具を外せば、重たい外套がごそりとその肩から滑り落ちた。
「……、"読めねぇ"バカが多いだけだ」
返ってきたのは、短く、けれど確かに強い声。
そのまま、ルシアンの外套を回収して、部屋の隅にあるスタンドに無造作に掛ける。そうして振り返り、視線だけで淡紫を捉える。顔が上がってこないルシアンに、詰めて行くでもない距離。
かつて"一人歩きは禁止だ"と言ったのは……あれはアウルグレイでのことだったか。それを言ったのは確かに自分だったのに、あの巨大な交易都市を抜けて、この小さな街へ来て、……短時間なら平気かと、油断をしたのも自分だ。
だが、だからといって、「目を離した俺が悪い」とか、「もう一人にしない」とか、――きっと彼にとって、これはそういうことではないのだ。
ガルドが深く、息をつく。
「……お前は隙だらけじゃねぇ。ただ……俺みてぇに誰彼睨みつけねぇ」
淡々と続く言葉は、どれも静かで、怒気のないものだった。ただしその奥底には、噛み殺されたような苛立ちが潜んでいる。
「……口調、目線、全部同じだ。丁寧に、笑って、線引いて。……大抵の奴らは、それがわかる」
そこまで言い切ってから、ガルドは視線を落とした。その"全部同じ"の外側に自分がいることは、十分に理解している。
だからこそ、それに引き寄せられる連中がひどく滑稽に見える。けれど、口端の苦味は消えない。
「けど、それがわかんねぇアホもいる。……そういう奴らは、自分もデカく見てるしな」
最後の一言だけは、明確に嘲るような響きを持っていた。
誰に向けた怒りなのかは、言わずとも明らかだった。そしてようやく、ルシアンのそばへ歩を寄せる。
覗き込みはしない。けれど、傍らに立ち、……一瞬だけ言葉を選びかけたが、――そのまま静かに、声を落とす。
「いい、……お前は、お前のままで」
「…………」
それきり、部屋の空気が静まった。
窓の外、寒風が小さく木々を揺らしていた。ふ、と……ルシアンの肩が落ちる。
当然のことながら、旅に出る前、領地や王都にいたころはあんな、……"そういう"目で見られることなどなかった。少なくとも表立っては。
それが一人で外をうろつくだけで、こうもあからさまか、という思いと。
しかしそれを一瞥のままに撃退できる彼は、やはり特別なのか、という思いが湧き出る。
顔を上げ、こちらをじっと見下ろす赤い視線を見つめ、やや間をおいてから頷きを返す。
いつの間にか、柔和の仮面はとれていた。
いつでも守らせることと、いつでも守ってくれることは、似て非なるもので、――後者は容易には得難いもので。
彼は明確に、"いつでも守ってくれる存在"だ。
「……じゃあ、何かあったら君の所に避難するね」
「そこは何かある前に避難しろよ……」
低く呆れたような声色には、わずかに安堵が混じった。やっと、緩く笑う声も混じる。
ゆらゆらと揺れるストーブの火と、ルシアンの心が凪いでいくのは、ほぼ同時で。
買ってきた包みをテーブルに広げながら、しばらくの沈黙。
紙が広げられる音と、肉かパンの香ばしい匂い。何やら柑橘の実がころりと。
「……次からは怖い護衛がいるよって断ろうかな」
「……ああいう奴らにゃ効かねぇよ」
とりとめのない雑談のように言いながら、互いに木の椅子を引く。座る動作の合間に、ガルドがちらりとだけルシアンを見やった。
焚き火の赤が、ストーブの灯と混じって彼の頬に映る。もう仮面の微笑はなかったが、その表情は確かに、ほっとしたものだった。
こうして軽口に出てくるのであれば、恐らくもう"済んだこと"とされたのではあろう、けれども。
「……やっぱ禁止だな、一人歩き」
「ええ……?」
不意に落とされたその一言は、叱責でも命令でもなく、ただ静かで、それでいて切実な願いだった。
ガルドはそれ以上言葉を足さず、パンの包みを差し出した。
その手の温度と同じだけ、灯された夜が、ふたりを包んでいた。
――【絶対の護衛】




