【無紋の講習会】
壇上から、またもルシアンが指先だけを伸ばす。整ったそれは手を招いているようで、矛先は例の弓士――、この講習会を開くきっかけとなった「腰装備えろい」発言をした彼だった。
呼ぶ声もない。睨みもない。ただ指先がちょい、と招いただけで、……もう今にも魂の抜けそうな顔で、弓士がゆらりと立ち上がる。
わずかに震えながら足を前に進めれば、壇上へとあがるように指示をする手のひら。……を、受け、きしりと台を鳴らして、弓士がルシアンの隣に立った。
「……腰装備が、なんでしたっけ?」
「い、いえ!いえ、あの、す、すみません……!」
責め上げるでもない口調が、かえって恐ろしかった。
ルシアンが柔らかく彼の肩に手を置き、くるりと聴衆のほうに向ける。
「下腹部骨盤内部に魔力核、腰部仙骨周辺に魔力溜まり――」
まるで検分でも行うかのような低い呟きが落ち、ルシアンの両手が弓士の彼の下腹部と腰部に触れる。
ビクッと明らかに、弓士の身体が跳ねあがる。恥や、動揺や、恐怖が浮かぶ前の……意識外の身体反射だった。
壁際の魔術師たちが、そわ、と自分の腹を押さえる。
「魔力溜まりで調圧された魔力が魔力核へと流れ、魔術として出力しうる術式へと変換されていく」
「うわっ!っわ、あ!」
淡々と説明を続けながらも、ルシアンの指先はまるで地図でも指し示すかのように、弓士の身体を無遠慮に触れていく。激しく狼狽する"被検者"の表情に、参加者たちもか弱く身を震わせた。
「よって魔術師は、干渉部位の保護を目的とした腰装備を常時着用している。保護は最低限、腰部、骨盤、下腹部を広範囲に覆う構造が基本――君、聞いていますか?」
「はっ、はいぃ」
「これの主目的は"魔力核、魔力溜まりを無防備にさせない"、"揺れ、接触から保護する"こと。そして君は今、何も着用していない」
「ご、ごめんなさい!!すみませんでした……っ!!」
逃げることもできない対象に表情を変えるでもなく、銀の瞳はやはり微笑んでいた。一通りの説明を終え、す、と手を引きかけるその直前に、ルシアンが少々強めに弓士の腰を掴む。
「うぐっ……!」
がく、と彼の膝が崩れ、ひゃ、と聴衆から短い悲鳴が上がった。とはいえ倒れるまではいかず、うずくまる程度。
力加減を知り尽くしているからこその"手加減"だったが、見ていた者たちは総じて、自分の腹をそっと守った。
「――このようなことから、魔術師の腰への不用意な干渉は、妨害、攻撃、命のやり取りと見なされるか、……位置も際どいため、場合によっては性的挑発や侮辱と受け取られる恐れもあります」
しん、と空気が冷える。外の通りの物音すら聞こえない。
ルシアンの声が、一段階だけ温度を下げた。
「魔力核や溜めが揺れ・圧迫・衝撃を受けると、魔力出力・制御に重大な支障をきたす。特に戦闘中や緊急時の干渉により行動不能に陥った場合、周囲の脅威度によっては命取りになる恐れがあるため、腰・下腹部は全魔術師にとって重大なリスク部位とされる」
――ぽかん、とする参加者もいる中、魔術師たちは総じて首を縦に振っていた。
先刻までのような笑いは、もうない。
「今言った内容が理解できない方は、魔術師を仲間にするべきではありません」
くい、と淡紫の頭が傾げられる。柔和ではあるがしかし、笑みはなく、どこか冷たい眼差しだった。
「戦闘において前に出ろと言われれば前に立ちます。囮になれと言われればなりましょう。ですがそれは、あなた方前衛諸君に、矢面に立った魔術師を守り通すだけの実力があればこそ」
ルシアンの言葉を受け、ふん、と魔術師の女が鼻を鳴らした。
ギルド所属の治療師も、眉をひそめて頷く。
「……長々と申し上げましたが、ここまでの説明でご理解いただけない方のために、一番手っ取り早いご説明をいたしましょう。これは我々魔術師の間ではもはや常識の事柄ですが、"魔術師の腰に触れようとする者は――"」
「"――半殺し"だ」
打ち合わせてもいないのに、その場の魔術師たちの口が揃った。
冗談のようなその言葉が、冗談では済まない気配を帯びている。
「……ふふ、物騒で申し訳ありませんね」
にこり、と最後に微笑む銀の瞳ですら、もう"微笑み"に見えない。そう思わせるだけのものを、この短時間の講習によって覚えさせられてしまった。
ルシアンが傍らのギルド書記官のほうをちらりと向けば、頷きがひとつ。講習として、もう十分すぎるほどに効果はあったようだ。
ふわりと壇上から降りながら、軽やかに言葉が続く。
「……講習は以上、といったところでしょうか。それでも魔術師の仲間が必要ならば、適材適所、陣形を再度熟考していただくか……」
言葉はそこで切られる。端然と外套を揺らして、食堂を横断していく淡い影。
たどり着いた先は、外に面する入り口の脇、眉を寄せて立っていた赤眼の護衛。……その隣に並び立ち、聴衆を振り返る。もうひとつだけ、にこり。
「彼のように"核ごと魔術師を守れる"存在になってください」
――息を呑む音すら、聞こえなかった。
無哭は自然と無紋を懐に収めるように姿勢を変えていたし、無紋は完全にそれに背を向けて預けていた。
たったそれだけが、この場の全てに思えた。
「本日はご参加いただきありがとうございました。……ああ、皆さんの"魔力核"、まだ消えてませんから。お気をつけくださいね」
トドメの一言に絶望に染まる参加者たちと、やや口角の上がる魔術師たち。
それを背に、哭紋は悠然と、その場を後にした。
沈黙が落ちる。
椅子の軋みも、ざわめきも、咳払いすらない。静まり返った食堂の中、残された冒険者たちは、誰かがしゃくりを上げる音でやっと呼吸を再開したかのようだった。
「……お、おれ、めちゃめちゃ反省……」
「う、ううち、うちの治療師……今まで殴ってこなかったの、奇跡じゃ……」
「魔術師って打たれ弱いなとか思ってたんだよな……」
声はひそやか。けれど完全な反省会。皆の両手は未だに腹を守っている。
回答を求められたあの若手の魔術師たちが、互いに目を見合わせ、やはりと頷く。
書記官が壇上へ上がり、愕然と取り残されていた弓士の肩に手を添えていた。
「……いい経験になりましたか……」
「は……はんごろし……」
卵にでもなりそうなほどに項垂れる弓士に、周囲から同情とも安堵ともつかない視線が集まる。"自分じゃなくてよかった"と、"自分だったかもしれない"の恐怖。
――けれど。
「それにしても……あの無紋ってやつ、怖ぇけど……なんつうか……」
「……ど、ドキドキした……」
「あれの隣にいて平然としてる無哭……さすがだな……」
そんな呟きも伝播していくのは、それが冒険者連中の気風なのかもしれない。
誰かがそれに頷き、誰かが黙って視線を落とす。だが今さら何を語っても、あの壇上で起きた"あの一幕"には敵わない。圧倒された。それだけが、皆の共通認識だった。
「……"腰に触れたら半殺し"……」
「あんたたち……本当に覚えたの?」
「……覚えた……」
こくり……と素直に頷いた参加者たちに、壁際の魔術師たちが小さく肩をすくめて笑っていた。
――【無紋の講習会】




