【壇上の微笑】
レストロワの冒険者ギルドは、大規模ギルドに分類される。
通常であればギルドホールに一つのみ設置されている依頼掲示板ですら、正面大扉を入ってすぐの壁に二つ並んで備えられており、護衛や街道随伴、倉庫群の夜間警備など、交易都市らしい依頼が数多く並んでいる。
街もギルドも大きければ当然出入りする冒険者も多く、街付きの冒険者や流動していく冒険者で、この支部のギルドホールは常に賑わっていた。
が、収穫祭を終えた翌日、この朝ばかりは、賑わい――いや、ざわめきの方向性が違っていた。
掲示板に群がる冒険者たちの視線の先にあるのは、依頼書ではなくギルドから発行された告知書。
――《魔力核基礎講習》
【概要】
魔術師の魔力干渉部位について、基礎的な講習を実施します。
冒険者各位、特に魔術師を仲間に持つ、もしくは仲間に据える予定である新米・中堅者は積極的にご参加ください。
【対象】
魔術師以外の冒険者各位(特に新米・中堅の方)
【講師】
ルシアン氏
【日時】
本日 夕刻四つ鐘
【会場】
ギルド併設食堂(講習中は、食堂は利用不可となります)
※講習時の不用意な発言・失礼な視線は控えてください。
※体調に不安がある方は参加をお控えください。
魔術師の、魔力干渉部位についての講習。冒険者――とりわけ、魔術師を仲間に持つ冒険者であれば、基本的とされているはずの知識。
だがしかし、周囲に魔術師がいない者であれば、そこまで深く知り得ない……知る必要もないとされている知識でもある。
「なんだこれ……ルシアンって誰だ……?」
「あれよ、無紋。無哭の相棒の」
「魔力核ってあれでしょ、なんか腰の防具で守ってるやつ」
「魔術師が自分で守ってんだから、俺たちが知る必要ないんじゃねぇか……?」
昨夜、弓士がやらかした一件を知らない者たちが、そんなことを囁き合いながらかわるがわる告知書を覗いていく。
どこか遠慮がちな視線は、興味がないわけではない。魔術師の核。目に見えない弱点。しかも講師は無紋。むしろ興味しかないが、だからといって講習……。
「四つ鐘からか……」
互いに様子を見あうような視線が、低く、掲示板の前で交わされていく。
ギルドの受付カウンターでも、すでにいくつかの動きが始まっていた。何事か思案げに、俯いて考え事をしていたのは新米の職員だ。
彼も耳元にしずくのピアスが揺れており、手元の講習資料を静かに整えていた。
隣にいた受付嬢が、それを横合いから覗き込む。
「……どうしたの、資料に不備でもあった?」
「いえ……なんか……ルシアンさんって」
職員が何事かを答えようとした辺りで、倉庫警備の依頼書を手にした冒険者が受付カウンターへとやってくる。
受付嬢もすぐさまそちらの対応に向き直り、話題はそこで断ち切れた。
ギルド食堂も、今はまだ朝飯をとる冒険者らで賑わってはいたが、噂される話題はみな同じ。収穫祭の後片付けに向かう冒険者らも、どこか落ち着かない様子で正面の大扉を出ていった。
「無紋が講師……ってことは、無哭も来るんかね」
「どっちにしろ喋る無紋はちょっと見てぇな」
「動機が不純で弾かれるわよアンタ」
「この"体調に不安のあるやつは"ってなんだ?」
「無紋ってそんなに怖いのかい?」
「だはは、それか無哭に睨まれたくない奴は来んなってことか」
「うちのが『絶対いけ』って」
「まあ……とりあえず、どうする今日の依頼」
「……んん……夕方には戻って来れるやつあるか?」
交易都市、ざわめきの満ちる冒険者ギルド。
《魔力核基礎講習》――無害なようでいてどことなく不穏なその響きに、興味と不安と、ほんの少しの期待が混ざる朝だった。
日が暮れていくにつれ、ギルドホールに併設の食堂には人が集まり始めていた。
丸卓は隅の一角に寄せられ、食堂の中央が大きく開けられており、今はそこに木の椅子だけが整然と並べられている。
奥側には木の台が置かれて床が一段高くなっており、現在はギルドの職員がルシアンに渡すための書類を支度していた。
