第七話 はじめての感情①
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声が出せなくなったのは、いつからだったか。
大切な手段だった。許しを請うための。救いを訴えるための。
切に願えば、いつか届くと信じていた。遠い昔、確かに優しかった母に戻ってくれるかもしれない。ごめんな、大切な一人娘を殴るなんてどうかしていた。そう言って、父が抱きしめてくれるかもしれない。そんな奇跡、起こるほうがどうかしているのに。
ならばせめて、この声が村人の誰かに届いてくれたなら。誰か、どんな形でもいいから、この檻から連れ出してくれたなら。
そう、泣いて、縋って、願って、泣いて、泣き叫んで。──けれど、祈りは届かなくて。
やがて、涙も心も涸れきって、神様なんて居ないのだと理解したある日。
「──目が覚めたら声が出なくなっていた、か」
神妙な顔で呟いた白に、都々はひとり感心していた。
あれから、診察室に案内しようとする都々をのらりくらりと躱す白に流され、二人は結局その場で立ち話を続けていた。
とは言っても都々は声を出せないので、白の問いかけに首を縦か横に振るのみだったが、どうにか事情は伝わったらしい。それもこれも、白の巧みな話術と高い理解力のお陰である。
詳細を伝えたわけではない。それでも、声を失ってしまったこと、それが突然の出来事であったことを分かってもらえただけで、都々の緊張は随分と解れていた。
「声が出なくなった理由に、心当たりは?」
その質問には迷わず首を横に振る。原因なんて分かりきっていたが、余計なことを話して秀一に伝われば、後でどんな目に遭うか想像に難くなかったからだ。
切れ長の澄んだ双眸が、即答した都々の瞳を覗き込む。その眼が全てを見透かしているようで、都々は思わず睫毛を伏せた。
「……まあ、いいか」
僅かな沈黙を挟んだ後、呆気なく緩んだ追求の手に安堵する。そっと視線を上げると、穏やかな微笑みが降り注いだ。
「なあ都々、もう一つ訊ねたいんだが──」
と、その時。
診療所内が俄かにざわめき、どこか焦ったような使用人の声が聞こえてきた。
外まで届いたその声は、内容までは聞き取れず、しかし都々と白は示し合わせたように顔を上げる。
「……気づかれたか」
苦い顔で呟いたのは白で、声の主を探るように遠くを見ていた都々は、白に名前を呼ばれて視線を戻した。
「都々」
かちり。燃えるような色の、けれど不思議と涼やかな瞳が、真っ直ぐに都々を見つめている。
「いつも丁寧な治療をありがとう。必ず、また話そう」
そう言って白がふと、都々より一回り大きな手を、ゆっくりと持ち上げた。
繊細でしなやかな、形の整った白魚のような手。見慣れた秀一のそれとは似ても似つかない、けれど大きいというだけで思わず目を固く瞑ってしまった都々を襲ったのは、想像よりもずっと優しい温もりだった。
「そう怯えてくれるな」
髪を撫でつけるように、頭の丸みをなぞるように、白の手が都々の頭を撫でている。
そして最後にぽんと天辺を軽く叩いた白は、呆然とする都々に笑みを深めて羽織を翻した。
何かを探すような声が近くなる。反対に、絹糸のような豊かな銀髪は、揺れながら次第に遠くなり──、
その日、白が治療室を訪れることはなかった。




