第四話 美しい来訪者
*
欠伸が出るほど退屈な仕事だ。だから鬱憤が溜まる。
「次の方」
先生のお陰で救われましたと、しきりに頭を下げる患者を貼り付けた笑みで見送って、秀一は待合室に向かって声を投げた。
「……はぁ」
刹那、表情を削ぎ落とし、湧き上がる苛立ちを吐息と共に逃す。
得も言われぬこの苛立ちがどこからやってくるのか、実のところ秀一にも分かっていない。ただ、肚の底で蜷局を巻くそれは、日常が容易くあればあるほど質量を増していく気がした。
小さな村で営まれる世界は、全て秀一の掌の上だ。
誰もが秀一を慕い、畏怖し、文字通り全てを捧げてくれる。金銭も、土地も、願えばきっと、なけなしの衣類や食糧ですらも捧げるだろう。──命の保証と引き換えに。
注がれる崇敬の眼差しは気分がいい。情けない顔で手を擦り合わせる姿の滑稽さといったら、愉快すぎて笑いを堪えるのに苦労するくらいだ。そう、全て思い通りに廻っているのに。
飢えている。渇いている。
まるで心の一部が欠けているように、決して満たされることは無い。
ふと我に返るとき、どうしようもない虚無が押し寄せるのだ。そうして脳裏を過ぎる無機質な女の顔に、今度は怒りを覚える。轟轟と盛る怒りの炎は、いつだって秀一の神経を逆撫でた。
扉のドアノブが回る音がして、秀一は沈みかけていた意識をはっと呼び戻す。
小さな村だというのに、よくも患者が絶えないものだ。金になるからいいが、代わり映えのないやり取りは飽き飽きしてくる。
そんな冷めた心を押し殺し、秀一は扉が開くのに合わせてまた、人好きのする笑みを貼り付けようとして──、
「こんにちは」
凛と響いた声は、秀一のものではない。
姿勢のよい高い背丈。真紅に煌めく双眸。視界をひらめく穢れなき白に──この時、秀一の心は一瞬で奪われたのだ。
「……私の顔に、何かついているだろうか」
口をぽかりと開け、石像の如く硬直する秀一に静かな声が問いかける。後頭部、耳の高さで一つに括られた純白の髪が、傾げた首に合わせてさらりと揺れた。
「っぁ、いえ、えっと、……あっ! こ、こちらに、座っていただいて……」
「承知した」
ここに椛島家の使用人が居れば、きっと驚きに目を瞠りながら秀一を凝視したことだろう。
それほどまでにみっともなく狼狽しながら、秀一は目の前の椅子を震える手で指し示す。
秀一の誘導に、白皙の麗人は僅かに目を伏せて従った。頬に深い影を落とす睫毛もまた、一切の色を寄せ付けぬ白さを誇っている。
麗人の所作は、椅子に座る動きのひとつですら美しかった。意志の強い瞳と凛々しい眉、均整の取れた体つきは紛れも無く青年のそれであるのに、まるで、天女が現れたような錯覚を覚えてしまうほどに。
「ええと、本日はどういった症状で……」
言いながら、彷徨う視線を抑えられない。不躾と分かりながらつい観察するような視線を向けてしまう秀一に、麗人は「ああ」と自身の髪をひと房つまんだ。
「これは気にしないでくれ。先天性の疾患だ」
「あ……その、瞳も……」
「そうだ」
目を細めて麗人が微笑む。その笑みに秀一が惚けていると、麗人はおもむろに袖を捲り上げた。
「この傷を診てもらえるだろうか」
「これは……」
眼前に晒された、血が通っているのか不安になるほど白い腕。
しかし珠のような肌はどこか艶めかしく、無意識に唾を飲み込みながら、秀一は麗人の腕を覗き込む。
手首からなぞるように視線で辿り──そして、肘の辺りで目を留めた。
肘の内側、皮膚の一部が赤く爛れていた。火傷のような、蕁麻疹のような、美しい肌に似つかわしくない痛々しい傷に、秀一は眉を顰める。
「何か心当たりは……」
「さて。起きたらこうだったものでな」
「そう、ですか……」
「治せるか?」
無作法な問いかけだった。普通の医師であれば、一見しただけでは分からないと跳ね除けられてもおかしくない質問に、しかし秀一の答えは決まっている。
「ご安心ください」
秀一は顔を上げて、もう数えきれないほど口にしたその台詞を、機械のように──けれど、熱に浮かされ興奮に潤む瞳で吐き出した。
「当診療所の塗り薬で、あっという間に、元通り傷一つない肌に戻れますよ」
本エピソードから毎週、月・水・金の18時固定で一話ずつ投稿します!




