↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルシアンの物見遊山 II【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
純白の蒐集家

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
102/116

【確約の未来】


レストロワの中央広場、顔役官邸を出て、呼吸をひとつ。

……肌に触れる夕方の秋風が、ようやく"外"の空気を実感させてくれた。


ルシアンはいつもの穏やかな歩調で歩き出し、ガルドは半歩遅れてその背を追う形になる。

だが、歩きながらも――ガルドの思考だけは、未だに応接室に置き去りにされたままだ。


(……"抱き寄せて"って……)


いや何も、"あの距離"自体が初めてだったわけではない。外套の内に入られたこともある。抱き上げて運んだこともある。……寒さでベッドに入ってくることだってある。

だが、ああして面と向かって、なんというか……寄り添われたことは……なかっ……たはずだ……。


腕の中に感触が残っている気がして、拳を軽く握る。肩口に、淡紫の髪が触れた感覚まで蘇る。


(……清い身体じゃねぇ、って……)


……頭を抱えたい。

それをこの魔術師の口から聞くには、――その言葉の真意を問うには、あまりに爆弾すぎる。

だが、思考が滑るのは止められない。


……他に誰かがいたのか?

それとも、純粋な演技か?

それとも、そ、なん、そういうことか?


(そういうことってどういうことだよ……)

(いやいや……違ぇだろ……違うよな……?)


――護衛は本日も、引き続き混乱中である。


蒐集家は、確かに追い払えたのかもしれない。ルシアンが言うように、街にとっては丸く収まったのかもしれない。

だが、自分の中で渦巻く黒い問いだけが、ずっと付き纏っている。


あれは、俺だからよしとしたのか。それともたまたま近くにいたのが俺だったのか。

あれが一番手っ取り早かったのか。ラスタールが見ていたことも、当然頭に入っていたくせに。

まるで、"俺のもの"だと、笑って対外に示すような、あんな……。


「ガルド……?」

「っ……」


――気づけば、ルシアンがこちらを見上げていて、ガルドの肩がわずかに跳ねた。

銀の瞳は何でもないような顔で、しかしどこか疑問符を抱いた表情で、小さく首を傾げて。



「夕飯どうする……?ひとまず、宿に戻ろうか?」

「……、ああ」


チッ、と……小さく舌打ち。


(……聞けるかよ……)


今はただ、その歩調に合わせるだけで、精一杯だった。






カルネティアの自室に戻っても、ガルドは口を開けることができなかった。

考えれば考えるほど、わからない。なにもわからないことがわかっている。けれど、もうそんなバカバカしい結論で片づけるには、あまりにも限界だった。


爆弾を放った本人は、やはり今日も飄々とした顔をしている。部屋の魔法灯を灯し、肩掛けの革鞄を下ろし、外套の首元の留め具に手をかけて。

が、ふとガルドを振り返って、さすがに困ったように笑った。


「……すまないね、勝手なことをして」

「っああ……いや、……」


まさか蒸し返されると思わず、ついガルドがたじろぐ。……その反応に、またもルシアンが苦笑した。

護衛は目に見えて、あからさまな狼狽。けれど、それはそうだ、とも思った。

断りもなく、さも恋人のように振る舞わせてしまった。


「……あの場には、顔役殿と蒐集家しかいなかったから」

「ん、ああ……」

「だからたとえば、私と恋人だとか、君に不名誉な噂は広まらないと思うよ」

「……は?」


笑みと共に落とされたそれはまるで――、……だから安心して、とでも言うかのような、表情だった。


ルシアンを見やるガルドの肩が、ぴくりと揺れる。

伏せられた銀の目を見下ろし、言葉の意味を、ゆっくりと反芻する。


「……、……」


――不名誉な噂は……?


(……なに……?)


なんだそれは。

なにがだ。

誰が、誰との、何を、"不名誉"だと?


そんなん誰が言った。……いつ言った。


「……、おい」


低く声をかければ、革鞄の中身を覗いていたルシアンが、肩越しにこちらを振り返った。

ガルドの喉が鳴る。足音をひとつ、……距離を詰める。

ふざけるな、とは言えない。だが、決して流せる台詞でもなかった。


「お前は……俺、と……そういう噂が広まるのが、"困る"ことなのか」

「え……」


はたと、ルシアンの動きが止まる。


瞬きが、ひとつ、ふたつ。


温かな部屋の灯りが、輪郭と影を柔らかく縁取っている。

半端に開かれたルシアンの口から、返事はまだない。だがそれでも――もう無理で……ガルドは、黙ってはいられなかった。


「……不名誉、だなんて、勝手に決めんな」


ガラにもなく、指先が震える。声も揺れた。けれど、それが偽りなく、彼の本心で。


視線が交錯する。きょとん、としたルシアンの口が薄く開き、……閉じる。

眼差しが横に逸れ、もう一度……絡む。


「……?」


"噂が広まったら、困るのか"。


(それは、……私に聞いている?)


