【純白の蒐集家】
ルシアンが、静かに一つの細工品を手に取る。その指先は、柔らかく、品がある。
「ほう、それに目を……」
嬉々として身を乗り出しかけた蒐集家を、赤い視線がぎろりと射抜いた。その瞬間、小さくソファが軋む音と共に……わずかに身を引くような気配。
気づいていないと思っていたが、やはり蒐集家自身、その圧を感じてはいたらしかった。
しかし……目の前の"美しさ"に、到底敵いはしない。
丁寧な指先が、かちゃ、こと、かたり、とあらゆる品々をあらためる。室内灯に透かし、傾け、かすかに魔力の流れを感じ。
やがてルシアンが微笑みを絶やさぬまま、品を静かに卓上に置き――ゆっくりと顔を上げる。
ぴたり、と視線が合った蒐集家が、喉に果物でも詰まったかのように、息を止めた。
「……ガラスの巻貝。自然に生成される魔道具で、音を封じ込めておけるものですね。性質は汎用的ですが、人工的に作れるものではなく、なにより数が少なく、そして美しい」
こつ、とその細い指先が、テーブルの上の繊細な巻貝を指し示した。
そのまま、つつ……と指先が滑っていく。
「妖精の羽。魔術に明るくない者でも、一時的に風魔法が使える一度きりの魔道具ですね。本物の妖精の羽を使用していることから、地域によっては規制対象となるはずですが」
――このヨルグ地方は、どうだっただろうか。……微笑み、緩く首を傾いだルシアンから、蒐集家は視線が逸らせない。
「陽光の石。透明な石の中に黄や橙の、……まるで太陽のような輝きが閉じ込められており、目を奪われるようですね。土地の瘴気を払うとされる貴重な石で、所持には国の許可が必要でしたか。ここにあるということは、許可がある、と信じたいものです」
……ちょっとそこについては、深く考えたくはない……。頭を抱えたのは、ラスタールだ。ならば偽物だろう。なぁ偽物だろう。頼む偽物であってくれ。
「これら三つは、本物ですね。その他の品々は、残念ながら」
にこ、とルシアンが微笑んで、再び巻貝を手に取った。横合いでずっしりと頭を抱えるラスタールは、見えていない。
細い手の中で、くるりとガラスの巻貝を回す。なんと貴重で、美しい。
初めて見たのがこのような場でなければ……どれほどよかっただろう。
「な、ななんと、そうでしたか!やはり美しい人は見る目も確かだ……」
じわりと再び、蒐集家がルシアンに顔を近づけた。会話に混ぜられた針など、気づきさえしなかったような満面の笑み。
咄嗟にガルドがラスタールを睨む。……が、苦々しい顔を返され、みし、と足元を踏みしめた。
「いやはや、私はね、こういった"誰の手にも染まっていないもの"に強く心を奪われるのです!透明なもの、穢れなきもの、そう、純潔こそ至高……」
「……ふふ、それで"純白"の蒐集家と」
「ええ、ええ!」
ルシアンの笑顔の皮肉も通じず、蒐集家は満足そうに鼻息を荒くする。
ガルドの渋面も、ラスタールの引きつった顔も、もうまったく見えていない。興奮冷めやらぬ様子で両手を広げ、それをルシアンに向かって大仰に差し出してくる。
「ですから貴殿のような、誰の手にも染まっていない清らかな美しさに……たまらなく惹かれるのですよ……!」
言いやがった――!!と、息を呑んだのはラスタールで。
ガルドに至っては、思考と動きが停止している。
ルシアンは微笑んでいたが、すっと色が引き、――瞳の奥が、さめざめとしていた。
(ふむ、なるほど、そういう……)
乱れぬ柔和な笑みとともに、静かに銀の瞳が伏せられた。蒐集家からすれば、それすらも"恥じらい"に映るのだろう。
頬を紅潮とさせて身を乗り出し、巻貝の説明にかこつけて、整ったその手に触れんとしている。
「ご覧ください!そのガラスの巻貝も、光の加減によってはまるで貴殿の――」
「…………」
ちらり、と――、
――ルシアンの目線がガルドに流れたのは、その時であった。すぐさま目が合う。
言葉にせずとも伝わる、明確な、"こっちへ"。
片眉を吊り上げつつ、ガルドが壁から背を離す。音もなく歩み寄ってくる大きな影に、ソファから立ち上がったルシアンが、……まるでそのガラスを見せに行くような仕草をとって、ひそやかに。
「私を抱き寄せて」
――それだけを、言った。
……無言のままに、ガルドの手がルシアンの腰にまわる。ぐ、と引き寄せれば、広い肩口に淡紫の髪がふわりとかかった。
呆気にとられる蒐集家に、肩越し、緩く細められた銀の瞳が向く。
どう見てもそれは、……護衛の距離ではない。
「残念ですが、清い身体ではないもので……」
"清らかな声"とやらで告げられた、にこり、の破壊力は、蒐集家の心を砕くには、十分すぎるもの。
「――……っ……」
