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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
無紋の講習会

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【交易都市の夜】


レストロワの商業通り。

また明日から始まる旅の身支度をしながら、ふたりはレストロワでの最後の夜を過ごしていた。


「影流れの谷か」

「うん」


そう聞き返してきたガルドに、ルシアンも一つ頷く。それは宿カルネティアの従業員から聞いた、とある噂だった。


いわく、レストロワからさらに西南、ソリという小さな街の近郊に、"影流れの谷"と呼ばれる場所があるらしい。

もうじき冬が来る北方大陸。高地と平地、昼と夜での寒暖の差が激しいこの時期、谷の上部と谷底で温度差が大きくなり、霧と蜃気楼が起こる。

それによって谷間に温かい空気が滞り、普段その地に棲息しない蝶が渡り、谷に溜まる。そんな場所だという話だった。


「行ったことはあるかい?」

「いや……だがあの辺は魔獣も少ねぇ。ゆっくり蝶見るにはいいんじゃねぇか」


ぶっきらぼうに、けれど確かに並び立つその言葉は、お前と同じものを見る、という肯定の言葉だ。

ふ、とルシアンの笑みが深くなる。当然のように返される肯定は、いつものやり取りで、慣れたもので、得難いものでもあった。


どこかまだ収穫祭の余韻が残る街中。

露店や店が立ち並ぶ大通り、商隊の荷車も、幌(ほろ)をかけた輸送隊の馬車も、横合いを絶え間なく通り過ぎていく。

輸送ギルドの鈍重な荷曳き魔獣が鼻を鳴らし、牽引士がその足運びに注意を払っている。


それらを目の端で捉えて自然とこちらへ肩先を寄せてくる護衛は、行き交う車輪を避けているというよりは、盾になってくれているようで。

眉根を寄せた横顔に目をやれば、赤い瞳がちらりとルシアンを向いて片眉を上げた。


「……なんだ」

「ううん。夕飯、どうしようか。街で食べるか、宿にするか」

「……宿でいいんじゃねぇか。露店でなんか買ってって食うか」


ガルドがそう応じながら、小さく息を吐いた。視線はまた前を向く。

レストロワの石畳も、行き交う人々の足音も、いつでも聞こえていた商人たちの声も――全てが明日には過ぎ去る風景だ。


遠ざかる商業通りには、まだ灯りと笑い声が残っていたが――ふたりの足音は、それらとは別の静けさを選んでいた。




半月以上も街にいれば、好みの屋台も味も見つかる。

ルシアンは近郊の渓流で獲れた川魚を使ったスープを買い、ガルドは鹿肉の赤身を炭で炙ったものを買う。あとはそれぞれに菓子やら果物やらの気に入ったものを手に、宿カルネティアへの道へ。


日は暮れる。風は冷たい。

秋の収穫祭は昨日終わったばかり。道の端にはまだ蔓を編んだものがぶらさがっているし、片付いていない旗も道の上にかかっている。

干された麦穂は藁の切れ端を残して徐々に回収されていき、狩猟祭で割れた石畳だってまだそのままで、なのにもう、冬を強く感じた。


中央広場を越えて西の旅宿通りへ進めば、すれ違う冒険者たちが、ふたりを見止めてわずかに会釈していく。その中には、先ほどの講習会で見た顔もちらほらと。

その身のこなしから、どうやら、"核"はもう消えているようだった。


パーティーなのか、冒険者の集団の中にいた魔術師が、ルシアンを見てパッと顔を上げる。気づいたルシアンがそちらを向けば、若手の魔術師は、ぺこりと一礼を向けてきた。

そのまま、仲間たちの波に乗って通りの向こうへと消えていく。


「……知り合いか」

「うん?さっきの食堂にいたじゃないか」

「……ああ」


もちろん、ガルドもそれは覚えている。ルシアンに当てられて、"核が揺れたらどうなるか"について答えていたあの若い魔術師だ。

あの食堂で、遠く離れた場所から眺めていたからこそわかる。講習の最中、壁際に立ち並んでいた魔術師たちは、総じて何度も頷きや唸りを返していた。

あの講習の内容は、同じ魔術師からしても相当にありがたい内容だったのだろう。


「……、他のギルドでもやれって言われたらどうすんだ」

「それは……ちょっと面倒だね?」


目の端で見上げてきたルシアンに、ガルドも小さく肩をすくめた。カルネティアの入り口へ近づけば、いつもの衛兵が丁寧に会釈をして玄関を開く。こちらもにこりといつもの笑みを向け、宿に踏み入る淡い外套。


後に続きながら、ふ、とガルドの口角が緩む。いつでも決まったような柔和さでにこにこしている男に、まさかあそこまで場を支配されてしまうとは、……冒険者共、予想もできなかっただろうなという緩み。


