【ギルド酒場の夜】
レストロワ北東、湿地帯でのヌマグモ討伐を終え、ふたりが街の冒険者ギルドへ戻る頃には、空にはもう夕焼けが広がっていた。
ギルドホールはいつもの喧騒で、依頼を終えた冒険者たちが受付で報告書をしたためたり、素材買取の窓口で査定額に待ったをかけたり、依頼掲示板で明日の依頼を吟味したり――。
併設の食堂兼酒場も、酒盛りを始める冒険者たちで大変よく賑わっている。
夕刻――特に忙しくなるこの時間帯、ギルドホール奥の受付カウンターでは、受付嬢と書記官が二人一組になって来訪者の応対にあたっている。その窓口にふたりが向かえば、職員らが小さく背を正した。
「お疲れさまです。ご報告でしょうか」
「ええ、お願いします」
小さく頷いた受付嬢が報告用の書類を差し出せば、受け取ったルシアンがカウンターに身を屈めて記入を始める。
湿地帯を徘徊していた魔獣の詳細。それを討伐した旨。近辺に他個体や巣跡は見られなかったことなどの情報は、今日も過不足なく書き進められていく。
手早く記録を取りながら、受付嬢の横合いから書記官も覗き込んでいた。
「ヌマグモでしたか……」
「ええ。もう周辺に脅威はないかと」
別紙に報告者のサインをしつつルシアンが付け足せば、後ろで腕を組んでいたガルドも、紙面に目線を落とした。対応者の欄に、……当然のように自分の名前も代筆されていく。
――今に始まったことではない。毎度決まったことだったが、もうそんなことにすら満足してしまう。
「……ほっせぇ字だな」
ぽつりとこぼすガルドの声に、書記官がちらと顔を上げて笑った。
「ルシアンさんの字、読みやすくて助かってます」
その言葉に、ルシアンがわずかに目を細め、受け流すように微笑んだ。
ガルドはそれきり、黙って見ている。報告を書き終えた紙が、さらりと受付嬢へ手渡された。
「素材の引き取りは無しでよろしいですか?」
「……、ああ」
ガルドがカウンター越しに応じれば、書記官が意外そうな顔をして手早く記録をまとめていく。
……雇用主が剥ぎ取りにまったくいい顔をしなかった、という報告は――。
意地の悪い顔でガルドがちらりと見やれば、それに気づいたルシアンがやや、眉をぴくりとさせた。……報告は不要らしい。
報告書の確認を終えた職員が、手際よく報酬金を手渡してくる。
「お疲れさまでした」
「どうも」
丁寧な会釈でルシアンが返せば、ガルドもゆっくりと肩を緩め、腕を組み直すだけ。
"無哭"のその出で立ちにまだ畏れの目を向けてくる冒険者も多いが、職員たちにとってはとっくにその限りではない。――隣の魔術師を眺める視線が、穏やかだというのが大きかった。
「夕飯、久々にギルドの食堂でどうだい?」
「……ああ、たまにはな」
何気なく交わされるふたりの声に、――そのまま併設の飲み場へと流れていくその背中に、受付嬢と書記官が静かに視線をやる。
あんなにも目立つふたりなのに、普段何を話しているのかとか、結局どんな関係性なのかとか、誰一人として知らない。
「……無哭、護衛契約なのよね……?」
「……まぁ、書類上は……?」
ギルドの手続き上は、確かにそうだ。が……。
無哭が支配されているとか、雇用主と護衛だとか、実はイイ仲なのではとか、逆に無哭が魔術師を従えているだとか。冒険者たちの噂は尽きない。噂は尽きないのに、誰も彼らを知らない。聞けない。
結局のところ、"無哭と無紋"。ただそれだけなのだ。
「――おい、哭紋だ」
酒場の隅で、囁くような誰かの言葉が落ちた。
誰が発したかわからないその声は、ひそひそとどこまでも伝播した。
ふたりは変わらずどこ吹く風で、空いているテーブルに向かい合わせて座る。
ガルドが何かしらを注文すれば、給仕が二、三返事をして、すっと奥へ下がっていった。
「……びびった、ギルドの食堂来るんだな」
「顔役とも顔見知りなのよね……?」
「なぁ、俺ベルミードの演習場で無哭に手合わせしてもらったことあるぜ」
「あれが無紋か、初めて見た」
「どこぞのお坊ちゃんって感じだけど、無哭の横にいるならつえーんだろうな」
「おいお前、無紋と同じ魔術師なのにすげぇ違いだな」
「はぁ!?うるさいわね、魔術師が全員あんなに優雅だと思わないで!」
ざわざわと広がっていく声は、夕刻、仕事帰りの酒の力も相まって賑やかで……けれどどこか憎み切れない、遠い兄弟のような空気があった。
ガルドも初めのうちは渋面をしていたが、正面で柔らかに微笑むルシアンに、眉間の皺を緩めていく。
「……飯食って、さっさと帰るか」
「ふふ、いいじゃないか、賑やかで」
ゆるり、そう笑う顔は、いつの間にかこの喧騒に馴染んでいるようにも見える。ため息をついたガルドも、やれやれと椅子の背にもたれ、腕を組んだまま周囲をちらりと見渡した。
酒場の空気はざわついていたが、敵意はない。むしろ、それぞれの卓で交わされる"噂"が、どこか楽しげにさえ聞こえる。
(……、そうやって余裕ぶってっから目立つんだよ)
悪態は、言葉にはしない。言ったところで、今さら直りやしない。
呆れたように鼻を鳴らしながらも、ギルド酒場の喧騒は、ガルド自身――まぁ、本来耳に馴染む。ガルドがいる手前、ルシアンに不躾に声をかけてくるような命知らずもいない。
ルシアンが水のグラスに口をつけたタイミングで、注文していた料理が運ばれてくる。
湯気の立つ煮込みと、焼きたてのパン。皿の縁から香るスパイスが、空腹をぐっと刺激する。
視線も噂も、尽きることはない。けれどそんな賑わいの中でも、ふたりはただ、穏やかに食事を始める。
熱いスープの湯気がルシアンの頬をかすめ、それに合わせるようにガルドの肩が、ほんの少し緩んだ。
徐々に人も増え、ざわめきを増していくギルド酒場で、いつになくルシアンが上機嫌で、ガルドは果実酒とエールを追加で注文していた。
騒がしいだけのこの空間の何かしらが気に入ってしまったらしく、食事が済んでも立ち上がる素振りもない。
微笑む銀の瞳は、"まだここにいる"、の顔だった。
何を話すでもなく、運ばれてきた果実酒をガルドがルシアンの前に置く。対するルシアンも、それをちらりと見てから当然のように手元に引き寄せる。
そんなことをしているから様々な憶測が飛ぶのだが、ルシアンはただ周囲に耳を傾けたいだけで、ガルドはそれを邪魔しないようにしているだけだった。
「……やっぱり無哭が従ってんじゃねぇか……?」
「いやいや、無紋が文句言えねぇってこともある……」
「え、『飲めや』ってこと……?」
好き勝手に聞こえてくる声に、ガルドにしかわからない角度で、ルシアンの口元が少し緩んだ。
頬杖をついた手のひらの陰で、わずかに笑いを堪えるように。――それとなく、互いに視線が合う。
――なんか言ってるね。
――くだらねぇ。
かすかな眉の動きで会話をするふたりに気づくこともなく、酒場はやはり、活気に溢れていた。
――【ギルド酒場の夜】




