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ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
霧の向こう側

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【変わったこと】


未明、薄明かりの中、ルシアンは目を覚ました。


街は明け方。晩秋の朝は冷え切っていたが、カルネティアの部屋は暖かい。

掛け布団から手だけを出して、伸びをひとつ。ぼやりとした頭が、徐々に鮮明になっていく。


隣のベッドを見れば、背を向けて眠る護衛。

――いや、……護衛、かどうかも、今はちょっと怪しい……。


「…………」


昨夜のちょっといろんなあれそれを、ひとり静かに反芻する。


(……噂、されても構わないって)


むしろ広まってくれてもいいんだと……彼はそう、思っていたらしい。


『いつか、私のことを知って、』

『それでもそばにいるのなら、』


――なんて……、誠実に答えたつもりで、実はひどい逃げ方だったのかも、と今さらながらに思う。


充分に、彼の人となりはわかってきた。きっと、口も堅い。……もう、聞かれれば、いつでも答える。たとえば、"お前は誰だ"とでも。


だが、彼はそういったことを不躾に聞いてこない。聞いてこないということは、聞く用意ができていないのではないか――そう思えてしまい、あえてこちらからも話さない。

もちろん、聞かれれば全て答える。けれど、彼は、聞いてこない。


(……堂々巡りだね)


自嘲気味に息をひとつ吐いてむくりと起き上がれば……窓の外、街の夜明けの空は白く靄(もや)がかかっていた。

普段だったら散歩に繰り出しているところだが、――外は、思いのほか寒そうだ。


ベッドから抜け出して、ソファに置いていたストールを寝間着の上から羽織り、静かに窓辺に寄る。

眼下に見える旅宿(りょしゅく)通りにも、秋の朝靄が落ちている。

しかしやはり交易都市といったところか、すでに人々の影もいくつか。


パンかごを抱えた配達人。開店準備に動き出す商人。紙束を抱えているのは、郵便配達だろうか。冷えた朝の中で、街は確かに息づいている。



(……恋人……)


小さく肩をすくめれば、ストールの裾がふわりと揺れる。

まだ、どうにも実感がない。というか実感以前に、恐らくまだ恋人ですらない。何故かというと、自分がその境界を引いたからだ。


(……なんであんな……妙なことにしたんだろう……)


もともと、思い切りはいい方である。欲しいものは欲しい。いらないものはいらない。不利益は切り捨て、去る者も追わず……要は、元来の自分であれば、言えたはずだ。昨夜の時点で、無理なら無理と。


「…………」


……けれど、それは、……彼ほどに大きな存在が、なかったから、か……な……?


(……ええ……?)


ルシアン、小さく顎を引く。

ちょっとそれは予想外だ。つまりは雑に切り捨てられなかったのだ。雑に受け入れることもできなかった。まったくもっての予想外。予定外でもある。こんなはずでは。


「何見てんだ……」

「――っ!?」


いつの間にか真後ろに迫っていた護衛に、勢いよく肩が跳ねた。弾けるようにルシアンが振り返れば、まだ寝ぼけたような顔の護衛。

だが珍しく特大の"びっくり"が返ってきて、こちらも少々意表を突かれている。


「お、おはよう」

「……おう」


眉間に皺を寄せ、低く掠れた声。渋面のままに顔を寄せてくるガルドに、まだ絶妙に動悸が治まらない。


「……、外、寒そうだよ」

「んん」


一拍置いてどうにか調子を取り戻したルシアンは、口元にいつもの柔らかな笑みを浮かべていた。覚醒しきらないままに、ガルドがルシアンの背中越しに通りを見下ろす。

ぴとりとその背に張り付くような距離に、もう昨日までの遠慮は見られない。

赤い瞳が通りを眺め、空を見て、懐のルシアンに視線を落とす。


「……晴れそうだな。昼には暖かくなんだろ」


そうして視線が合った瞬間、ほんの一瞬だけ、銀色が揺れた。


「そう、じゃあ、依頼でも見に行こうか」

「……ああ」


取り繕うように笑う顔に、ガルドもわずかに口角が上がる。


――変わっている。今までとは明らかに。いつも通りに見せかけて、確かに、と。


……もはやこのままとっ掴まえて匂いを嗅いでも許されるのでは、と若干不埒な方向にすら、思考が滑りかけるが。


「さ、宿に朝食を頼もう。いい依頼がなければ、また食べ歩きをしてもいいね」


するりと懐から抜けていく肩は、やはりどこか掴みどころがない。

けれどその背を見送るガルドも、今さら慌てて追うでもない。

唇の端にかすかな笑みを残したまま、赤い瞳は逸らされない。


「……食べ歩きってどうせ、食い切んねぇぶん俺に押し付けんだろ」

「ん、ふふ、頼りにしてるよ」


笑い声に緩く首を回しながら、ガルドもようやく窓から離れる。

こうして誰かにからかわれてもいいだなんて、今まで考えたこともなかった。


だがもう、それでいい。


とっくの昔に翻弄されて、惨敗して、降参してるのだ。抱えた気持ちももうバレた。それなのに逃げられるでもなく、まるで今までの続きのように、今日もすぐそばで笑っている。

――そこに立つ気があるのならと、"護衛"ではない居場所すら用意されて。


ならば。



「……おい、飯の前に嗅がせろ」

「ええっ」


軽口に、ちょっと変化球が混ざるくらい、許されるだろう、なんて。


……どこか楽しげなガルドに、ルシアンも思わず頬を緩めた朝だった。






朝食を済ませるころには、すっかりと日が昇りきっていた。

黎明の気配も遠のき、外の通りも人の往来で溢れている。


「今日はギルドの書庫は寄んのか」

「ううん。昨日借りてきたばかりだし、掲示板だけ見よう」


街路を行きながら交わされる言葉は、やはりいつも通り。巡回の最中にふたりを見かけた衛兵が、小さく目礼をしてくる。


街の西側、旅宿通り。まだかすかに朝露の匂いが混じる、冷たい空気。石畳はしっとりと冷えている。

――ふ、と息を吐けば、それは白く溶けていく。遠くで朝の鐘の音が、たゆたうように鳴っていた。


通りの向こうでは、パン屋の店先から焼きたての香りが漂い、小さな子どもが籠を下げて走り抜けていく。

ガルドが隣の淡紫を見下ろせば、外套の裾が揺れ、頬に白い息が溶けて――その横顔は変わらず穏やかだったが、鼻先が少し赤い。


「……寒ィか」

「うん?平気だよ」

「…………」

「……本当だよ?」


視線の応酬は、嘘じゃねぇだろうな、と、じゃあそれはどうかな、のような含み。

流れゆく喧騒の中で、ただ一組だけ、静かに歩調を揃えるふたりがあった。






――【変わったこと】

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