第六話 予期せぬ客人
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向けられる好奇の視線には慣れているが、こうも無垢だとどうにも居た堪れない。
白は、熱い眼差しを送ってくる村人たちに、できるだけ柔らかく微笑んで見せた。すると彼らは慌てた様子で目を逸らし、すっかり手の止まっていた農作業を再開する。
(やはり目立つか)
零れかけたため息を飲み込んで、肩から流れる白髪を指先で摘まむ。老いて色素が抜けたのとは違うコシのある豊かな髪は、太陽光を弾いて幻想的な光を織り成していた。
「びゃ……白様!」
村を出ると、明らかな怒り声が白を捕らえた。悪戯が暴かれた子どものような気持ちで立ち止まると、白より少しだけ背の低い若い男が、道の先から眉を吊り上げながら駆けてくる。
「こんな所にいらしたんですね。護衛を撒くのはおやめくださいと、何度申し上げれば分かっていただけるのでしょう」
白の目の前で立ち止まった男が、そう言って刺々しく白を睨む。対する白はそっと視線を逸らしながら「あー……」と面倒臭さを隠さずに応じた。
「撒かれるほうが悪くないか?」
「白様!」
「文弥。そんなに怒鳴ると血管が切れるぞ」
宥めるような白の台詞に、文弥と呼ばれた男はぐっと言葉を飲み込む。けれどすぐに、「誰のせいだと──」と反駁しかけたところで、白の腕を覆う人工的な白色に、文弥の目がぎょっと見開かれた。
「白様、お怪我を!?」
「いや」
仰天し、今にも白の腕に飛びつかんばかりだった文弥を一言で制し、白は包帯の結び目に指先を掛ける。
何度か引っ張れば、包帯は呆気なく解けた。
「……していませんね?」
解かれた薄い帯の先、現れたのはつるりと美しい珠の肌だ。首を傾げた文弥に「ああ」と白が首肯する。
「噂通りの娘だったよ」
文弥が勢いよく顔を上げる。動揺に染まった双眸を、白は静かに見つめ返した。
*
美しい青年、白は、それから何度も診療所を訪れた。都々の治療法であれば、通院の必要は皆無である筈なのに、何度も。
都々の治療が失敗したわけではない。治療の後、傷が残っていないことはきちんと確認しているし、なにより──白の肌には毎回、新しい傷が刻まれていた。
見目に限らず所作も美しく育ちの良さそうな青年なのに、実はやんちゃだったりするのだろうか。相変わらず白がこさえてくる傷は謎の黒い靄付きで、治療する都々の体力を延々奪っていく。
疑問はいくつも浮かんだが、知る機会は与えられなかった。診察している秀一がその内容を都々に教えるわけもなく、そしてあの日以来、都々は白と一度も話せていない。──秀一が、都々と白の接点を徹底的に封じているためだ。
白が訪れると、秀一は真っ先に都々を追い出した。
それは、白を診察室に待たせ、うっかり廊下で鉢合うなんて出来事すら起こらないよう注意を払うほどの周到ぶりで、治療室を締め出された都々は裏口から外に出され、その場での待機を命じられる。
その間、都々に許されることといえば、その日の空模様を眺めることくらいだ。
扉の前を離れることも叶わず、そうやって無為な時間を過ごしていると、やがて使用人がやって来るのだ。
「都々様、旦那様がお呼びです」
──そう、こんな風に。
裏口の扉を開けた使用人に淡々と告げられ、今日も今日とて締め出されていた都々は、空から視線を外して使用人を見る。すると、使用人は既に背中を向けて中へと戻る途中で、閉じていく扉を追いかけるように都々も後に続いた。
当然、治癒の力を持たない使用人とは、通路の途中で別れることになる。使用人は事務室、都々は治療室へと足を運び──辿り着いた治療室の先で、既に寝台へと寝かされた患者の瞳が隠されているのもまた、このひと月で随分と見慣れた光景だった。
無論、こんな特別扱いを受ける患者は一人しかいない。目隠しをしていても霞むことのない美貌に、寝台を流れる純白の髪。恭しく侍る秀一の姿が、患者の正体をよく表していた。
「……」
