【噂のふたり】
「ちくしょー、今日の依頼惜しかったなぁ。アルファ個体が出てこなけりゃ殲滅できたのによォ」
「あれは運だわ。また頑張ろうぜ」
「ちょっと飲みすぎないでよ?新しい装備買う資金残しておかないと」
「お、おおそうだな!あぶねぇ、また酒代で消えるとこだったぜ」
「リーダーいっつもそうだよな」
「あの弓士腕は確かなんだけど、やっぱりあたしたちには合わなかったわね~」
「いやあれは俺らが悪かっただろ。弓士の奇襲に合わせらんなかったもんなぁ」
「まぁ確かに……練度……踏んだ場数の問題かしらね」
冒険者の数だけ存在する、絆、関係、物語。無数の中の一人にも、背景がある。
……そんな面白いモンかね、とガルドが目線を正面に向ければ、雇用主からは満足げな眼差しが返ってきた。
(……酔狂な……)
杯に残る琥珀色の液を揺らしながら、ガルドがひとつだけ、肩をすくめる。
ただのギルドの夜。名も知らない冒険者たちが集う酒場。
何気ない会話、笑い声、ちょっとした愚痴。その騒がしさのすべてが、今夜は心地よく響いていく。――けれど。
「…………」
――哭紋。
さきほどどこかで落ちた符丁が、ガルドの耳の裏に残っていた。
お前が否定しねぇから、定着しかけちまってんぞ……そんな言葉も、今となっては出てこない。
"無紋"という通り名……のようなものをどうするんだと聞いた時、彼は「気にしなくていい」と言った。それがある限り、「自分は何者でもないから」と。
その時はバカバカしいと思ったが、……今はわかる。"紋無し"という符丁は――なんとも便利な隠れ蓑だったというわけだ。"無哭の隣にいる魔術師"は、……"正体の知れぬ旅人"より、よほど冒険者たちに定着しやすかっただろう。
だからこそ余計に、こうして隣においてくれることの意味が、じわりと染み込んでくる。名前を利用されている――とは思わない。この雇用主は、恐らくそんな器用な男ではない。
だからガルドは無言のまま、酒杯を呷った。
ああ、ならば好きに呼べ。くだらねぇ、バカバカしい、けれどそうやって、俺の名前がこいつを少しでも隠すのなら。
それだけで、この日々が続いていく気がする。"哭紋の片割れ"として、こいつがゆっくりと浸透していく。
(……逆に目立つか……?)
はたと眉根を潜めたガルドに、正面で、ルシアンが不思議そうに首を傾げていた。
「受付のエリスちゃん、かんわいいよなぁ!俺もう一回デートに誘ってみようかな」
「だーからお前じゃ無理だって。エリスちゃんムキムキが好きって言ってたぞ」
「無理ね!アンタひょろっちいんだもん!あっはっは!」
「昨日サーグキャンプにいた猫がさぁ、でぶいのなんのって」
「ああ知ってる!あれだろ、ふてぶてしい奴」
「アイツ干し肉さらってくよなぁ」
「ああ……これから集積場の夜間警備だぁ……」
「夜盗も最近見ねぇよな」
「暇な警備が一番暇なんだよなぁ」
「明後日からの収穫祭楽しみだなぁ。仮面市と狩猟祭、今年もやるんだろ?」
「俺、今年は狩猟祭参加できねぇって言われちゃったよ」
「ああ、俺らランク上がったもんな~」
ふとどこかから聞こえた話題に、ルシアンの視線が動いたのはその時だった。
明確な興味を以てして、銀の瞳がそちらへ流れる。――不意に"無紋"から意識を向けられて、その会話をしていた冒険者たちが、びくっと肩を震わせた。
「……仮面市と、狩猟祭ですか」
「っえ……」
ほんの一瞬だけ、場がしん、と静まる。
酒場の誰しもが、まさかその銀の矛先が、"こちら側"に向くとは思ってもいなかった。
皆それぞれに目を合わせるが、……"無哭"が何も言わずにエールを呷るので、――恐らく返事をしても大丈夫なやつだろうということが判明……。
「……っあ、ああ……仮面市は収穫祭一日目の昼から夜で、……狩猟祭は二日目の午前中だ……だよな?」
「ああ、そう、そうだ……二日目の狩猟祭は、新米向けのイベントで、ま、街中に魔獣を放ってな……」
「なるほど。住民の方にとっては、刺激的なイベントになりそうですね」
柔和に微笑んだルシアンに、じわ……、と周囲の冒険者たちの肩が疼いた。
え、無紋って会話してもいいの――?そんな空気が、わずかに広がる。
「しょ、初日の仮面市では、オークションも開かれるらしいですよ」
「オークション……皆さんも参加されるので?」
「いや、いやあたしたちは……どっちかっつーと街の人らが楽しむような……」
「なるほど。……なぜ仮面を?」
「仮面は、なんだっけ、確かえっと、」
「あっアレっすよ、女神さまが地上に降りてくんのに、群衆に紛れる……ため?みたいな?」
「あっそうそうそう!」
「なるほど、興味深いですね」
「あ、お、あとあれだ、狩猟祭は街の大通りをまるっと封鎖してさ、そこに低脅威の魔獣放つんだぜ!Cランク以下の冒険者なら誰でも参加できて、討伐数を競うんだ」
「Bランク以上の方々は参加できないんですね」