……何故。

妙な噂が立って困るのは、冒険者としてすでに名の通っている、彼の方なのでは。

だからこそ――ルシアンは正直、自分のほうにまでは意識が回らなかった。

彼の立場にいらぬ傷がつくのではと、思っ……て。


「…………」


――考えてみる。自分は困るのか?


……考えてみるが、いまいち……わからなかった。



「嫌じゃ……、ないのかい?」



心なしか、問いかける声には、動揺が滲んでしまっていた。

まるで、答えを探すかのような声色だった。



「……君は、私と恋人だという噂が立っても、困らないの……?」


それは、咎めるでも、からかうでも、戸惑うでもない問い。純粋に、一つの確認のような。

ただまっすぐに、――なのに、部屋の空気に溶けそうなほどに、か細い声だった。


「……、困らねぇよ」


一瞬だけ間の空いたガルドの返答は、しかし即答に近い。

だが、それを言った自分自身が、一番息を詰めていた。


ルシアンの眼差しが、大きくは揺れず、けれど確かにガルドを見る。その表情は、……どちらとも判断のつかないものだ。

驚いているのか、嬉しいのか、嫌悪、あるいは――何も感じていないのか。


「……むしろ、いい加減……」


言いかけて、ガルドの喉が詰まる。口の中がからからに乾いていた。

それでも、止められない。


「いい加減……もう我慢なんねぇ」


もう一歩だけ、距離を詰める。

ルシアンは、その場を動かない。銀の眼差しも、逃げない。

だから――もう一歩。


「いや……ちげぇ、ちげぇな、我慢……とかじゃなく」

「…………」

「護衛でいろっつーんなら、……いてやる、けど、よ」


ガルドがまっすぐに、その瞳を見つめる。言葉はもう、情けないほどにまとまらない。無様だろうが、取り繕う余裕すらない。

心のどこかで、腹を括っている自分がいる。……拒絶がくるなら、それでいい。

それでもいいけれど。


「……もしお前が困らねぇって言うんなら、……これ以上、を、考えちまっても……いいか」


歩み寄った距離は、手を伸ばせば届くが、伸ばさなかった。代わりに、眼差しだけは決して逸らさない。



――静寂は、いつの間にか部屋に落ちていた。



「……そう……」


静かに呟かれたルシアンの言葉は、……ただその事実を受け止めるかのように、ゆっくりと部屋に溶けていく。

伏せた瞳に、もう動揺の色はない。

ただ、なにかがどこか、腑に落ちたような色を湛えていた。


「――じゃあ、」


銀の瞳が、ゆるりと持ち上がる。見つめられたガルドが、かすかに顎を引く。

……数秒の、間。――たったそれだけが、しんどいほどに長く感じた。


「……君がいつか、私のことを……知って」

「…………」

「それでも、そばに……いてくれるなら、」


ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉は、まるでルシアンが、自分自身に言い聞かせているかのようで……、その瞳は間違いなく、ガルドを捉えていて。


――今度は、ふわりと笑みが浮かぶ。


「その時は、護衛や旅の仲間としてではなく、隣にいようか、ガルド」



ガルドの呼吸が、ひたりと止まる。


"護衛や旅の仲間ではなく"――。


相変わらず丁寧に、絹に包まれたようなその言葉が、――今は胸の奥に静かに沈み込んで、じわじわと、熱を持ち始める。


……何かの手違いではない。

逃げるような笑みでもなかった。

いつも通り穏やかで、どこまでも自然で、けれど確かにそれは、彼の"応え"で。


「…………」


何かを返したくて、なのに喉は張り付いたように動かない。

わかった。――わかっている。今はまだ、許されたわけじゃないのかもしれない。

ただ、"許される未来"が、……確約にも近い未来が、ほんの少しだけ顔を覗かせただけ。


「……。……ああ」


ようやく搾り出すように返したその声は、存外震えていなかった。

ひどく心が凪いでいたのは、きっと初めて"同じ位置"に立ったからだ。

自分が下りて行ったのではない。彼が上がってきたのでもない。用意された足場に、静かに足並みを揃えた、それだけ。



ふ、と一つ息を吐き。ゆるりとそちらへ背を向けて、ガルドが外套を脱ぐ。

ポーチなどの装備品を外していく音。ルシアンも、身を返してそれに倣った。


――"驚いた"。それが正直なところだった。

だが、……彼にそういった感情を抱かれていたことに、嫌な気持ちはまったくない。

むしろ、ならばこれからもそばにいてくれるのかもしれないと――、


――そう、微笑みながら……、……ルシアンは何度か目を瞬かせる。


「……?」


雇用主、停止……。


再び俯いて口元を押さえ、顔を上げ、もう一度口元を押さえて、今度は視線だけをちろりと、肩越しに後ろに向ける。


(……ええと……?)


