【哭紋捕獲です】
夜は、まだ祝祭の真っただ中にあった。
街の機能は緩く眠り、広場や酒場、宿の窓だけが灯りとぬくもりを増していく。この夜だけは、普段働いている場所でさえ、祭りの空気に身を預けていた。
冒険者ギルドのギルドホールから続く併設の酒場。どこかきょとんとした銀の瞳が逸らされる前に、開けろ開けろと若手たちが声を張り、見る見るうちにガルドの横に席がもう一つ作られていく。
作られてはいくが、……こちらへ誘い込む声は――先ほど"無哭"のようにはいかない。
無理に引っ張ってくるわけにもいかない。乾杯をねだっていいのかすらもわからない。
けれどやはりこのチャンスを逃すわけにもいかず、またも慌てた様子の給仕が、エールを運んでくる。……一応、もう一方の手に果実酒も持って。
ガルドはすっかりと諦めたように酒杯を呷っており、もう制止の声もない。
「む、無紋さんも――ぜひッッ!!」
切実なほどに切実な若手の声が、ざわつく酒場に響いた。
柔和に首を傾げるルシアンが、席を見て、ガルドを見て、……かつりと酒場のほうへ足を踏み入れてくる。
「お、おお……」という感嘆ともどよめきともとれないざわめきが、じわっと場に滲んだ。
――"どうしてこんなことに?"、というルシアンの視線に、椅子の背にもたれたガルドがやや肩をすくめる。
ゆらりと外套を払ってその隣に腰かけるだけで、空気が変わりそうな気配すらしてくる。
おずおずといった具合でギルドの職員が両手に酒を持ち、ルシアンの傍らに侍った。
「失礼します!エールと果実酒っ……どちらがよろしいですか……!」
「おや、ありがとうございます。では果実酒を」
杯を受け取る際に指先が触れたようで、職員が息を詰めて下がっていった。
静かに、けれど酒場の熱量がぐっと上がっていく。声にならない高揚が、確かに場を支配していた。
ルシアンが柔和な微笑のままに、ゆるりと杯を掲げれば。
ハッ――と息を呑んだ一同が、導かれるように次々と杯を掲げる。……隣のガルドだけが、小さく鼻を鳴らしている。
「では、楽しい収穫祭の夜に」
「たっ、たのしい夜に……!!」
「乾杯!!」
「うおおお……!!」
ふわりと香る果実酒を、ルシアンが静かな所作で口に運ぶ。……それだけでまた、抑えられていたはずの声が、弾けるように上がった。
小島のようにあちこちにある丸卓は、すでに決まった席などないかのようだった。
肩を並べる者たちは所属も肩書も曖昧で、普段なら受付越しに丁寧なやり取りをする職員が、杯を片手に冒険者の隣で笑っている。
いつもは査定カウンターに寄るだけのベテランが、今日は楽しげに若手の肩を叩いている。
狩猟祭の結果を記した札や小さな賞品は、とっくに卓の端に寄せられて、誰かの荷物と一緒にごちゃ置きにされていた。
ギルドの厨房からは、ひっきりなしに宴の皿が出てくる。焼いた肉の切れ端、弾けんばかりに膨れた腸詰め、木の実を混ぜた厚切りのパン、酒、酒、酒。
鉄と、革と、油と酒の匂いが重なっている。誰かが零した酒の跡が床に光り、外から吹き込んで踏まれた麦わらや飾り紐の切れ端が、椅子や卓の脚に絡んでいた。
騒がしいことこの上ない酒場に、ルシアンの隣で、ガルドが小さく舌打ちをする。
「……うるせぇ……」
「ふふ、いいじゃないか」
ルシアンの楽しげな声に、思わず視線を向けた者も多かった。
無哭と、無紋。――普段どんな会話をしているのか、仲がいいのか、仕事と割り切った関係なのか、ここにいるほとんどがそれを知らない。
けれど、今の応酬は、……なんかだいぶ仲がよさそうである……。
だが、だからといって、そこに割り込める者などちょっとこの場にはいない。次の瞬間には目を逸らすか、慌てて杯を掲げて取り繕う者ばかり。
眉根を寄せたガルドが目を細めて、その様子を見やる。
場のざわめきなどどうでもいい。隣にいる男が、何を飲み、どんな顔をしているか――それだけ知れればいい。
口元に酒杯を近づけながら、ぼそりとひとつぼやく。
「……お前が来ると、全部持ってかれるな」
「うん?」
「おめえが全部持ってくっつった」
喧騒の中で耳を寄せて来たルシアンに、ガルドも頭を寄せて返す。賑やかしい酒場のただ中で、ふたりの会話は皆に届くわけでもない。
けれどそのその自然なやりとりに、ぎょっとした者も、ぱっと視線を逸らした者もいた。
笑みを零して何事もなかったようにルシアンが果実酒を含めば、小さく動揺が広がったり、「あ、相棒はあんなもんだろ」とどこかで宥めるような声が上がったり。
素知らぬ顔で、ガルドもまた酒を一口。
頬は緩んでいなかったが、目じりだけがわずかに柔らかかった。
――【哭紋捕獲です】




