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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
霧の向こう側

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【噂のふたり】


「ちくしょー、今日の依頼惜しかったなぁ。アルファ個体が出てこなけりゃ殲滅できたのによォ」

「あれは運だわ。また頑張ろうぜ」



「ちょっと飲みすぎないでよ?新しい装備買う資金残しておかないと」

「お、おおそうだな!あぶねぇ、また酒代で消えるとこだったぜ」

「リーダーいっつもそうだよな」



「あの弓士腕は確かなんだけど、やっぱりあたしたちには合わなかったわね~」

「いやあれは俺らが悪かっただろ。弓士の奇襲に合わせらんなかったもんなぁ」

「まぁ確かに……練度……踏んだ場数の問題かしらね」



冒険者の数だけ存在する、絆、関係、物語。無数の中の一人にも、背景がある。

……そんな面白いモンかね、とガルドが目線を正面に向ければ、雇用主からは満足げな眼差しが返ってきた。


(……酔狂な……)


杯に残る琥珀色の液を揺らしながら、ガルドがひとつだけ、肩をすくめる。


ただのギルドの夜。名も知らない冒険者たちが集う酒場。

何気ない会話、笑い声、ちょっとした愚痴。その騒がしさのすべてが、今夜は心地よく響いていく。――けれど。


「…………」


――哭紋。


さきほどどこかで落ちた符丁が、ガルドの耳の裏に残っていた。

お前が否定しねぇから、定着しかけちまってんぞ……そんな言葉も、今となっては出てこない。

"無紋"という通り名……のようなものをどうするんだと聞いた時、彼は「気にしなくていい」と言った。それがある限り、「自分は何者でもないから」と。


その時はバカバカしいと思ったが、……今はわかる。"紋無し"という符丁は――なんとも便利な隠れ蓑だったというわけだ。"無哭の隣にいる魔術師"は、……"正体の知れぬ旅人"より、よほど冒険者たちに定着しやすかっただろう。

だからこそ余計に、こうして隣においてくれることの意味が、じわりと染み込んでくる。名前を利用されている――とは思わない。この雇用主は、恐らくそんな器用な男ではない。


だからガルドは無言のまま、酒杯を呷った。

ああ、ならば好きに呼べ。くだらねぇ、バカバカしい、けれどそうやって、俺の名前がこいつを少しでも隠すのなら。


それだけで、この日々が続いていく気がする。"哭紋の片割れ"として、こいつがゆっくりと浸透していく。


(……逆に目立つか……?)