「そっスね……その代わり、会場の警備や魔獣の討伐漏れチェックに回されるんスよ」
「ほう、では市民の皆さんも安心ですね」
四方八方から、貢物のように情報が渡ってくる。柔らかで静かなはずの相槌が、騒がしかった酒場を緩く支配していく。
「ッ狩猟祭は、ギルドが運営で、当日は冒険者ギルドも――」
ごとり、とガルドがエールの杯を置く音が遮った。
前のめりになりかけた冒険者連中が、即座に肩を引く。黙って酒を呷っていた赤い瞳が、……じろりと群衆を一瞥。
視線をそのまま、対面のルシアンに投げる。
――もういいか、の眼差し。それを受けたルシアンも、短く頷いた。
ゆるりと立ち上がりつつ、優雅に過不足のない会釈。
「では、私たちはこの辺で。おやすみなさい」
「……お、おう!……おやすみなさい……!」
「お、お疲れ様でした……!」
「……無紋さん……おやすみなさい……っ」
二つの足音がギルド酒場を離れていくまでの数秒、――周囲の空気は、何とも言えぬ緊張と高揚に包まれていた。
"話してしまった"という実感と、"話してもよかった"という許し。
ほんのわずかな対話で、場の空気がまるごと塗り替えられてしまった感覚。
去っていく背中のどちらも一切こちらを振り返らないのに、なぜか誰も目を逸らせない。
「……、……俺たち、無紋と会話した……?」
「俺、なんか、目合った……合ったよな……違うかな……」
「え、っていうか、無言で会話して……た?」
「……俺も無哭にあんな視線投げられたい……」
「お前そっちか……」
ぽつり、ぽつりとひとつずつ、賑やかな会話へと戻っていく酒場。
けれどそこには、確かに変化があった。
"哭紋"はただの噂や符丁ではない。自分たちと同じように、食べ、飲み、話す存在だ。
「……無紋、狩猟祭参加すんのかな……」
「無紋ってランク何……?」
「どっちにしろ無哭がランク外だもん、絶対"無し"でしょ……」
「……だな」
そんな軽口でさえ、どこか……憧れの色を含んでいる。
夜のギルドはいつもより少しだけ浮足立ち、その空気を置き去りに、ふたりは宿の夜道へと戻っていった。
「お前、ああいうの、わかって声かけてんのか」
宿カルネティアの廊下を歩きながら、ガルドが後ろに続くルシアンに、そう声をかけた。
振り返りはしない。あえて返事を待つでもなく、部屋の鍵を回す。
「ああいうの?」
「酒場で。連中の話に……混ざってって」
ガルドが扉を引けば、ルシアンもその後に続いて部屋に入った。
室内の明かりを灯す。それぞれに旅装を解き、荷を下ろす。浴槽には、すでに湯が張られていた。
「ああ……ふふ、ちょっと聞いただけだったのに、すごい勢いだったね」
「そりゃお前……噂の"無紋"だからな」
「"哭紋"って言われてたね、私たち」
「妙な名前つけやがる」
ふたりきりともなれば、ルシアンに先ほどのような対外の仮面はもうない。
ただ柔らかに、穏やかに微笑む顔だけがそこにあった。……それを見たガルドが、小さく息をつく。
酒場で冒険者連中に見せた、柔和で穏やかな物腰。
ひと声で周囲の耳目をかっさらう魅力も、自ら口を割らせるような眼差しも、――彼に内包される要素の一つでしかない。
(……蜘蛛に心底ビビったり、くそでけぇ家を背負ってたり……)
仕返しと称して息が触れる距離まで来ることも、妙な鳥に手紙を託すことも、
美しい景色に目の色を変えることも、意外と串肉にかぶりついたりするところも――、
――添い寝をする時に、柔らかな髪の手触りがいいことも……自分しか、知らない。
……ならば、周りのやつらがちょっと話しかけるくらい、いいか、と――さっきは謎の余裕すら感じた。今こうして、ここだけの表情で笑っているからこそ。
「みんなどんどん混ざってくるから……、ガルドがあそこで話を止めてくれて、助かったよ」
「……連中の相手なんて、適当でいんだよ」
「ふふ、でもみんな楽しそうだったから」
笑みはそのままに、窓辺へ寄ったルシアンが、夜の旅宿通りを見下ろす。
街の端々に、いつの間にか見慣れぬ装飾が増えている。……二日後に控えた、収穫祭の飾りだ。
「……収穫祭を見たら、出立しようか、ガルド」
「……ああ」
ガルドの返事は短かったが、そこに迷いはなかった。宿の静けさの中、ルシアンの言葉はどこか惜しむように響いて溶ける。
それでも彼が"街を発つ"と言うのなら、それは潮時なのだ。
剣帯を外したガルドが、窓辺の影に、静かに寄りそう。灯りの落ちた通りに、淡い飾りの火が揺れていた。
「……、それまでにギルドで借りた本読み終われよ」
「あ、そうだね……明日は一日宿にいようかな?」
「んん……いいんじゃねぇか」
眼下の通りの喧騒が、ひそやかにこの窓辺に届く。夜はまだ更けていく最中で、あと数日はこの暖かい宿で。
ガルドは穏やかな横顔を眺めて、今夜もこの静けさを共にできることを、深く息をついて噛みしめていた。
――【噂のふたり】




