【変わったこと】
未明、薄明かりの中、ルシアンは目を覚ました。
街は明け方。晩秋の朝は冷え切っていたが、カルネティアの部屋は暖かい。
掛け布団から手だけを出して、伸びをひとつ。ぼやりとした頭が、徐々に鮮明になっていく。
隣のベッドを見れば、背を向けて眠る護衛。
――いや、……護衛、かどうかも、今はちょっと怪しい……。
「…………」
昨夜のちょっといろんなあれそれを、ひとり静かに反芻する。
(……噂、されても構わないって)
むしろ広まってくれてもいいんだと……彼はそう、思っていたらしい。
『いつか、私のことを知って、』
『それでもそばにいるのなら、』
――なんて……、誠実に答えたつもりで、実はひどい逃げ方だったのかも、と今さらながらに思う。
充分に、彼の人となりはわかってきた。きっと、口も堅い。……もう、聞かれれば、いつでも答える。たとえば、"お前は誰だ"とでも。
だが、彼はそういったことを不躾に聞いてこない。聞いてこないということは、聞く用意ができていないのではないか――そう思えてしまい、あえてこちらからも話さない。
もちろん、聞かれれば全て答える。けれど、彼は、聞いてこない。
(……堂々巡りだね)
自嘲気味に息をひとつ吐いてむくりと起き上がれば……窓の外、街の夜明けの空は白く靄がかかっていた。
普段だったら散歩に繰り出しているところだが、――外は、思いのほか寒そうだ。
ベッドから抜け出して、ソファに置いていたストールを寝間着の上から羽織り、静かに窓辺に寄る。
眼下に見える旅宿通りにも、秋の朝靄が落ちている。
しかしやはり交易都市といったところか、すでに人々の影もいくつか。
パンかごを抱えた配達人。開店準備に動き出す商人。紙束を抱えているのは、郵便配達だろうか。冷えた朝の中で、街は確かに息づいている。
(……恋人……)
小さく肩をすくめれば、ストールの裾がふわりと揺れる。
まだ、どうにも実感がない。というか実感以前に、恐らくまだ恋人ですらない。何故かというと、自分がその境界を引いたからだ。
(……なんであんな……妙なことにしたんだろう……)
もともと、思い切りはいい方である。欲しいものは欲しい。いらないものはいらない。不利益は切り捨て、去る者も追わず……要は、元来の自分であれば、言えたはずだ。昨夜の時点で、無理なら無理と。
「…………」
……けれど、それは、……彼ほどに大きな存在が、なかったから、か……な……?
(……ええ……?)
ルシアン、小さく顎を引く。
ちょっとそれは予想外だ。つまりは雑に切り捨てられなかったのだ。雑に受け入れることもできなかった。まったくもっての予想外。予定外でもある。こんなはずでは。
「何見てんだ……」
「――っ!?」
いつの間にか真後ろに迫っていた護衛に、勢いよく肩が跳ねた。弾けるようにルシアンが振り返れば、まだ寝ぼけたような顔の護衛。
だが珍しく特大の"びっくり"が返ってきて、こちらも少々意表を突かれている。
「お、おはよう」
「……おう」
眉間に皺を寄せ、低く掠れた声。渋面のままに顔を寄せてくるガルドに、まだ絶妙に動悸が治まらない。
「……、外、寒そうだよ」
「んん」
一拍置いてどうにか調子を取り戻したルシアンは、口元にいつもの柔らかな笑みを浮かべていた。覚醒しきらないままに、ガルドがルシアンの背中越しに通りを見下ろす。
ぴとりとその背に張り付くような距離に、もう昨日までの遠慮は見られない。
赤い瞳が通りを眺め、空を見て、懐のルシアンに視線を落とす。
「……晴れそうだな。昼には暖かくなんだろ」
そうして視線が合った瞬間、ほんの一瞬だけ、銀色が揺れた。
「そう、じゃあ、依頼でも見に行こうか」
「……ああ」
取り繕うように笑う顔に、ガルドもわずかに口角が上がる。
――変わっている。今までとは明らかに。いつも通りに見せかけて、確かに、と。
……もはやこのままとっ掴まえて匂いを嗅いでも許されるのでは、と若干不埒な方向にすら、思考が滑りかけるが。
「さ、宿に朝食を頼もう。いい依頼がなければ、また食べ歩きをしてもいいね」
するりと懐から抜けていく肩は、やはりどこか掴みどころがない。
けれどその背を見送るガルドも、今さら慌てて追うでもない。
唇の端にかすかな笑みを残したまま、赤い瞳は逸らされない。
「……食べ歩きってどうせ、食い切んねぇぶん俺に押し付けんだろ」
「ん、ふふ、頼りにしてるよ」
笑い声に緩く首を回しながら、ガルドもようやく窓から離れる。
こうして誰かにからかわれてもいいだなんて、今まで考えたこともなかった。
だがもう、それでいい。
とっくの昔に翻弄されて、惨敗して、降参してるのだ。抱えた気持ちももうバレた。それなのに逃げられるでもなく、まるで今までの続きのように、今日もすぐそばで笑っている。
――そこに立つ気があるのならと、"護衛"ではない居場所すら用意されて。
ならば。
「……おい、飯の前に嗅がせろ」
「ええっ」
軽口に、ちょっと変化球が混ざるくらい、許されるだろう、なんて。
……どこか楽しげなガルドに、ルシアンも思わず頬を緩めた朝だった。
朝食を済ませるころには、すっかりと日が昇りきっていた。
黎明の気配も遠のき、外の通りも人の往来で溢れている。
「今日はギルドの書庫は寄んのか」
「ううん。昨日借りてきたばかりだし、掲示板だけ見よう」
街路を行きながら交わされる言葉は、やはりいつも通り。巡回の最中にふたりを見かけた衛兵が、小さく目礼をしてくる。
街の西側、旅宿通り。まだかすかに朝露の匂いが混じる、冷たい空気。石畳はしっとりと冷えている。
――ふ、と息を吐けば、それは白く溶けていく。遠くで朝の鐘の音が、たゆたうように鳴っていた。
通りの向こうでは、パン屋の店先から焼きたての香りが漂い、小さな子どもが籠を下げて走り抜けていく。
ガルドが隣の淡紫を見下ろせば、外套の裾が揺れ、頬に白い息が溶けて――その横顔は変わらず穏やかだったが、鼻先が少し赤い。
「……寒ィか」
「うん?平気だよ」
「…………」
「……本当だよ?」
視線の応酬は、嘘じゃねぇだろうな、と、じゃあそれはどうかな、のような含み。
流れゆく喧騒の中で、ただ一組だけ、静かに歩調を揃えるふたりがあった。
――【変わったこと】




