【皆さんにもあの核を】
「突然の講習にも係わらず、お集まりいただきありがとうございます」
ふわり、柔らかな声が落ちる。普段はざわめきに満ちるレストロワのギルド食堂で、この時ばかりは誰一人として言葉を発せなかった。
整いきった全てに、この場を支配されていくような……妙な感覚。
「早速ですが皆さんは、魔術師の魔力干渉部位について、どれほどのご理解があるでしょうか」
言いながらも、銀の視線が一度だけ手元の書類に行き、す、と丁寧な仕草で、それを職員のもとへ戻す。
慌てて職員が受け取れば、ルシアンからは「どうも」と小さく囁くような声があった。
見物を許された新米の職員が、壁際の若手の魔術師の横に静かに並ぶ。……互いに視線を合わせて小さく顎を引き、そわりと壇上の"無紋"へ目を向けた。
「私たち魔術師が何故――あれほどまでに腰部を守るのか。また、そこに触れるということがどういうことなのか」
聴衆に向き直ったルシアンの穏やかな声色とは裏腹に、壁際では、ベテランも含む魔術師たちがどこか冷ややかな表情をしている。
度々、"足手まとい"やら"面倒な弱点持ち"、"軟弱"という扱いを受けてきた。
だが相手はあの無紋だ。お前らまとめて叱られろ。といった具合の、なんとも冷めた表情だった。
「……本日は、魔術師の身体構造における"魔力制御機構"と、それを守る装備について、できるだけ簡潔にお話しします」
言葉の端に小さく、わずかな微笑が宿る。
「そして、この講習の目的は一つ――、魔術師と共に戦う皆さんにこそ、是非とも確かな知識を持っていただきたい、という手前勝手な願いです」
そんな言い回しに小さく息を飲んだような音は、参加者席からも、そして何故か壁際からも聞こえた気がした。ふ、とその銀の瞳が細くなり、わずかに首を傾ぐようにして、魔術師たちにも笑みを向ける。
「とはいえ、ご参加いただいている皆さんは冒険者。耳で聞く座学より、実際に体験した方が覚えもいいでしょう」
軽やかに語られたその内容に、前列の冒険者たちが身じろぎをやめる。
ぎっ、と椅子がわずかに軋む音もする。
それが誰の動きによるものか、確認する者はいない。ただ……空気が、ゆっくりと張りつめていく。
――た、体験……とは……?
耳から入った言葉が脳に届いた途端、会場に、ざわっ……と波のような動揺が走った。
微笑んだまま、壇上から手を掲げるルシアンの動きは、ひどく優雅で見る者を惹きつける。ただそうして惹きつけられたからこそ、それは誰にも止められなかった。
ず、ず……と、椅子に座る者たちの下腹部に、ゆっくりと重い感覚が落ちる。
……いや、実際に重量を得たわけではない。そう思わせるような、存在だ、何かの――否、"核"、の。
「ッ!?」
「なん――!?」
「うお、お……!」
ぞくりと腹部を押さえる者。半端に腕をあげたまま硬直する者。服をまくり上げ、腹の異常を確認する者。
壁際の魔術師たちも、身を乗り出すベテランや、隣同士で腕を引く若手たちなど、反応は様々。
非魔術師の体内に、疑似的な魔力核を再現するような魔術など――。……が、この端然とした魔術師ならば、それもできてしまいそうだ、と妙な納得もあった。
「お、おいどうなってやがんだ!」
「どっ、どうし、どうすりゃ、なんだ……!?」
「ご安心ください、半刻ほどで元に戻るでしょう」
騒然とする食堂の中、もはやこうあってしまっては、ルシアンの穏やかな声だけが頼りであった。騒ぎは間もなく収束し、互いに不安そうに目配せをしつつ、参加者一同おずおずと再び椅子に腰かける。
腹に手をかけている者が多かったのは、どうしてか"守らなければ"という感情が湧いてしまったためだった。
「実際に腹部をご覧になった方も多かったですね。ですがこの通り、肌表面に露出しているわけではありません。腹部や腰部の奥まった部分にあり、目に見える弱点ではない……」
ふ、と柔和な微笑みが深くなる。瞳は、どこか冴えていた。
