【楽しい夜に】
宴の場は、思いのほか盛り上がった。
無哭は噂ほど恐ろしい人物ではなく……無紋も、想像以上に話しやすい人間であった。
そしてどうやら、"無紋が留まれば無哭も付随するらしい"ことを、皆が肌で感じ取っていく。
それはなによりも、話の合間合間にちらりと隣に流れる赤い眼差しが。
魔術師の様子を窺う眼差しが、……"飽きていないか"、"帰りたがっていないか"、"まだいたいのか"――どう見ても、そういった視線だったからだ。
「……あたしもあんなふうに守ってくれる仲間が欲しいわ……」
ぽつりとそれを漏らしたのは、ぼんやりとふたりを眺めていた魔術師の冒険者だった。
横合いから顔を覗かせたギルドの職員も、その呟きに小さく頷く。こちらは、狩猟祭の実況に拡声魔法を施していた職員だ。
「わかりますよ……ガルドさんはなんかこう……核ごと守ってくれそうっスよね……」
「うおおわかるぜ……」
酒杯を手にしたベテラン組の魔術師も、唸りながらそこへ参加してくる。すっかりと頬を赤くしており、目は半分閉じかけていた。
「やっぱ俺たち魔術師はよォ、前衛と違ってありすぎんだよハンデがよ……」
「そうっスよ……いや魔法は好きなんスけどね?でもこの……腰が!」
「そう……そうよ!魔術と引き換えに弱点ついてんのよ!!」
わっ!と突如、まるで焚き火が燃え盛ったかのように、その一角が熱気を帯びた。
なんだなんだと顔を向けるのは非魔術師たちで、けれども騒ぎに気付いた魔術師たちが、一人また一人と混じっていく。
「おおそうだ!そうだぞ!毎度面倒な装備つけてんだこちとらぁ!!」
「前線に出なくて悪かったわね!!」
「そうよ!出たところで守ってくれんならいくらでも出てやるわよ!」
ガルドの渋面が深まり、ルシアンが小さく肩を震わせて笑う。
職員も、ベテランも、若手の魔術師さえも一塊になって掲げられる酒に、なんだ急に、と斥候や重戦士が怯えたように自分を抱く。
「魔術学院でも、腰装備の蒸れ対策までは教えてくれなかったもんなぁ」
「野営とかまじ拷問!夏は蒸れるわきついわ肌は荒れるわ!」
「でも核が揺れたらもう終わりなんだよなァ……」
「職員さんたちも常に腰装備つけてんの?」
「いやぁ、その時々だなぁ。普段は抑えてるから普通の制服だけど」
「そうなんすよ、一応カルミナルつけてますけどね……でも結局弱点には変わりないですよ……」
耳で流していた会話にぴく、とガルドの片眉が振れて、……赤い瞳がその魔術師たちのほうを向いた。
周囲の魔術師たちが興味深げに覗く中心には、ギルドの書記官らしき職員たち。耳元に、しずく型のピアスが見える。
「職員さんも大変ねぇ……」
「まぁ、ギルド業務で常時魔法使うわけじゃねぇだろうしな」
「学院の教師もそれつけてた奴いたなぁ」
「……なぁ」
「うん?」
――ひそ、と傍らにガルドの声が落ちて、杯を持ったままルシアンが軽く頬を寄せた。
一拍押し黙ったガルドが、けれど目線と顎を以てして、その職員たちのほうを示す。"ありゃなんだ"、である。
ガルドの視線の先、職員の耳に揺れるピアスを見て、ルシアンも小さく"ああ"といった顔をした。
「"カルミナル"だね。魔力核を鎮静化させて、外部の衝撃から魔術師の身体を守るための魔道具だよ。装備中は魔力回路が抑制されて、魔法が使えなくなるけど」
「ほぉ……」
――ということは、実戦には向かない文官用や戦闘職ではない魔術師用のやつか……と、ガルドが杯を傾ける。ちら、とついでのように隣の耳元を見るが、淡紫の髪の奥にピアス用の穴はなく、使ったことなどなさそうだった。
「……色んなもんがあるな」
「ふふ、そうだね。他にもあるよ」
「んん」
……たとえば?とガルドがわずかに肩を傾けたあたりで、わあわあと騒いでいた魔術師たちと、それに引きずられたその仲間たちが、酒の勢いに任せてガルドの横になだれてきた。
「なぁ無哭よォ!どうしてあんたみたいな戦士が無紋を守れるんだ!?俺、毎回怒られてんだよウチのに!」
「アンタら前衛が脳筋しかいないからよ!『てめぇで庇え』って言うなら前線なんか任せんじゃないわよ!」
「だぁってこう、攻撃魔法でバシャーン!って一発じゃねぇかよォ……!」
半泣き、赤ら顔、音量のおかしい声。酒に酔った人々に、ガルドが顔をしかめて鬱陶しそうな顔をひとつ。ルシアンはやはり、隣で静かに笑って見ている。
「魔術師たちってさぁ!あぶねぇからって庇おうとするとひっぱたいてくるしさぁ!」
「それはアンタらが腰抱えようとするからでしょ!!」
「ンだって戦闘中にそこまで気ィまわせるわけないじゃんかよぉ!!」
「俺らがなんべんも"腰触んな"っつってもわかんねぇんだよ前衛!」
「だったら前線に出てくんじゃないよ!」
「んじゃあ前線でぶっ倒れてるやつにどうやって回復使うんだよ!!」
――下手をすれば、昼間の狩猟祭よりも激しい勢い。その言葉の節々に滲む日頃のうっ憤。真横でぎゃんぎゃんと騒がれ、ガルドが渋面を深くする。……だがそこに、ルシアンが柔らかく声を差し挟んだ。
