【許される距離……?】
宿カルネティアの朝は、静かだった。
カーテンの隙間から差し込む光が、まだ薄い。いつもは目覚めの早い交易都市の朝も、収穫祭二日目の今日はどこか静かだ。
これは、宿の前の西部旅宿通り、そして他の各大通りが狩猟祭のためにまるきり封鎖されており、いつも賑わいを運んでくる露店や屋台がすべて店じまいしているせいであった。
そんな静かな街の朝、ぬくもる布団の中で、目を覚ましたガルドがかすかに眉を寄せる。
腕の中には、ぴたりと背を預け、静かに寝息を立てるルシアンの身体。
「…………」
ゆっくりと深く息をして、あくびを噛みころす。そのあくび混じりのままに、脳裏に昨夜のことがよぎる。
風呂上がり、窓辺で外の楽団の音色を聞いていて、すっかりと肩が冷えていて……、だからものは試しに"一緒に寝るか"と聞いたら、マジで来やがった雇用主。
(……。……警戒心ゼロだなオイ……)
微睡みながら、鼻先で淡紫にすり寄る。
信頼の度合いがおかしい。"こいつは手を出してこない"と思われている可能性が大いにある。……いやそもそもそういう認識がないのか……?
自分で寝床に入れておいてなんだが、――こうも意識せずに隣で眠られては……正直、手の出しようもない。
……まぁ、だからといって、舌打ちが出るわけでもないが。
その薄い腹に、ゆるりと腕を回す。
これにほんの少しだけルシアンの呼吸が揺れ、どうやら眠りの縁から浮上してきたらしいことが分かった。
「……起きたか」
「……ううん……?」
返ってくる声は、まだ半ば眠りの中で。
しんとした朝。暖かな室内。
湧き上がる、ほんの少しの悪戯心。――というか、"意識されないこと"への仕返し心。
目の前の淡紫に、ぼそりと呟く。
「……ちっと、核揺らしてみていいか」
「…………」
――数秒の静寂。いや沈黙。……いや寝てるか……?
ガルド自身、なかなかのことを言ってる自覚はある。さすがに起きるかと思ったが――、
「ん……いいよ……」
――彼は覚醒しないままに、ぽやりと声だけを返してきた。
まさかの寝ぼけた返事はまったくの予想外だったが……返事は返事である。言質はとった。俺の耳が聞いた。
わずかに顎を引いたガルドが、ルシアンの頭の下から腕を引き抜き、――両手でその腰をそっと掴んでみる。宿での就寝時は……腰を守る装備は、ない。
「……んん……」
向こうを向いたまま、ルシアンから細く息が漏れる。寝起きの緩さか、それとも核周りに触れられた別の反応か、判別はつかない。
ちら、とその様子を見やったガルドも、……そのまま指先にほんの少し力を込めて、柔らかな寝間着越しにぐっと押し込むように握った。
「ッ――」
は、と小さく息を呑むような音がした。手のひらの中で、寝起きの体温がほんの少しびくつく。
目の前、わずかに振り返るような気配。――だが、目が合うには至らない。……制止もない。
赤い瞳が細められる。
掴んだ指を緩め、そのまま滑らせるように手をずらし、前後から腹と腰を挟み込むようにすれば、びくっ、と目に見えてルシアンの身体が跳ねた。
ぱっと弾けるように振り返る淡紫。……今度こそ、肩越しに目が合う。
瞳がわずかに揺れている。動揺が見える。手のひらがガルドの手首に触れているが、……添えているだけのような力加減。
「……よう、はよ」
「……お、おはよう……?」
――挨拶返してる場合かよ……と、思わず口の端が緩んでしまう。
護衛はそのままひと呼吸おくと、最後の一手とばかりに挟んだ腰をガクッ、と強く揺さぶった。
「あっ……!?」
鋭く息が跳ねて、ルシアンの身体がくたりとベッドに沈み込んだ。背筋に張っていた緊張が脱力に変わる感触が、ガルドの手のひらに伝わる。
ようやくそこで動きを止め、ガルドもなにやら、ほう、と納得するような頷き。
「……なるほどな」
「な、なにが……!?」
腕の中、それまで黙っていたルシアンの声が、少し震えを帯びて返ってきた。
ガルドはそれには答えず、やや満足げに腹を撫でるようにしてから離し、小さく笑うだけ。
「……仕返しだ」
「なっ、なにの……?」
何が何だかわからないまま、ルシアンが掛け布団を緩く引き寄せて、抗議にも似た動作で身体を丸める。しかし、だからといってベッドから出て行くでもない。
そのくせ耳はじんわりと赤く、明らかな動揺がそこに残っているのが見てとれた。
丸まってしまった雇用主を片腕で抱え直しながら、ガルドが低く小さな笑いを漏らす。
抗議の肩口に額をあずけ、朝のぬくもりに再び沈み。
「……悪いな、起こした」
ぼそりと、けれど機嫌のいい声で、一応の謝罪を落とした。
(……な、なん……?)
一体なんだったのか……と、ルシアンは、再び腹にまわってきた腕に手を添えた。
背中からすっぽりと抱きかかえられる。先ほどのような強襲は、もうない。
「……き、君、ちょっと揺らすって言ってなかったかい……?」
わずかに振り返り、夢の中で聞こえた気がした言葉を、念のため、確認する。
確かにぼんやりとした意識下で返事をしてしまった気はするが、確かにガルドなら大丈夫だろうと思っていいよと言った気はするが、……"ちょっと"の度合いが思ったよりも"ちょっと"じゃない。
「ああ、言った」
「ええ……?……なるほど……君のちょっとはあてにならない」
「そらお互いさまだな」
背中側、肩口に落ちる、どこか愉快そうな低い声。
毛布まるごと引き寄せられ、あまりにも簡単に抱え込まれる。硬い手のひらが、まるで謝るかのように、ゆっくりと腹を撫でていて。
……なんというか、……今日も機嫌がよさそうだ……。
「……、……狩猟祭、何時からなんだろう」
「あ?んん……八つ鐘っつってなかったか」
後ろから返ってくる声は、妙な熱も含みもない、いつもの世間話の温度。
ルシアンがわずかに、肩の力を抜く。
「……朝食、部屋に持ってきてもらおうか」
「ああ、いいんじゃねぇか」
会話の最中も、腹にあてられたままの手のひら。いたずらな動きはもうなく、ただ静かに、落ち着けるかのように、そこにある。
――様子を窺うようにルシアンが振り返れば、うっすら微睡みかけていた赤い瞳が、じわりと目を細めた。
「……ん?……んだよ、悪かったって」
「……もう」
ふ、と肩を緩めたルシアンの笑みが、朝の部屋に静かに溶けていった。
――【許される距離……?】




