【哭紋が、見ている】
朝の八つ鐘が鳴れば、乾いた空気を割るような軽やかな花火の音が、レストロワの空に響き渡る。
大通りに、いつもの屋台の喧騒はない。今は、建物の二階の窓から、そして家々の屋上から通りを見下ろす人々が、歓声にも似た声を上げていた。
倉庫街の扉は全て閉じられた。通りに面する一階の店舗も、今日は軒並み閉鎖。天幕はたたまれ、看板は伏せられ、露店の軒先は縄で塞がれる。
扉の前には木柵が据えられ、中通りや路地裏へ折れる細い道や交差路、そして陰になるような場所には衛兵やギルドの冒険者が立ち、鋭く目を光らせている。
落ち着いた視線で、どしりと構えて、槍を持ち、大盾を構え、腕を組んで通りの向こう、街門の方向へと静かに視線をやる。彼らは祭りを眺めるためではなく、街を守るためにいた。
普段の街並みが、競技場になる。……住民たちにとっては、年に一度の特別な日だった。
北の職人工房通り、南の運輸通り。
東の商業通り、そして西の旅宿通り。
街を十字に貫く四つの大通りが、普段なら荷馬車と人波で埋まる石畳が、今日ばかりは長い、長い狩場だ。
各通りが交差する中央広場には、狩猟祭に参加する若手の冒険者たちが、すでに各々の武器を手に、各大通りを見据えている。
魔獣の討伐数で、最優秀者が決まり、街からの賞金がある。
それだけではない。最終的な成績の如何に係わらず、各所に配置されたギルド職員によって記録も取られ、冒険者ランクの昇級査定にも多少の影響がある。
この狩猟祭で力を発揮できれば、ちょっと嬉しい金と地位と名誉が……そんな夢のある催し物だが、中央広場で武器を構えた冒険者たちは、別の意味でも奮い立っていた。
「旅宿通りだよな……」
「ああ、あのくっそたけぇ宿だろ」
「……哭紋……見てんのかな……」
討伐数を競い合う自分たちは、いわばこの狩猟祭においてはライバル同士である。ライバル同士ではあるが、ちら、と……どこか互いに様子を窺うような視線が交差する。
狩猟祭の参加条件は、Cランク以下。
無哭はランクが高すぎて、参加できない。無紋は、無哭が許すとは思えない。
ということは、恐らく"見ている"。
あの突き刺すような眼光が、見ている。
あの柔らかな微笑みが、見ている。
『さぁ!大変お待たせいたしました!!レストロワ秋の収穫祭――本日二日目を迎え、冒険者ギルド主催狩猟祭を、まもなく開始いたします!!』
参加者たちの肌をビリビリと揺らすように、拡声魔法を使ったギルド職員の声が街中に響いた。
その時を待ち望んでいたかのように、レストロワの空に、ワッ!と歓声が上がる。
『参加するのは、未来の猛者を目指す若手冒険者たち!新たな英雄たちの誕生を、その目で、肌で、どうぞ見届けてください!!』
『東の商業通り、西の旅宿通り、南の運輸通り、北の職人工房通り――各街門から放たれた魔獣たちが、いま、街の中心を目指して進行を開始しております!!』
『挑戦者諸君!!健闘を祈ります!そして観覧中の市民の皆さま、狩猟祭開催中は安全のため、指定区域外への立ち入りは固く禁じられております!』
『ギルド職員および衛兵隊の指示に従い、どうぞ安全な位置からお楽しみください!それでは――狩猟祭、開幕です!!』
高く澄んだ秋の空を裂くような、軽やかな花火がまた一つ。中央広場で規制線を張っていたギルド職員の合図で、各大通りへの道が開ける。――ぶる、と参加者たちの背筋が伸びる。
Cランクだろうが、Dランクだろうが、若手だ新米だと言われようが……魔獣と対峙すればただひとつの戦士である。
武器が軋み、眼光が鋭くなる。奮い立つ者も、口元に笑みを浮かべる者もいた。
「……無哭に褒められたりしたらどうしよう」
「……俺、西側一番槍な!」
――熱気の中、例年とは少し違う狩猟祭が今、始まろうとしていた。