扉を開けるとすぐに、秀一の冷たい視線が突き刺さる。逃げるように目を伏せて秀一の隣に腰を下ろせば、軟膏塗れの患部が映った。
(やっぱり、黒い)
今回はどうやら脚を負傷したらしく、ふくらはぎの側面が赤く爛れていた。その中心にはやはり靄が取り付いていて、その不思議な傷口に、都々は慎重に両手を翳す。
瞬間、淡く色づいた唇が小さく震えた。
「……今日も、彼女では無いのか?」
唐突に口を開いた白の問いかけに、指先が跳ねる。「ええ」とにこやかに応えたのは秀一だ。
「なら、そこに居るのは例の補助職員とやらか。なかなか会えないものだな」
「助手には、そのとき手が空いている人間を適当に割り当てておりますので。治療自体は私が行なっておりますから、私は必ず、お側に居りますよ」
とんでもない大嘘つきだが、いまさら罪悪感も無いのだろう。平気で都々の存在を消す秀一を横目に、気を取り直して治療を始める。
都々が白と同じ空間に居られるのは、彼が目を隠されている間だけだった。治療が終わればまたすぐに、都々は部屋から追い出されてしまう。ほんとうに、ほんの少しも、二人が出会うことのないように。
あの日、都々との会話を望んだ心が本心であることを裏付けるように、白は常に都々を探していた。しかし、それが気に入らなかった秀一は、都々を「都々ではない別の誰か」として扱ったのだ。無口で物静かな、所長に従順な職員。それは、都々だとしても変わらないのだけど。
話したいとは思わなかった。どうしてそこまで都々を気にするのだろうと微かな疑問はあったが、それだけだ。むしろ白が都々の名前を口にする度、秀一の機嫌は悪くなり、そちらのほうがよっぽど気にかかった。
けれど、嫌だとも思わなかった。村の患者を相手にする時と、白を相手にする時では、心の有り様がどこか違う。言葉にするのは難しくて、だけどはっきりと自覚していた。白を前にすると、とうに感情を失ったはずの自分の心が、僅かに揺れるのを。
初めは手間取っていた黒い靄への対処も、回数を重ねる内に少しずつ慣れていった。村の患者を相手にするよりは疲れるが、もう立ち上がれなくなることは無い。
額に一粒の汗が浮かび、そっと息を吐いた都々は光の放出を止める。見下ろせば、ほどよく筋肉のついたふくらはぎはつるりと滑らかに輝いていた。
秀一からの指摘が無いことを確認した都々は、静かに立ち上がって部屋を後にした。どうせ外に出されるのだ。自ら進んで消えたほうが、お互い余計なコミュニケーションが増えなくていい。
治療室を出れば、背後から、秀一の甘ったるい声が聞こえてくる。
やたらと機嫌の良いその声は、まるで白の怪我を喜んでさえいるようで、肌を走った薄ら寒い感覚に、都々は無意識に腕を摩った。
「こんな所に居たのか」
予期せぬ客人が都々の前に現れたのは、その翌週のことだった。
梅雨の時季には珍しい快晴。蒼天を飛び回る小鳥を眺めていた視界に──突然現れた、紅。
「……!」
驚いて仰け反った都々に、客人の美しい瞳が柔らかく細められる。
どうしてここに。布で遮られていない視界で見るその人は想像よりずっと綺麗で、麗しい微笑みから目が離せなくなった。外に居る間くらいはと取り払った面布を握りしめている右手に、じわりと汗が滲む。
「まさか外に居るとはな。探すのに少し手間取った。……私のことは、分かるか?」
軽い口調でぼやいた男が、最後に不安そうに付け足す。分からないわけがない。都々は戸惑いながらも目の前の青年──白に、こくりと頷く。
「よかった。君の名前は……都々、だったかな」
わざわざ外を回って来たのだろうか。裏口でぼうっとしていた都々の意識を一瞬で攫った麗人の言葉に、よく憶えているものだと感心しながらまた頷く。すると、紅玉の双眸がじっと都々を貫いた。
「前にも言った通り、君と話がしてみたいんだが」
「……」
「……もしかして、本当に声が?」
眉を顰めながら訊ねられた言葉に、都々はしばらく迷い──やがておずおずと首を振り、本日三度目の首肯を返して見せた。