ふつふつと、というより、じわじわと、背筋を這いあがるような感情。

困惑、ではない。動揺、も違う。なんかこう、……恥ず、かしい、ような……?


(……"その時は"……ってつまり、……恋人という、こと……?)


自分で放った言葉を――静かに反芻する。


いや何も、無責任に言ったわけではない。きちんと理解してそう言ったはずだが、改めてその認識に落ち、さらにそれを言語化すると、……破壊力が違った。


(……ガ……ガルドと……?)



ええ、そうである……。



――じわ、と耳が熱くなった。

あれ、と思う。外套を脱ぎかけたままに、視線が定まらない。かちり、と無意味に胸元の留め具を閉め、……脱ぐのだったと、もう一度外す。かちり。


……いや……。


「……ガルド、あの」

「……ああ?」


緩慢と振り返ったガルドに、ルシアンはもうとてもじゃないが目線が合わせられなかった。

耳が熱い。頬も少々。


「わ、私、早まっ……て、ない……?」


それはもはや、今にも"一度忘れてくれないか"と言い出しそうな横顔。

はた、と動きを止めた赤い瞳が、……じとりと細められて一歩、足を踏み出してきた。


「……おい」


ルシアンの肩がぴくりと跳ねたのは、護衛の声が低かったから。あれは、呆れられた時の声。しかもちょっと笑われている時の声。

視線を向けられないまま、そっと外套を脱ぐ動作に戻る。手はわずかに震えていた。


大きな影が、もう一歩、近づく。

手を伸ばせば指先が――触れるどころか、もはやとっ掴まえられる距離。

けれど今は何も触れず、ただため息と言葉だけを落とした。


「遅ぇくらいだ」


ぼそりと低く、静かで、それ以上に、逃げ道を封じるほどまっすぐな声に……ルシアン、なすすべもない。……なすすべもない……。

だからこそ、ガルドも口の端をわずかに吊り上げる。


「……お前が早まるわけねぇだろ」

「わ、わかった……わかったから……」


もう降参、の合図のように、パッとルシアンの手のひらが持ち上がる。俯いて表情など見えやしないが、見覚えのあるその仕草。頼りない防御壁。



(……、……ははぁ、なるほどな)


きゅう、と、またガルドの眼差しが細くなる。すっかりと隠されてしまった表情。なるほど、"それ"は拒絶じゃなかったわけだ。

得心がいって、口の端が緩む。ならば、許してやろう、その壁を、と。




……しばし俯いて、そのまま静かに片手で顔を覆っていたルシアンだったが――ふっと顔を上げる。まだやや耳は赤いが、瞳や表情の揺れは消えた。

そのままにガルドを見上げ……いつものように、にこりと笑う。かろうじて。


「……、夕飯どうしようか。宿に戻ってきちゃったけど、どこかに食べに行くかい?」


何も変わらない、いつも通りの声色。

脱いだクロークを手に、いつでも出かけられる格好。


――ガルドもまた、それを責めたりはしない。

もう、わかった。これは"逃げ"ではない。いつもの日常へ戻る手立てだ、と。


「……ああ、だな」



短く返しながら、ガルドは視線をルシアンの頬に滑らせる。まだほんのり赤い耳。そのくせ、目元だけは澄んでいる。

さっきまであれほど狼狽していたのに、よくもまぁ、器用なもんだ。

だがまぁ、構わん、乗ってやろう。何故なら自分は今、特別機嫌がいい。


「帰りにギルドでも寄ってくるか。借りてた本、読み終わったろ」

「いいね。じゃあ行こうか」


さらりと上着を羽織り直しながら扉へと向かうルシアンの背に、手から外套を提げた大きな影がぴたりとついてくる。

部屋の灯りが、背後に沈む。何を言うでもなく、歩幅はそろっていて。


肩を並べて、あえて何も言わず、ただいつも通りに隣を歩く。



夕暮れの気配が街を包み始め、灯りがぽつぽつと灯る時間帯。

レストロワの空気はやや湿っていて、けれど涼しく心地よかった。


「……収穫祭、見れそうで何よりだな」


ふと、横から声がかかる。ルシアンが一瞬だけ目を丸くしてから、思い出したように笑みを浮かべた。


腕が触れるか触れないか。

けれどその距離に、今までのような曖昧さはない。


ふたりはまだ名乗らず、それでも離れず、ただ静かに歩調を揃えて進んでいた。






――【確約の未来】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。