数秒の沈黙。
空気が、張り詰めた硝子のように軋んだ。
「……っ、……な……なん、」
……蒐集家の喉から、くぐもった声がようやく漏れてくるが、それでも言葉にはならない。
見てはいけないものを見せられたように、理性が、欲望が、戸惑いと衝撃に打ちのめされていた。
「はは、は……?それは……つまりその……」
まだ何事かを引き下がろうとする蒐集家を、冷ややかな目で睨みつけたのはガルドである。
先ほどまでの、異様な苛立ちはもうない。何故なら、――護衛対象が、自分の腕の中にいる。
どこか安堵すら感じ、静かに視線を胸元へ向けた。
ルシアンは、いつもの柔和な仮面の笑顔。
いつもと違うのは、この距離と。
そして、薄く笑んだ唇から放たれたその一言で――どうやら、この身を盾に選んでくれたことくらいか。
「――ッッ!!」
とうとう耐えきれず、弾けるように立ち上がった蒐集家の顔からは、血の気がざっと引いていた。額には脂汗が滲んでいる。
ラスタールは、全身で安堵と絶望を同時に味わうような顔をしている。手で顔を覆い、震える肩で肩の震えを堪える。
「い、いえ、はは、ど、どうか、お気になさらず……あ、あくまで私個人の……芸術的……嗜好に過ぎませんので……」
無様に口を動かすその様が、今度はルシアンの笑みを淡くさせた。
ガルドは一度だけ鼻で笑い、ルシアンをしっかりと抱いたまま、ラスタールへ顔を向ける。
「もういいだろ。なぁ、顔役さんよ」
「……っ……あ……、ああ……」
よろめくようにラスタールが立ち上がり、掠れた声を搾り出す。
「アルドモン殿、鑑定は十分かと思われます……、ご必要とあらばこちら、我らで後片付けをいたしますゆえ――」
ガタ、バタバタと、その先を言わせることなく、蒐集家は傍らの鞄を引っ掴む。
目の焦点は定まっておらず、肩を震わせながら、息も荒く部屋を後にしていった。
乱暴に、扉が閉まる。
……音もなく、重い空気が抜けていく。
部屋の酸素が足りないのではないかというほどの、静寂……。
「……いやはや助かった」
そんな静寂ののちに、ラスタールが全身を椅子に預けるようにして息を吐く。
その声には、……街ひとつぶんの疲れが詰まりきっていた。
「……お前は、なにを言ってやがんだ」
そしてこちらもやっとのことで、ガルドがルシアンに文句を垂れる。
だがその腕は、未だに抱え込んだ身体から離れていない。ルシアンも、不思議そうにガルドを見上げるだけ。
「ええ?丸く収まったじゃないか」
「…………」
「…………」
はぁ――、と、重すぎるため息を、ラスタールがつく。
肩に乗りすぎていた重荷が、どれほど重苦しいものだったのか、……それが今のあっけらかんとした声で、ふっと抜けたかのような。
すっかりと脱力をしたラスタールを見て、ルシアンもするりと護衛の腕から抜け出した。
「災難でしたね、顔役殿」
「ええまったく……ルシアン殿の機転がなければ……どうなっていたことか」
言いながら、ラスタールの目線はガルドへと向いている。
ルシアンだけではない。何度も睨みを飛ばしてきて、何度も頬を引きつらせて、それでも蒐集家には手を出さなかった男。それが……その判断が街にとって、どんなに重要なことだったか。
「ガルド殿、本当に助かった……いつ拳を出されるかとひやひやしていた」
「……そりゃ……手出すなって言われたからな」
舌打ちとともにぼやきながら、ガルドが眉根を寄せて、巻貝をテーブルに戻すルシアンの横顔を見やる。
魔術師は、テーブルの上に置き去りにされた珍品の数々を、まだ物珍しそうに眺めている。
――"真贋を見極めてみせた審美眼"だとか、今はそんなのどうでもいい。
……いや、どうでもよくはないが、あと……大人としてあの場は流していたが、正直それどころではない。
(抱き寄せろって……)
抱き寄せた。寄り添われた。深い緑の気配が香った。
(清い身体じゃねぇって……)
思わず、期待と疑念混じりに、……無哭、己の素行を振り返る。
俺、なんもしてねぇよな……?と。
そして護衛のそんな困惑など知る由もなく、ルシアンはもうすでに、手早く帰り支度などを始めている。
「では、これにて失礼させていただきますね」
「ああ、本日は迷惑をかけた。蒐集家はもう近寄らんとは思うが……」
「"純白"ではない者には、もう興味もないでしょう」
ふふ、と柔和に微笑む顔に、ラスタールも苦笑を返す。
その微笑みで言われたら、発言の内容が真贋どちらか本当にわからない……。が、後ろに控えるガルドの戸惑った顔を見て、……顔役、安心。
――ただひとり、ガルドだけが、宿に帰るまで、混乱の渦中にあった。
――【純白の蒐集家】