昨夜の宴に参加していた者、仲間に魔術師を持つ者、または興味本位で講習に参加する者。
食堂の壁際には魔術師たちも並び、こちらはさながら、身内が無粋を働かないかを監視しにきているような様相であった。
「俺、初めて無紋見るんだよ。どんな奴なんだ?」
「どんなって……まぁ、男だけど女みたいな……」
「ちょっと!無哭に聞かれたら睨まれるわよ」
「魔術師の地位向上~とか言い出したらどうしような」
「え、無紋ってそんな思想持ってんの?こえ~」
「……なんか壁の魔術師ども睨んでんな……やめとこうぜ」
「うちのパーティーの魔術師に参加しろって言われちゃったのよ」
「俺もだぜ。今さら魔力核のことなんてわかってるよなぁ」
「結局触んなきゃいいんだろ?」
まだどこかへらへらとしている参加者を横目に、神妙な面持ちの昨夜の宴の当事者たちが、順次椅子に腰かけていく。
昨夜の無紋の"微笑"を見ていないから、そんな軽口が叩けるのだ。ギルド職員の表情を見ろ、主任書記官ですら来ているぞ、わからんのか。……そんな渋い表情だ。
「俺……あとで無哭に回収されたりしない……?」
椅子に掛け、消えそうな声で泣き言を零したのは、昨晩"やらかした"弓士である。
無哭にも、無紋にも、睨まれたわけでも脅されたわけでも、まして殴られたわけでもない。が、ぷるぷると震える肩が止まらない。
隣にいたベテランの冒険者が、静かにその肩を叩く。
「――お前のことは忘れねぇ……」
「道連れにしてやる……」
うひーと半笑いで逃げるような一言だけを残し、ベテランは自らも前列の椅子へと腰を下ろした。その様は講習の軽視でもなければ、この状況を楽しんでいるわけでもない。自分より追い詰められている存在がいて、ほんのちょっと気が楽になっているだけかもしれなかった。
そうしてざわめくギルド食堂で、壁の時計が夕刻を示したのと――、
――外から直接つながる食堂の扉が音もなく開いたのは、ほぼ同時であった。
ひた、と空気が張る。
誰が告げたわけでもないのに、椅子に座っていた者たちが次々に姿勢を整え、さっきまで壁際で囁いていた声も消える。まるで――気配そのものが、場を律したようだった。
銀糸の刺繍が施された外套をまとい、落ち着いた足取りで歩を進める淡紫の男。
その後ろに続く巨躯の戦士は、顔色一つ変えることなく、ただただ静かだ。
「……お、おお、来た……」
「なんか……手汗やば」
ぽそぽそと小声で交わされる呟きすら、どこか緊張を孕んでいる。入り口近くの壁にガルドが背を預け、ルシアンはそのまま食堂内を横断していく。
壇上の職員に静かな足音が歩み寄れば、顔を上げた職員が小さく会釈を返した。……そのまま一言二言確認を交わすと、銀の眼差しだけがちら、と参加者たちを視界の端に捉える。
――ぎくり、と人波が揺れるのを確かめることもせず、その眼差しはまた職員へ向き直った。
静かな動作で書類を受け取る手。
ぱら、と軽く中身を確認し、資料の中身にかすかに眉を上げるような仕草。
職員が壇上から降り、入れ替わるようにルシアンがその場へ。
柔和に微笑まれたその口元が、緩く弧を描いている。どこか呆けたようにそれを見つめる参加者に、壁際の魔術師から咳払いが落ちた。
弓士は背筋を凍らせたまま、じり、と視線を伏せており、ガルドは眉根を寄せているだけで、組んだ腕に張り詰めた空気を受け止めていた。
「……なんか……」
「……わ、笑ってる……」
「笑っ……てるよな……?」
なのに、どうしてどこか冷たく見えるのか。食堂の空気のせいか、魔術師たちの眼差しのせいか。
ごくり、と唾を飲む音がひとつ。先ほどまでの軽口が、聞かれていないとしても……後悔した。
椅子に腰掛けたまま固まっていた参加者たちの背筋が、少しずつ伸びていく。
「――では、ルシアンさん」
職員の目礼にルシアンも小さく頷きを返して、……あらためてその瞳が、食堂内をぐるりと見渡し、そして――にこりと微笑んだ。
昨晩の、あの柔和な、けれど全身を凍らせた"微笑"と同じ顔で。
――【壇上の微笑】