「……だから、軽んじられるのです。"平気そうに見える"から、"怒られなかったから"――"触っても大丈夫だと思った"と」
「…………」
言葉を無くした空気に、かつり、とルシアンが一歩、壇上から降りて来た。参加者たちが、びくりと肩を震わす。
淡灰の外套はやはり整っていて、裾の端まで彼の意識の一部のようで。その銀色の瞳が、椅子と椅子の合間を縫うように、――ゆるりと一人ずつ"観察"をしながら、歩を進めていった。
「ですが、はたしてどうでしょう。……何かに強くぶつければ。強く揺らされれば……。たったそれだけで魔力の巡りが乱れ、安定した魔術の発動は困難となり、思考は遮断され、場合によっては行動不能に陥る」
声は淡々としていた。脅すわけでも、煽るわけでもない、事実としてそこに在るだけの重み。
そんな事態に陥った時――目の前に魔獣などの危険や脅威があれば。
……その思考に行きつくのは、冒険者であれば当然の帰結で。
「――さあ、せっかくですから魔術師の皆さんも、疑似的な核を近くでご覧になっては。我々の"弱点"に大変酷似した構造にしておりますよ」
ルシアンが壁際の魔術師たちを振り返れば、はた、と動きを止めた彼らの頬に、……じわりと笑みが浮かんだ。柔和に微笑む銀の瞳には、少々の悪戯心が滲んでいる。
「ほう、いいのか……?」
「初めて見る魔術だから気になってたのよねぇ……」
「お、おい……!」
じりじりと歩み寄ってくる魔術師たちに、参加者一同、がつりと椅子を鳴らす。息を呑む音、仲間の魔術師の視線に怯える者、渋面で肩をすくめるガルド。
仲間の斥候の肩に手をやり、治療師の女が腰の辺りに低く視線を落とした。睨んでなどいない、けれども……眼差しは魔力の塊を"視て"いた。
「あらぁ……ほんと、そっくりよ皆」
「ああ、まるで本物の魔術師みてぇだなぁ」
「お、おいやめ……なんかやめろ……!」
「なんだお前、腹なんか守って。いつもみたいにデカい態度とれよ」
「筋肉自慢なのにねぇ?ね、今日はおなか出さないの?」
「み、見んなッ!」
「いっつも『大げさだ』って言われてたんスよねぇ」
「はは、大げさかどうか、一発引っぱたいてやるか」
「ちょ、ちょっと待て、悪かった、もう言わねぇ!」
私怨の滲む観察に、弱々しく返される抗議。一部の冒険者が小声で騒ぎ出し、後列ではわずかに椅子を引く音が重なった。だが――魔術師たちが実に愉快そうに目を細めたことで、空気の逃げ場はもうない。
「……ちょっと触ってみようかしら」
「おお、スキンシップならいいよなぁ?なあ?」
「うちらが"見るな触るな"って言っても関係なしだもんね?」
あちらで、こちらで、声が飛ぶたびに無言で顔を伏せる冒険者たち。目を逸らし、俯くさまは、気まずさと後悔と"誰か助けてくれ"だ。
そんな渦中においても、ルシアンの視線は静かに場を見渡している。ゆっくりと前列を横切り、緩やかな足取りでまた壇上へ。それだけで、魔術師たちも再び口を閉じた。
「……君」
「っはい」
柔らかな笑みに見つめられた若手の魔術師が、ルシアンへ向き直ってわずかに顎を引く。十八か十九そこらの、成人したての頃合いに見えた。
「魔力核および魔力溜まりへの外的負荷による影響には、どのようなものがありますか」
「はい、せん……、先述にあった通り、循環の乱れや術式発動の遅延の他、呼吸の乱れから行動不能まで、さっ、様々な反応があげられます」
「よろしい。では、君」
銀の瞳が壁際に向き、"惨状"を眺めていた新米の――朝に資料を整えていたあの職員へ向いた。
「はい」
「こういった"反応"には、どのような注意点があげられますか」
「こ、これらには個人差があり、外的負荷による影響は必ずしも即座に表面化しません、……ま、また、個人の耐性への差は、安全性の保証としてはいけません」
「ええ、そうですね」
さらさらと壁際へとまた肩を並べ始めた魔術師たちが、それぞれに小さく頷いている。回答を求められた若手二人は、……息を震わせたようにして胸を撫でおろしていた。
――【皆さんにもあの核を】