はたと眉根を潜めたガルドに、正面で、ルシアンが不思議そうに首を傾げていた。




「受付のエリスちゃん、かんわいいよなぁ!俺もう一回デートに誘ってみようかな」

「だーからお前じゃ無理だって。エリスちゃんムキムキが好きって言ってたぞ」

「無理ね!アンタひょろっちいんだもん!あっはっは!」



「昨日サーグキャンプにいた猫がさぁ、でぶいのなんのって」

「ああ知ってる!あれだろ、ふてぶてしい奴」

「アイツ干し肉さらってくよなぁ」



「ああ……これから集積場の夜間警備だぁ……」

「夜盗も最近見ねぇよな」

「暇な警備が一番暇なんだよなぁ」



「明後日からの収穫祭楽しみだなぁ。仮面市と狩猟祭、今年もやるんだろ?」

「俺、今年は狩猟祭参加できねぇって言われちゃったよ」

「ああ、俺らランク上がったもんな~」



ふとどこかから聞こえた話題に、ルシアンの視線が動いたのはその時だった。

明確な興味を以てして、銀の瞳がそちらへ流れる。――不意に"無紋"から意識を向けられて、その会話をしていた冒険者たちが、びくっと肩を震わせた。


「……仮面市と、狩猟祭ですか」

「っえ……」


ほんの一瞬だけ、場がしん、と静まる。

酒場の誰しもが、まさかその銀の矛先が、"こちら側"に向くとは思ってもいなかった。


皆それぞれに目を合わせるが、……"無哭"が何も言わずにエールを呷るので、――恐らく返事をしても大丈夫なやつだろうということが判明……。


「……っあ、ああ……仮面市は収穫祭一日目の昼から夜で、……狩猟祭は二日目の午前中だ……だよな?」

「ああ、そう、そうだ……二日目の狩猟祭は、新米向けのイベントで、ま、街中に魔獣を放ってな……」

「なるほど。住民の方にとっては、刺激的なイベントになりそうですね」



柔和に微笑んだルシアンに、じわ……、と周囲の冒険者たちの肩が疼いた。

え、無紋って会話してもいいの――?そんな空気が、わずかに広がる。


「しょ、初日の仮面市では、オークションも開かれるらしいですよ」

「オークション……皆さんも参加されるので?」

「いや、いやあたしたちは……どっちかっつーと街の人らが楽しむような……」

「なるほど。……なぜ仮面を?」


「仮面は、なんだっけ、確かえっと、」

「あっアレっすよ、女神さまが地上に降りてくんのに、群衆に紛れる……ため?みたいな?」

「あっそうそうそう!」

「なるほど、興味深いですね」


「あ、お、あとあれだ、狩猟祭は街の大通りをまるっと封鎖してさ、そこに低脅威の魔獣放つんだぜ!Cランク以下の冒険者なら誰でも参加できて、討伐数を競うんだ」

「Bランク以上の方々は参加できないんですね」

「そっスね……その代わり、会場の警備や魔獣の討伐漏れチェックに回されるんスよ」

「ほう、では市民の皆さんも安心ですね」



四方八方から、貢物のように情報が渡ってくる。柔らかで静かなはずの相槌が、騒がしかった酒場を緩く支配していく。


「ッ狩猟祭は、ギルドが運営で、当日は冒険者ギルドも――」


ごとり、とガルドがエールの杯を置く音が遮った。

前のめりになりかけた冒険者連中が、即座に肩を引く。黙って酒を呷っていた赤い瞳が、……じろりと群衆を一瞥。


視線をそのまま、対面のルシアンに投げる。


――もういいか、の眼差し。それを受けたルシアンも、短く頷いた。

ゆるりと立ち上がりつつ、優雅に過不足のない会釈。


「では、私たちはこの辺で。おやすみなさい」


「……お、おう!……おやすみなさい……!」

「お、お疲れ様でした……!」

「……無紋さん……おやすみなさい……っ」


二つの足音がギルド酒場を離れていくまでの数秒、――周囲の空気は、何とも言えぬ緊張と高揚に包まれていた。


"話してしまった"という実感と、"話してもよかった"という許し。

ほんのわずかな対話で、場の空気がまるごと塗り替えられてしまった感覚。


去っていく背中のどちらも一切こちらを振り返らないのに、なぜか誰も目を逸らせない。



「……、……俺たち、無紋と会話した……?」

「俺、なんか、目合った……合ったよな……違うかな……」


「え、っていうか、無言で会話して……た?」

「……俺も無哭にあんな視線投げられたい……」

「お前そっちか……」


ぽつり、ぽつりとひとつずつ、賑やかな会話へと戻っていく酒場。

けれどそこには、確かに変化があった。


"哭紋"はただの噂や符丁ではない。自分たちと同じように、食べ、飲み、話す存在だ。


「……無紋、狩猟祭参加すんのかな……」

「無紋ってランク何……?」

「どっちにしろ無哭がランク外だもん、絶対"無し"でしょ……」

「……だな」


そんな軽口でさえ、どこか……憧れの色を含んでいる。


夜のギルドはいつもより少しだけ浮足立ち、その空気を置き去りに、ふたりは宿の夜道へと戻っていった。






「お前、ああいうの、わかって声かけてんのか」



宿カルネティアの廊下を歩きながら、ガルドが後ろに続くルシアンに、そう声をかけた。

振り返りはしない。あえて返事を待つでもなく、部屋の鍵を回す。


「ああいうの?」

「酒場で。連中の話に……混ざってって」


ガルドが扉を引けば、ルシアンもその後に続いて部屋に入った。

室内の明かりを灯す。それぞれに旅装を解き、荷を下ろす。浴槽には、すでに湯が張られていた。


「ああ……ふふ、ちょっと聞いただけだったのに、すごい勢いだったね」

「そりゃお前……噂の"無紋"だからな」

「"哭紋"って言われてたね、私たち」

「妙な名前つけやがる」



ふたりきりともなれば、ルシアンに先ほどのような対外の仮面はもうない。

ただ柔らかに、穏やかに微笑む顔だけがそこにあった。……それを見たガルドが、小さく息をつく。


酒場で冒険者連中に見せた、柔和で穏やかな物腰。

ひと声で周囲の耳目をかっさらう魅力も、自ら口を割らせるような眼差しも、――彼に内包される要素の一つでしかない。


(……蜘蛛に心底ビビったり、くそでけぇ家を背負ってたり……)



仕返しと称して息が触れる距離まで来ることも、妙な鳥に手紙を託すことも、

美しい景色に目の色を変えることも、意外と串肉にかぶりついたりするところも――、


――添い寝をする時に、柔らかな髪の手触りがいいことも……自分しか、知らない。


……ならば、周りのやつらがちょっと話しかけるくらい、いいか、と――さっきは謎の余裕すら感じた。今こうして、ここだけの表情で笑っているからこそ。



「みんなどんどん混ざってくるから……、ガルドがあそこで話を止めてくれて、助かったよ」

「……連中の相手なんて、適当でいんだよ」

「ふふ、でもみんな楽しそうだったから」


笑みはそのままに、窓辺へ寄ったルシアンが、夜の旅宿通りを見下ろす。

街の端々に、いつの間にか見慣れぬ装飾が増えている。……二日後に控えた、収穫祭の飾りだ。


「……収穫祭を見たら、出立しようか、ガルド」

「……ああ」



ガルドの返事は短かったが、そこに迷いはなかった。宿の静けさの中、ルシアンの言葉はどこか惜しむように響いて溶ける。

それでも彼が"街を発つ"と言うのなら、それは潮時なのだ。


剣帯を外したガルドが、窓辺の影に、静かに寄りそう。灯りの落ちた通りに、淡い飾りの火が揺れていた。



「……、それまでにギルドで借りた本読み終われよ」

「あ、そうだね……明日は一日宿にいようかな?」

「んん……いいんじゃねぇか」


眼下の通りの喧騒が、ひそやかにこの窓辺に届く。夜はまだ更けていく最中で、あと数日はこの暖かい宿で。


ガルドは穏やかな横顔を眺めて、今夜もこの静けさを共にできることを、深く息をついて噛みしめていた。






――【噂のふたり】

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