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 なぜか(おぼろ)なおふたりの顔を眺めながら、私の精神は遥かな十年前に彷徨っていました。


「ずっといっしょ……」


 そう、ありありと思い出すことができます。陛下のご不在に安堵しながら、ご帰還を恐れる私を慰めてくださった、ふたりの王女様とのひと時を。

 お腹が膨らんで臨月が近づくにつれて、私の死も迫っているのだろうとしか思えなかった日々のこと。出口のない暗い迷宮に閉じ込められたような息苦しさの中で、愛らしい王女様たちがどれほど私の慰めになってくれたことか。寄る辺ない身の上のおふたりを、決して置き去りにしてはならない、実の母君様たちを亡くした悲しみを繰り返させてはならない。そう強く感じたことも、昨日のことのようにはっきりと。


「ええ。ずっといっしょにいたいです。なにがあっても――」


 おふたりを安心させようと、あの時のように微笑んで力づけて差し上げようとします。なぜか紡ぐことのできた言葉は子供のようにたどたどしいものだったのですが――女王様も王女様も、ふ、と緊張を緩めて笑顔を作ってくださいました。花がほころぶような、見蕩れるほどに眩く華やかな笑顔です。


()()()!」

「嬉しい……!」


 飛びついてくる勢いも、抱き締める力も。先ほどよりも遥かに強くて、私はおふたりの間で激しく揺さぶられました。お酒の酔いがいよいよ回って目眩すら感じながら、ただおふたりのとろけるような優しい声に揺蕩(たゆた)います。


「復讐など無駄なのかもしれない、とも思っていたのです」

「父を、弟を殺してまで玉座を得ても、実の母は戻りません」

「純潔を保って父の血脈を絶っても、妹の次の王はどうせ男が立つのです」

「でも、お義母様がお母様のようだったから――」


 おふたりがおかあさま、と呼ぶ声の響きが変わっていることに、私は気付きました。それは何と甘く喜ばしい気付きだったでしょう。私はずっとこの方たちの母になりたかった。陛下のように恐ろしい男の子ではなく、優しく愛らしい娘たちが欲しかったのです。

 あの頃は力のない身が悲しくて悔しくてなりませんでした。実のお母様を亡くした、お可哀想な姫君たちの、支えとなって差し上げたかったのに。私は我が身の明日さえ知れぬ身でした。ああ、でもこの方たちはそんな私を守ってくださっていたのです。

 陛下への恐れや憎しみだけでなくて、お互いへの愛までも、私はこの方たちと同じことを思っていたというのでしょうか。そうだとしたら、何て美しく素晴らしい。


「お義母様が本当にお母様になってくださるなら――」

「ええ、なるわ。かわいいむすめたち……」

「本当に? 弟よりも?」

「むすこいじょうに。じつのむすめのようにおもっているの」


 痺れたように思うようにならない舌を必死に動かして、私は懸命に訴えました。おふたりに分かっていただきたかったのです。夫よりも息子よりも愛していると。あのように恐ろしいことをしたのでさえ、今ではおふたりのためだったかのように思えました。そう、私はこの方たちを守りたかったのです。娘を守りたい、全てはそのためだったとしたら――私の罪も、許されるのではないでしょうか。


「私たちも、同じ気持ちですわ」

「ずっと、一緒にいましょうね」

「ずっと、いっしょ」


 女王様と王女様がそう言ってくれたのが嬉しくて、思いを伝えることができたのに安堵して――その瞬間、ふいに激しい眠気が私を襲いました。がくりと倒れて、床に頭を打ち付けそうになった、その直前に、おふたりの腕で抱き留められます。


「本当に、良かった。これでやっと幸せというものを掴めた気がします」

「国と玉座と、誰にも脅かされることのない日々。それに優しいお母様まで」

「全てを取り戻すことができました」


 耳に掛かるおふたりの声も、私の体温と同じように熱くなって、涙を帯びているようにさえ思えました。それほどに感激してくださったということも、私の心を誇らしくくすぐり、私の行いは正しかったのだと信じさせてくれました。




 おふたりに支えられながら、私は寝台に横たえられました。髪を解かれれば気持ちが緩んで一層の眠気に誘われ、胸元を緩めてもらえば夜の空気が爽やかに肺を洗ってくれるようです。


「よくお休みなさいませ、お母様。痛みも憂いもなくす薬ですから」

「十年前と同じものですの。母たちが縋って集めさせた薬の中のひとつです」

「あの方たちの願いを叶えるものではありませんでしたけれど。でも、よく効きますから」

「お腹を痛めた子は愛しいものだと申しますでしょう? 私たち、お母様を取られたくありませんでしたの」

「妹なら仲良くしたかったのですけれど。弟は……父を思い出させるから」

「お目覚めになる時には、全て良いようになっておりますわ」


 代わる代わる呼びかけてくださるおふたりの声も、もう夢の(もや)の中に霞むよう。どちらがどなたかも分からなくて――ただ、優しい子守唄のように聞こえて。

 額を掠める女王様か王女様の冷たい指先。頬に触れる唇。いずれも心地良い感覚で、私は緩みきった心持ちで寝台に沈み込んでいきました。かつて眠ることは悪夢を見ることと同じだったというのに、このように安らかな眠りもあるなんて。


 目覚めるのも、夫や子供に怯えるためではないでしょう。もう私を脅かすものはいないのです。誰に殺される恐れもないのです。ただ、娘たちとの穏やかな日々が待っているだけ。私が密かに願った夢が、今こそ叶おうとしているのです。

 私はやっと王の妻ではなくなりました。これからは夫やかつての王妃様たちの影に怯えることなく生きていくことができるでしょう。痛みも苦しみも、もはや遠い過去のもの。女王様たち――娘たちが言った通り。やっと幸せを掴むことができました。


 十年以上浮かべることのなかった心からの微笑みを浮かべながら、私は深い眠りに堕ちていきました。

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