「――魔術師の弱点について、一般的に、仲間内で詳細な共有はなさらないので?」
「えっ……」
ぱたり、と会話の静まり返った。
……皆がルシアンを見る。鎮まった熱に、ガルドが無言で目を閉じている。
魔術師……特に冒険者として活動している者たちが、むい、と口元を尖らせた。
「だっ、だって言っても聞かないんすよ……」
「うちらが『腰は弱いんだ』って言うと、こう……ふざけて触ってこようとするし」
「ほう」
ちら、と柔和に微笑んだままの銀の瞳が、視線を逸らす冒険者諸君へと向く。
無哭は黙って酒を飲んでいる。無紋には睨まれているわけではない。なのに、全員がわずかに肩をそわつかせた。魔術師連中が、無紋に言いやがった――!……さながら、そんな空気か。
一方魔術師たちも、どこか、妙な既視感すら抱いていた。ああ、そうだ、まるで学院時代、先生に友達の意地悪をチクっていた時のような……。
その中で、ごく若い新米の魔術師が、はた、とルシアンを――、
「魔術師を仲間にしておきながら、その構造的弱点をきちんと把握していらっしゃらない、と?」
「えっあの……、」
「違っ、ち、魔術師たちがそれは、教えてこねぇから……」
「アンタらが真面目に聞かないんじゃない!」
ルシアン、前衛たち、魔術師たちという……奇妙な構図。いや、もうすでに魔術師対非魔術師……。
じり、とガルドの横に逃げて来た歴の長い斧使いが、肩を寄せてぼそりと呟く。
「……なあ無哭。核の扱い、どう覚えたんだ?」
それは呟きではあったものの、酒場の静けさの中では皆の耳に届いてしまう。
一同の視線が集まると同時に、赤い瞳もじわりと斧使いへ向くが、咎めるような眼差しではない。だが、何言ってんだ、という怪訝さは見て取れた。
「……扱ってねぇ、好き勝手させてるだけだ」
「…………」
低く返されたその言葉に、数名がどよめき、呻くように頭を抱える。
(それを守ってるというのでは……?)
(つまりどういうことだ……!?)
(なるほど……できるっ……か!?)
うんうんと小難しそうに唸り始めた非魔術師たちに、ガルドは再び小さく舌打ちし、面倒そうに顔を背ける。
香りの抜ける果実酒の泡が、ルシアンの手元でかすかに弾けていた。
次第に酒場には、ぼそぼそと囁き合うような、冒険者たちの塊が出来上がっていく。
それはパーティーの仲間同士であったり、席が隣だった者同士であったり、様々だ。
「……え、魔術師の腰……腹?ってガチでダメなやつっスか……?」
「いやウチは……なんか昔っからもう『絶対触んな』って言われてっけどよォ」
「それおたくの魔術師からの信頼ゼロのやつじゃん」
「腰装備ってただの防具じゃないのか……?」
「うちの治療師、……表面裂けただけのやつ即捨ててたわよ」
「知らないんですか……?腰装備って魔術回路組み込まれてて、それ切れたら着けてる意味なくて……」
「カルミ……なに?だかつけてても、ドンと来たらやべぇのか?」
「いやそれは、核揺れどうこうの前に普通に痛いわよ……」
「ってか俺さ、俺一回だけ魔術師の腰装備見たことあるけど、あれ色気ヤバいっていうか、もはやえろいっすよね?男も女もつけてんの?」
びたっ――と、場の空気が止まった。
正確には、魔術師たちが凍った。
腰装備が、えろい。……ものの見事に、禁句を踏み抜いた。
ベテラン組が、静かに目を逸らす。ガルドもこれには、やや顎を引く。冷ややかな魔術師たちの視線が、その発言をした弓士へ流れる。
「……なるほど?」
凍り付く空気を割ったのは、ルシアンの柔和な一言であった。
空気を割ったはずなのに、穏やかな声色なのに、部屋の温度がひやりと下がった気がした。
弓士が、そろりとルシアンを振り返る。……銀の瞳は、穏やかに、静かに、眼差しを細めて、何か納得したように首を傾いでいる。
「いや……っぉ、おれ……」
「…………」
――にこり。
「魔術師の構造的弱点に関する認知度が、思っていた以上に低く、根付いていないことがよくわかりました」
外の通りを、酒に酔った住民が笑いながら行き過ぎていく音がした。
ごくりと誰かが唾を呑み、かたりと秋の夜風が窓枠を震わせた音すらも、よく聞こえた。
「……簡単な講習会を、開きましょうか」
「っ……はい、手配します」
静かに落ちたルシアンの言葉に書記官が素早く立ち上がり、続くようにギルドの職員も次々と腰を上げる。
「場所はこの食堂を空けます」
「酔い醒めちゃったわ……」
「掲示資料と参考資料をまとめます」
「現在緊急案件もないので、明日の午後には開催可能です」
ぱたぱたと、慌ただしく駆けていく職員たち。
さめざめと、酒を呷る魔術師一同。
ベテラン組も、誰一人その弓士を庇わないし、咎めない。なぜなら下手をすれば、自分がその発言をしていたかもしれないから。
やらかした弓士の冒険者だけが、肩を小さくして椅子にかけていたが。
「……ああ、もちろん魔術師以外の皆さん各位、ご参加いただいてよろしいですからね?」
ルシアンの一言に、その場の全員が、わずかに肩をびくつかせるのだった。
――【楽しい夜に】




