【そばにあるということ】
その日の昼食は、商業通りにある小さな食堂でとることになった。
手頃な値段で盛りのいいパスタが供されるこの食堂は、地元の住民や商人たちが通う店のようで、この日もよく賑わっていた。
壁際のテーブル席に、向かい合って座る。
ルシアンが当然のように自分の皿から適量をとって、多い分をガルドへ押しやる。
やっぱりか、と口を曲げたガルドも、黙ってその皿を引き寄せてフォークを手に取った。
テーブルの上には、水のグラスと、食事と、ギルドから渡された魔獣の資料。
酸味のあるソースを絡め、パスタを一口。ガルドの視線が、そのまま資料に落ちる。
「形状不明……二メートルはでけぇな」
「濃霧の中でも行動できるとしたら……視力より感覚器で判断してるのかな」
「んん……可能性はあるな」
低く返事をしながら、赤い眼差しが、紙からルシアンの表情へ移った。
食事を進めながらも、興味深げに資料を覗き込む横顔。そこにはどこか、"楽しみだ"という色さえ浮かんでいる。
――当たり前のように、自分が選んだ依頼に乗ってきた。……"美しい景色"も、"不思議な場所"もないのに、だ。
「……せいぜい泥にはまらねぇようにしとけよ」
「ふふ、そしたら引っこ抜いてもらわないとね」
は、と笑うガルドの前で、スープが温かな湯気を立てる。助けてくれるよね?なんて顔をしている雇用主を、……ここまで甘ったれに仕上げたのが誰なのか、自分が一番よくわかっていた。
椅子に背を預け、わざとらしくため息をつく。
「はぁ……んじゃ抱えて戦ってやろうか、お坊ちゃん」
「……またそうやって」
口は悪くとも、赤い瞳は細められている。
ルシアンは手元の動きを止め、軽く肩を揺らして笑っていた。
昼食を終えて、そのままのんびりと商業通りを歩く。
中央広場から東門へ抜ける大通りは、交易品や雑貨、美術品などが並んでいたが、そこから一本南側の中通りに入れば、日用品が売られる露店が軒を連ねていた。
普段着、整髪料、香油、衛生用品から、筆記用具や手帳、鉱石素材や種苗に至るまで、品ぞろえは実に様々だ。
それぞれ興味のままに店先を覗きつつも、何を買うでもなく、探すでもなく、その日常の中をただ歩く。
時折すれ違う衛兵が、ふたりを見止めて小さく、わずかに目礼をしていく。
街の子どもたちは相変わらず、軽やかな笑い声とともに駆けている。
「……ガルドは、どこかに腰を落ち着けるなら、どんな街がいい?」
ふと、横を歩くルシアンがそんなことを呟いた。
赤い視線がそちらへ落ちるが、視線は交わらなかった。
この街の空気を受けた、ただの世間話のような、いつかの未来のような、読めない声色。
「……そりゃあ……」
――そこにお前はいるのか、と聞こうとしてやめる。
離れなければ、いいだけだ。
「……飯がうめぇ街だな」
「ふふ、間違いないね。魚料理が美味しいところがいいな」
「――ああ」
道端の木箱の上で、陽に当たった猫が昼寝をしていた。
小路に面した窓際に置かれた鉢植えに、知らない花が咲いていた。
「散歩にちょうどいい路地があると、なおいいよね」
「……そうだな」
――……。
今、お前、想像の中で、俺と一緒にいたか、と。
他愛のない会話の中に、自分の居場所があったような気がして、喉が詰まりそうになる。
当然のように並び立つ影。歩幅は違ってもつかず、離れず。
露店の店先を滑っていた眼差しが、ふと通りの向かいの店を見やろうとして、……その横顔を見つめていたガルドと視線がぶつかる。
――にこり、と淡紫の髪が揺れた。
「まぁ、まだまだ腰を落ち着けるつもりはないけどね」
「……は、だろうな」
何事もないように、ルシアンの視線はまた露店へと流れていく。
いや、本当にただの世間話だったのかもしれない。こちらが深く考えてしまっただけで。
だが、それだけで確かに、ガルドの心は凪いでいた。
共にあることを、もう疑わなくてもいいのかもしれない、と。
「……魚か。んじゃあ、港の街とかか」
ぽつりと返しながら、ガルドは足元を見た。並ぶ二つの影が、寄り添うように石畳に伸びている。
「魚、肉、酒、全部うめぇとこだな」
「ええ、あるかなそんなとこ……」
返ってきた笑うような声に、少しだけガルドの息が途切れた。
隣を歩くルシアンの横顔は、さして表情を変えず、ただ次の露店を眺めている。
買い物袋を手にした母親が通り過ぎ、子どもたちの声がまた遠ざかっていく。
その静けさの中、ふっと風が通った。
「……、どこでもいい」
最後にぼやいた声に、一度きり不思議そうに振り返る気配があった。
――そう?だったのかもしれない。
考えてないの?だったのかもしれない。
けれど、言葉にならなかった"お前がいれば"、は伝わっていないようで、……今はわずかに安心してしまって、ガルドは視線を戻した。
店先の飾り物を指でなぞりながら、ほんの少しだけ息を吐く。
未来はまだ遠いが――その影のすぐそばに、自分が立っている気がした。
――【そばにあるということ】




