【許される距離】
ルシアンの、機嫌がいい。
宿の前の通りに出ていた祭りの屋台で、ガルドは適当に軽食を買い、ついで果実水も二つ買った。なんかよくわからん焼き菓子も。
焼きたての平パン、串肉、香草をまぶした腸詰め。
はちみつを塗った焼き菓子、皮のまま煮詰めた果物。
荷車を改造した店、帆布を張った露店、樽を台にした小さな売り場。
石畳の両脇に並ぶ店先は、秋の祭りに色づいて――、けれどこうしている時間すら惜しい。ルシアンが、部屋で待っている。
ちら、と通りの屋台群に視線をやり、買い込んだ軽食を手に、ガルドはすぐに宿へと踵を返す。
「…………」
秋の朝の陽光の中、窓から通りを見下ろして、髪もストールも陽に透けて、なにやらご機嫌だった。
……抱きしめて、すり寄って、怒られなかった。いや、普段も怒りこそしないが、――逃げるような仕草がゼロだった。
その上、折角の祭りだというのに、"部屋でのんびり"などという提案に、笑って「いいね」と言う。
(……午後から出ようだとよ……)
――それは、"それまで一緒にいよう"、か。
(……椅子、窓辺にずらすか……)
壁際にあった食卓テーブルの、木の椅子を引きずってこよう。座りながらでも、外の様子が見えるように。
きっと、季節の移り変わりを告げる祭の景色すら、"見る価値のあるもの"なんだろう。――ならば、自分はそれを隣で見られればいい。
黙々と旅宿通りを歩く。舌打ちなんて、出てきやしない。
(……もっかい、……)
抱き寄せてみるか……?――なんて思うほどには、ガルドは浮かれてしまっている自分がわかった。
カルネティアの階段を上がり、廊下を進み、部屋の前に立つ。扉に手をかけ、軋む音も控えめにそっと扉を引く。
室内には、朝の空気がそのまま残っている。差し込む光、絨毯に落ちる影。
着替えを終えてソファに腰を下ろしていたルシアンが、手帳を閉じて顔を上げる。
「……飯、買ってきた」
「うん、ありがとう」
返された礼に、ガルドもかすかに頷く。……無意識に声が低くなっていた。扉を閉めて、歩み寄る。
ローテーブルに紙袋を置くと、袋の中の果実水の瓶がふたつ、かちんと軽く鳴った。
その音に目を丸くしたルシアンが、卓上に手帳を置いて――けれど何か言葉が発せられる前に、ガルドはもう背もたれに手を伸ばしていた。
ソファの空いているところに腰かけて、薄い肩をゆっくりと慎重に引き寄せる。どこかぎこちなく見えるのは、驚かせるつもりも、焦らせるつもりもないからで。
ただもう一度、さっきの続きのように。
「…………」
「…………」
懐から、きょとん、といった具合に見上げてくる銀の瞳に、……まぁ……言い訳もくそもないわけで……。しかし肩口に頭をこてりと預けられて、瞬時にガルドの背中が強張った。息が詰まるかと思ったが、これはすんでのところで回避。
朝よりも、わずかばかり差し込む陽が強い。……さっきよりも、髪があたたかい。
抱きしめた気配は落ち着いていて、もしかしてまた背もたれかなにかぐらいに思われている可能性すらある。
(…………)
……あるな……全然ある……、ガルドが口の端を緩めた。
なのにそれでも構わないとさえ思えることが、自分でも可笑しかった。
買ってきた軽食で、朝飯を済ませる。
日もさらに昇り、気温も少しずつ暖かくなってくる。窓辺に寄せられた椅子では、ガルドが窓を開け、祭りに染まった外気を浴びていた。
ルシアンが向かいの椅子に座ろうとすれば、ちら、と一瞥されてそれを手で遮られる。
無言のままに腕を引かれ、その膝の上へ。
「……?」
――なんか今日はガルドの機嫌がいいな、と、思った。
朝から抱き寄せられ、すり寄られ、ご機嫌だ。……密かに収穫祭を楽しみにでもしていたのだろうか。緩くこちらを抱きしめたままに、窓から通りを指さす護衛。
「屋台結構出てたぞ」
「……うん、ここから見てもすごい数だね。あとで回ろうか」
ちら、とルシアンを見やる赤い瞳は、膝の上という関係もあり、いつもとは違って同じ高さにある。そのままほんの少し首をかがめて、胸元に鼻先を寄せて来る頭。
「……西部広場の方に、楽団も来てた。演奏は午後からだとよ」
――呟くように言いながら、すん、と鼻が鳴らされれば、喋る呼気が首に当たる。そのくすぐったさにルシアンも肩をすくめそうになるが、けれど背中に腕が回っているため、身をよじることを諦める。
「……聴くんだろ」
「うん」
頷く気配に、ガルドの腕にまたわずかに力が籠った。窓の外では、通りを練り歩く旅芸人が手を振り、子どもたちが声を上げて追いかけている。
明るい色の旗が、秋の空でゆったりと風にはためく。それを目の端で眺めたのち、ガルドは再び静かに顔を寄せ、沈むように額を傾けていた。
ああ、惜しい――。ガルドは、深く……目を閉じていた。
背を撫でても、腰に腕を回しても、首に額を埋めても、拒まれない。逃げられない。
なんなら雇用主殿は、機嫌よく微笑んですらいる。
外から漂う収穫祭の気配に、実家のある領地でも収穫祭の季節だとか、明日の狩猟祭を見るのが楽しみだとか、楽しそうに口を開いて。
一度、楽団の客寄せで旅宿通りを笛吹が通っていった時も、立ち上がって窓からそれを眺めたのちに、再び膝上に戻ってきた。さも当然のように。
それでいて、だからといってべたりと寄り添ったり、腕を回してきたりするわけではない。
それがまた、手を放せば戻ってこないような気にさせて、手放すのが惜しい。――が。
「じゃあ、そろそろ出ようか、ガルド」
銀の瞳を緩く細めて、眼前で微笑まれてしまえば、……護衛に逃げ場などない。ああ、そうだな、収穫祭だ、行かなければ。気持ちを切り替え――たい。なんとか。
「……ん」
低く、そう返す。苦々しい音が出なかったのは、"残念だ"よりも"帰りゃあまた一緒だ"が頭のどこかにあるため。
ゆっくりとガルドが腕を緩め、囲っていた身体を解放する。膝の上から滑り下りるその重みを惜しむように、最後の一瞬だけ手が背中を撫でた。
とはいえ、それっきり。
折角の祭りを楽しませてやりたいという、……護衛……保護者……旅の案内人……?の立場が勝つ。……まだ、かろうじて。
(……まぁ、閉じ込めてぇわけじゃねぇ)
よな?なぁ?と自分に問いかけるも、自分の頭から、返答はなかった。
銀糸の刺繍がされた外套が、視界の端に揺れる。ソファに、ストールがたたまれて丁寧に置かれている。
振り返り、楽しげに笑う表情。
「さ、早く行こう」
「ああ……混むぞ、離れんなよ」
ぶつぶつと文句のように零しながらも、その口元にはかすかに笑みがあった。
祭りなんざ何年ぶりだろうな、なんてそう思いながら、護衛は部屋の扉を開けた。
――【許される距離】