「……んで、俺はいつ"半殺し"にされんだ」


どことなく笑みを含んだガルドの声に、受付から部屋の鍵を受け取りながら、ルシアンが肩越しに柔らかな笑みを向けてくる。

けれどたったそれだけで、今日も"許されている"と確信できる。少し前の自分なら、きっとどこか疑いを抱いていたのだろうけれど。



「宿の支払いをしてから行くよ。先に上がってて」


鍵と食事を手渡され、ひとつ顎を引いたガルドが一足先に階段へ。

その背を見送ったルシアンも、そのまま受付へと向き直った。従業員が台帳を取り出し、手際よく記入をしている。


二人一部屋の宿泊費を、五日ごとにまとめて支払う。この宿では、従業員への心づけも二割ほど。

決して安くはない格式の部屋。計二十連泊に及んだレストロワでの滞在で、このカルネティアにおいてふたりはいわゆる上客で。


カウンターの上に置かれた革袋の中、ヂャリ、と静かな音が鳴る。


「確認させていただきます」


丁寧な動きでそれを受け取った従業員が、革袋の中を確認して、一瞬だけ動きを止めた。

心づけが、わずかに多い。……つまりは、これで最後だということ。


だからといって、何を言うでもないのもまた、この宿屋の"格"であった。布張りのトレイに落ち着いた所作で中身を並べ、繰り返しの確認をおこなったのちに、静かに、けれど確かに、過不足のない一礼をする。


「……確かに、お受け取りいたしました。明日のご朝食は」

「少し早めの時間に、部屋に持ってきていただけますか」

「承知いたしました。ごゆっくり、お休みください」


従業員が答えれば、ぺこ、と淡紫の髪が揺れた。


偉ぶるでもなく、格を振りかざすでもない。

素行もよく、顔役との面識もあり、どうやら街の抑止力ともなっていた、ほんの一時の、主。


階段を上がっていく背中が、ロビーを照らす室内灯に淡く揺れる。

それを見送る視線は、カウンターからも、廊下の陰からも、厨房の入り口からも。


「……また来ていただけるかしら」

「……明日の朝飯は気合入れるか」


そんなささやかなやりとりにすら、わずかな敬愛と、喪失感があった。






食事を終え、風呂を済ませ、ソファに腰かけていたルシアンの前に、ガルドが酒を置く。

翼の生えた爬虫類らしきが描かれた、酒の瓶。竜の湖で買っていたうちの一本だ。


「寝酒だ」

「ふふ、うん」


グラスに注ぎ、小さく杯を合わせる。キン、とかすかな音が鳴った。

互いに酒を一口。穏やかな息もひとつ。


液面を、銀の瞳が緩く見下ろす。


明日の出立のための支度は、先ほど終わった。レストロワから南下していった方角にも港街があるようだったが、そこは南側の末路でまだ船に乗る予定はない。いつかの機会にでも行こう。


レストロワから北側へ進めば、ロワビア台地や鉱山地帯を越えてこの北方大陸の北部へ出られるようだったが、西側のソリの街経由でも北部への山越えルートがあるそうだ。

急ぐ旅路ではない。寄り道をしても、何を言ってくる者もない。


「…………」


ルシアンが窓を眺めているのを、ガルドも静かに視界に収める。

銀の瞳は、このレストロワで過ごした空を眺めているようであった。



――竜の湖を、ふたりで見た。


レストロワの街中を、食べ歩いた。


夜を駆ける黒馬は、疾く、美しかった。


いつの間にか誕生日を迎えていた。


妙な蒐集家に絡まれたが、珍品もお目にかかれた。



黙って杯を傾けていたガルドが、向かいのソファから、隣へ移ってくる。

同じように窓へ視線を向け、静かにそこにいるだけ。



恋人でも構わないと、彼はそう言った。

全てを知っても共にあるならと、そう返した。


兄に返す手紙に護衛の存在を書いた。

書かずとも、きっと知っているとは思うが。


教えてくれと言われて、素性を伝えた。

長ったらしい本名を、黙って受け取ってくれた。

それでもこうして、隣にある。


蜘蛛型の魔獣は参った。

彼はいやにイキイキとしていたが……不服ながら、あんなに楽しそうなのは初めて見た。


収穫祭は街中が秋の実りを祝っていた。

狩猟祭で後進を見つめる赤い眼差しは、どこか柔らかかった。


この街でも、ずっと隣に彼がいた。



小さく息をつき、ルシアンがコツ、と酒杯をテーブルに置く。視線はそのまま手元に。右側の体温が、心地よかった。


「……寝るか」


カン、とこちらも杯を置き、ガルドが低く呟く。


「うん、そうだね。明日も早いし」

「もう十日もすりゃ雪も降りそうだな」

「そうなのかい?」


そんな言葉を交わしながら、どちらともなく立ち上がり、部屋の灯りを落としながらベッドへ向かう。大きな手に自然と引き寄せられ、ルシアンもそのままガルドのベッドへ。

……こういったところも、遠慮がなくなってきた。が、悪くない、とも思った。


シーツの冷たさを感じさせないほどには、室温が整えられている。

だが、それ以上に――横たわり、背後から抱え込まれる腕の温度が、背へ、腕へ、ぬくもりを伝えていた。


ごつ、とつむじのあたりに顎を乗せられ、いた、と小さく笑う。鼻先だけでかすかに笑い返すような気配があって、ガルドの呼吸はそのままゆっくりと落ち着いていった。

ルシアンも、静かに目を閉じる。


明日の朝には、出立する。

この街を離れて、また次の道をゆく。


けれど――いまはまだ、この夜に身を預けるだけだ。


灯りが消えた部屋には、互いの呼吸だけが、静かに満ちていた。






――【交易都市の夜】

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