第一話 少女の一日、はじまり。
少女の一日はいつも、暗くて冷たい蔵の中から始まった。
と言っても、少女に朝の到来は分からない。陽の光が一切入ることのないこの蔵では、時間の経過が読めないからだ。唯一存在していた窓はその昔、脱走を試みたのが露見して二度と開かないよう封じられてしまっている。
遠い昔の話だ。今はもう、当時の反骨心は微塵も残っていない。
眠りから覚めても、起き上がる気力は少しも湧かなかった。疲労の残る気怠い身体を横たえたまま、少女は汚れた天井をぼんやりと眺める。
どれだけの時間をそうしていたのだろう。不意に扉の外で音が鳴って、少女は閉じかけていた瞼をゆっくりと開いた。
聞こえてきたのは、硬い材質同士が擦れ合う不安定な和音だ。恐らく、閂を持ち上げた音だろう。
迎えが来たのだ。いい加減に起きなければいけない。──分かっているのに、指先はぴくりとも動かない。
乖離する心と体に翻弄されながら、それでもどうにか、少女は扉に向かって首を傾ける。
床の凹凸と、冷たい温度が頬を擦った。物音はいつしか止み、少女の虚ろな眼差しの先で、光が細く射し込んでいる。そして、普段は固く閉じられた観音開きの扉が、ゆっくりと開かれた。
まるで、少女に地獄の始まりを告げるように。
「──チッ、まだ寝てるのか」
開口一番、吐き捨てられたのは嫌悪の篭もった舌打ちだった。
柔らかな朝陽を遮る黒い影。視界を暗い白衣が舞い、視線を上げると不機嫌な男の顔が映った。中肉中背。意地の悪い尖った顔立ち以外は、これといった特徴もない中年の男だ。
だが、扉の前に待たせた使用人の存在と、よく磨かれた傷ひとつない黒の革靴が、男の身分をよく表している。
「おい」
苛立ちを煮詰めたような声に、少女ははっとした。同時、脳が警鐘を鳴らして、身体が危険を悟る。
けれど、ひと足遅かった。
顔にかかった影が揺れた。追うように男を見上げれば、既に男の左脚は後ろに振り上げられている。──直後、男の靴の先が、容赦なく少女の太腿を蹴り飛ばした。
「……っ、」
痛みに顔を歪める少女に、しかし男の顔色は少しも変わらない。
少女を躊躇なく蹴り飛ばした無表情が、底の無い瞳で少女を見下ろす。
「起きろ。仕事だ」
命じる声に温度は無く、床に広がる少女の黒髪を踏みつけて、男は振り返らずに歩き去った。