カルネティアの二階、窓辺に寄せた椅子に、ふたり並んで座る。
開けた窓から、ギルド職員の口上が、屋根上の歓声が、熱気が――ここまで届いてきていた。
ガルドが眉間に皺を寄せ、窓枠に片肘を置いて旅宿通りを見下ろす。
赤い視線は、ちろ、と道脇で警備にあたる冒険者や衛兵たちに向く。等間隔に立つ防衛は、街門方面を睨み、屋台の裏や隙間を確かめ、観客が身を乗り出し過ぎれば短く手で制している。
時たまその眼差しが、そちらを見下ろすガルドの視線と、一瞬だけ交わる。――彼らもどこか、この無哭の目を意識しているようだった。
「……チッ」
「ふふ」
渋面をする護衛の横顔に、ルシアンが小さく笑う。
通りの対面では、店じまいをした店舗の二階窓から、住民や商人たちが身を乗り出している。祭りの空を飾る色旗はそのまま残っているが、今は祭りの華やぎというより、区画の境目を示す目印のように揺れていた。
軒に吊るされた麦穂や葡萄蔓の飾りも、きんと高揚した空気の中ではどこか硬い。見物人の歓声はある。それでも、地上だけが静かに張りつめていた。
眼下、旅宿通りを、先陣を切った冒険者が西部広場の方へと走り抜けていく。西部広場、そしてその先にある街の西門の方角からは、また別の住民たちの低く押し殺したようなどよめきが。
「……来たな」
「何の魔獣だろうか」
ガルドのぼやきに、ルシアンも呟くように答えた。西門へは西部広場を曲がって進んで行くので、まだその魔獣の姿は見えない。けれど、爪が石を叩くような音や、剣戟の音が聞こえ始めている。
徐々に大通りを抜けて来たのは、地面を走る小型の鳥のような魔獣だった。
「バーネストだな」
「へえ……おや、取り逃しているね」
若手たちの動きを見下ろす二つの視線は、防御線が張られているのを知っている分、楽しげだ。
茶褐色のすばしっこい魔獣が、冒険者の一閃をくぐり、足元を抜けていく。それを見守るのは、路地裏に控える衛兵や、屋根上から指示を飛ばすギルド職員の声。
弓を番え、細剣を構え、杖を持ち、若手たちも魔獣を追う。誘導し、仕留め、時に取り逃しかけて、道脇の上位者に魔獣を押し返される。
狩猟祭は祭事と遊びではあるが、狩りであることに変わりはない。空に響く歓声の下には、研ぎ忘れのない緊張が薄く張っていた。
「どうだい?」
「んん……動きは悪くねぇ。視野も悪くねぇ」
窓の縁、ぶつぶつと続く声に皮肉はなく、どこか素直な評価が滲んでいた。
ルシアンの頬が、つい緩む。まっすぐに褒めてあげればいいのに、けれどまぁ、これでこそ彼だ。
そのまま特に言葉を挟むでもなく、ただ隣に座り、同じ景色を見つめた。
屋根の上の子どもが、柵から身を乗り出そうとして大人に襟を掴まれている。酒場の上階の窓では、祭りを肴に早くも杯を掲げている男たち。
宿屋の屋上には毛布や椅子が持ち出され、旅人や観光客がはらはらと通りを見下ろしている。まるで街の上半分でだけ、収穫祭の続きが息づいているかのようだった。
ガルドも一度、隣の顔を盗み見る。
街並みを、人々を、その空気を眺める横顔は……やはり微笑んでいる。瞬きをひとつ落とすごとに、その景色を刻むように、まるでどこか、祝福するような表情で。
(……まぁ、こんなのに見られてちゃあな)
通りを、また若手たちが駆け抜けていく。戦意と不安とが入り混じったその気配が、石畳の上を波のように揺らしている。
「……見てガルド、あっちからも」
「ん」
中央広場、南門方面から抜けて来た魔獣が数体、冒険者たちをかいくぐって旅宿通りへ。
運輸通りの若手たちが討ち漏らしたのだろうか。しかしガルドが眉を寄せる前に、それを追うようにして運輸通りから駆けてきた影が応戦に出る。
ふん、と小さく鼻を鳴らす護衛に、ルシアンも微笑むように肩を揺らしていた。
――【哭紋が、見ている】




