【変わらないこと】
――大扉を引けば、温かなざわめきが迎えてくれた。
冒険者ギルドの朝は早い。入口近くでは既に、酒代を稼ぎに来た冒険者連中が数人、依頼掲示板を囲んでいた。
装備の革が擦れる音と、弾む誰かの笑い声。紙のめくれる乾いた音が、ギルドホールを満たしている。
鼻をくすぐるのは、併設の食堂から漂う軽い朝食の匂い。――パンを炙る匂いに、煮込みスープの香りが混ざる。
受付カウンター前では、今朝街に着いたばかりらしい、肩に旅の塵を積もらせた重装の戦士が、隣の弓士と唸りながら依頼報告書を書きしたためていた。
左手前の待合では、夜間に各街門の警備依頼を請け負う者たちが、眠たげに地図を広げている。柔らかな陽が窓から射しこみ、床の石目に淡い色を落としていた。
そこへふたりが並んで踏み入れば、職員らが顔を上げ、軽く会釈をしてみせる。
冒険者らが視線を寄こし、「街に無哭がいる」を知らなかった者たちが、ぎょっと肩をいからせた。
ざわりと一瞬波が立つが、――ああ、あのふたりかといった具合にすぐに目を逸らした馴染みの冒険者たちの様子に、……ざわめきはすぐさま引いた。
「……、おい、この街無哭いたのかよ」
「ああ、もうじき半月になるかな」
「横のが噂の相棒か……?」
「バカやる奴らが減って治安もいいわ」
「はは、無哭何もしてねぇけどな」
「あの魔術師も笑ってるだけだしな」
好き勝手囁かれるのも、いつものこと。
ガルドは目線もくれてやらないし、ルシアンも顔すら向けない。なんだったら――治安?へぇ、そうなのか、といったふうで、身に覚えもない。
ちらり、互いに視線を交わして掲示板の前へ。
「……"治安維持"の依頼でも探すかい?」
「ボケ」
小声で交わされるやりとりは、どこか笑みを堪えるような気配があった。
そうして視線を滑らせるように依頼書を眺めていたふたりだったが、ガルドの眼差しがふと、ある依頼書で止まった。
――《北東湿地帯における魔獣駆除依頼》
【依頼内容】
北東農村地帯に広がる湿地帯にて、家畜を狙う魔獣の駆除をお願いします。
本湿地帯では季節的な濃霧が発生し、視界不良による被害が拡大しています。
【駆除対象】
湿地帯を徘徊する中型魔獣(種類不明)
【報酬】
銀貨八十枚
【注意事項】
・この時期、湿地帯一帯に濃霧が立ち込め、視界が著しく制限されます。索敵手段の準備を推奨します。
・魔獣は昼行性、音に反応するとの目撃情報があります。
・湿地帯の足場は不安定なため、重量のある装備品は行動に支障をきたす場合があります。
【備考】
・駆除対象の魔獣について、形状・行動パターンは不明確ですが、目撃証言から体高二メートル程度と推測されています。
「……濃霧か」
「うん?」
ガルドの呟きに、その視線の先を覗き込んできたルシアンが、依頼書に目をやった。
黒馬に引き続き討伐依頼で、依頼内容自体はなんら変哲のないもの。だが、その依頼書が少々くたびれており、誰も受けていないことがわかった。
視界の悪い霧の中、索敵手段の必要性と、音に反応する魔獣、重量のある装備品の不適正。――なるほど、選ばれにくいわけだった。
「行くかい?」
ルシアンの穏やかな声に、ガルドは黙ってそちらを一瞥する。見上げてくる銀の瞳に、……そのまま数拍。やがてため息もなく、静かに依頼書を引き抜く。
カウンターの受付嬢は、今日は落ち着いた様子で腰かけていた。
ガルドに手渡された依頼書を確認して、頷きをひとつ落とし、手際よく台帳に控えをとっていく。
「現地までは一刻半です。ご出立は本日でしょうか」
「……道筋は」
「北門からさらに街道を北東へ。農村を越えた先が湿地帯になりますが、現地は本日は雨です。魔獣の目撃情報が断片的ですが、複数の農民から物音の報告が出ています」
「どんなだ」
「低く、唸るような音とのことです。……ただ、皆一様に"霧の向こうで聞こえた"とだけで、姿をしっかりと見た者はおりません」
受付嬢の短く的確な応答に、ガルドがわずかに目を細めた。しばしの沈黙は、道程を頭で組んでいるような空白。
「……明日、朝一。資料あんのか」
「はい、簡易地図と、周辺農家からの聞き取り記録をお渡しできます」
数枚の紙が束ねられ、革紐で綴じられた薄い資料が差し出される。
受け取ったガルドが片手でそれを確認する横で、ルシアンが受付嬢から判の押された依頼書を渡される。
「お気をつけて」
「ええ、どうも」
ぺこり、と礼をする受付の後ろで、おお……といった顔で、他の職員らが半端に口を開いていた。
初めて、まともにあのふたりとしっかり会話をしている受付を見た。今までは緊張やびびりが勝って、あたふたとしていたのに、と。
とはいえ大規模ギルドの受付嬢は、ただの"窓口お姉さん"ではない。
むしろこっちが本来の姿なんだよなぁ、と頬を緩める職員たちに、その気配を感じ取った受付嬢が肩越しに鋭い視線を寄こす。――閉口。
そんなギルド側の小さなやりとりなど気づかぬ様子で、ふたりはもう受付前から踵を返していた。
――【変わらないこと】




