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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
無紋の講習会

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【旅立ちは、夜がほどけるその前に】


ふたりが身支度を整え、歩みを揃えて一階へ降りていけば、カルネティアのロビーには数名の従業員がおり、何を言うでもなく静かに頭を垂れていた。


「いってらっしゃいませ」


――また来てほしい、も、お気をつけて、も、飲み込まれる。それを言うのはおこがましく、また、明確な"別れ"を認めるだけだった。

ルシアンが微笑のままに小さく会釈をして、ガルドと連れ立って宿を出る。まるで、ちょっと散歩にでも行くような足取りで。




人の往来がまだ少ない旅宿通りは、霜も低く冷え切っており、朝の喧騒はまだ遠い。

そこから中央広場へ向かえば、ラスタールのいる顔役官邸があるが――そちらへは向かわず、逆方向、冒険者ギルドのある西部広場のほうへ。


西部旅宿広場は朝早いこともあり、冒険者の数もほとんどない。

互いに顔を見合わせてギルドへ足を踏み入れれば、カウンターには夜間勤務の職員が二人のみ。

もうじき日勤の職員が出勤してくるかという時間で、眠気の滲む表情をしていたが……いずれも、ルシアンとガルドを見て、小さく息を呑んだ。


――長旅用の旅装だ。


それだけが、全てを語る。



誰一人として声を発さぬままに、ふたりが依頼掲示板を覗く。

――討伐、護衛、採取、調査、検証。今日も溢れんばかりに、様々な依頼が並んでいる。本日分の依頼書の更新はまだのようで、けれど待つ義理もなければ、興味も薄い。

ソリの街方面の依頼は、見当たらなかった。


こく、とひとつだけルシアンが頷いて踵を返しつつ、指先でガルドの外套をひらりと揺らす。

行こうか――の合図である。


それを受けたガルドも何も言わず、黙ってその背を追う。


カタ、と立ち上がったカウンターの職員二名が、黙したまま、その後ろ姿に一礼をした。




ギルドの大扉を抜けて薄曇りの空の下へと歩み出せば、冷たい朝の気配が再び肌を撫でた。

ルシアンの歩幅は一定で、緩やかで――それに合わせるように、ガルドの足取りも、無言で寄り添っている。


通りの店先は、木戸も看板もまだ眠ったままだ。夜番を終えた灯りが細く残る場所もあれば、煙突から最初の煙が頼りなく立ちのぼる家もある。人々が起き始めている気配はある。けれど街全体は、まだ微睡みの中にあって。


西部旅宿広場から西門までの道のりは、食べ歩きで何度か歩いたか。けれどこんなにも静かな朝は初めてで、一つだけ取り残された収穫祭の麦飾りが、軒先で北風に揺られていた。



西の街門へとたどり着けば、門の衛兵が一度だけ顔を上げて、けれどふたりを見止めて軽く会釈をしただけ。


夜間は格子が下ろされる各街門。人一人が通れるくらいの扉を開かれ、ふたりがそこをくぐり抜けた。


「お気をつけて」



背にかかる声に、ガルドだけがわずかに顎を引いた。




街道を歩くごとに、レストロワが遠ざかる。街の夜がほどける前に。あの喧騒が耳に届く前に。

ひとつだけ背を撫でるような冷たい風が吹き、それがほんの一瞬ルシアンを、振り返ろうか、という気分にさせた。


(……ふふ)


前を向いたまま、銀の瞳が緩く細まる。

通り過ぎるだけの場所だったはずで、美味しいものを食べ歩ければと思っていただけで。


けれど気づけば人々との交流があり、同業の冒険者たちとの係わりもあり。


自分を無紋にした。

自分たちを、哭紋たらしめた。


――たったそれだけのことで、たったそれだけの街だ。振り返るほどではない。そう頷く。


「楽しい街だったね」

「……ああ」


レストロワについて交わした言葉はこれが最後だったが、きっとまた訪れる、と互いに思った。

きっと――変わらずふたりで訪れるのだ。


「――影流れの谷に、もう蝶は舞っているだろうか」


次の街――ソリの方向を見据えたままに、ルシアンがそう笑った。

穏やかな、けれども確かな"日常"の笑顔だった。


「……んん。もう、飛んでんじゃねぇか」


応じるガルドの声は低く、だが迷いはない。

ただ、背に街を、前に道を。その両方に、同じ温度の思いを抱いているような響きだった。


風が吹く。まだ朝靄(あさもや)の残る街道に、外套の裾がふわりと揺れる。

霜の匂いに満ちた空気の中、踏みしめる土の感触が、次の季節の訪れを予感させる。


一歩、また一歩。

歩幅を揃えて進むふたりの背後で、レストロワの影がゆっくりと朝靄の中に滲んでいく。


旅の続きが始まる。蝶の舞う谷が呼んでいる。


"哭紋"と呼ばれたふたりは、けれど何も背負わぬ顔で、ただ静かに――隣にあった。






――【旅立ちは、夜がほどけるその前に】

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