第十話 呪いの子
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「そうだ、白璃。明日の昼過ぎ、私の執務室に来てくれるか」
静かな夕餐の席。突然話しかけられた白璃は、食事の手を止めて顔を上げた。
視線の先では、斜め向かいに座る壮健な男が、真っ直ぐに白璃を見つめ返している。
しかし、返事を待つ男に答えたのは白璃ではなく、白璃の隣、席を一つ空けた先に座る、白璃と年の近い男だった。
「父上。お言葉ですが、ご公務であれば私が」
否やを言わせない鋭い声。白璃は止めていた手を再開し、味噌汁をひと口飲んでから、唱えられた異議に同調した。
「兄上もこう言っておりますし、私は遠慮しておきますよ」
しかし、父は表情一つ変えず「忙しいのか?」と訊いてくる。
「いえ、そういうわけではありませんが」
「ならいいだろう。煌仁、お前にはもう随分と他の案件を任せている。一人で全てやろうとしなくていいんだぞ」
それは恐らく、色々と抱えがちな息子を心配した親心からの言葉だったのだろう。
しかし、父の言葉に凛々しい煌仁の眉は跳ね上がり、その顔は怒りに近い不満で染まった。
「問題ありません。いずれ父上のお立場を継ぐ者として、このくらいは捌けるようにならなければいけませんから」
頑なな声は意固地で、どうにも曲がりそうにない。
白璃としては面倒ごとが減るに越したことはないので傍観に徹していたが、父はそうではなかったようで、僅かに眉尻を下げて、煌仁を宥める姿勢に入った。
「そこまで言うなら、二人で来るか? 私は構わないが」
「っ、どうしてこの男まで……!」
向けられた敵意は明確で、ともすれば人差し指まで突き付けてきそうな勢いだった。
白璃としては慣れたものだが、父は親らしく「煌仁」と硬い声で嗜める。
「お前たちは唯一の兄弟。支え合うことでよりよい政を為せるはずだ。無論、私にはお前たちを平等に教育する義務がある」
「いいえ、必要ありません。私ひとりで十分です。従って、父上が多忙な時間をこの男の為に割く道理もありはしないのです」
「……煌仁」
「いつの日か父上に認めていただけるよう、精進いたしましょう。父上の後を継ぐのは、私ひとりで足り得るのだと」
白璃からは見えないが、きっとその瞳は強い意志を秘めているのだろう。悪意は無いのだ。あるのはただ、国の頂に立つべきは己であるという強い信念。──白璃はその座に、さほど興味が無い。
父が何かを返す前に、宣言を終えた煌仁は立ち上がった。
「今夜はお先に失礼します。……明日は私も、執務室まで伺いますので」
「煌仁、まだ食事中だろう」
「残りは部屋で頂きます。頼めますか」
煌仁が壁際で待機していた使用人に目配せすると、使用人は頷いてすぐに配膳室へと下がった。その背中を見送ってから、煌仁もまた食堂を後にする。
しばらくの沈黙が流れ、淡々と食事を続ける白璃に声を掛けたのは、先ほどまでの威厳さをすっかりと霧散させた、困り顔の父だった。
「喧嘩でもしてるのか?」
「さて。だとすれば随分と長い喧嘩ですけどね」
煌仁の白璃に対する態度は今に始まったことじゃない。それは父だって分かっているはずだ。
素っ気ない白璃の返事に、父はほとほと困り果てたように呟く。
「どうしてあいつは、ああまでお前を敵視するんだか」
白璃はつい、噴き出しそうになった。理由なんてあまりに明々白々で、白璃が周囲から何と呼ばれているか、父も知らないわけでは無いだろうに。
「お前もあまり面倒がるんじゃないぞ。私が死んだ後、困るのはお前なのだから」
縁起でもない。今度こそ白璃は堪えずに笑い声を零す。
「そうですよ。ですから長生きしてくださいね、父上」
甘やかに笑んだ白璃の双眸には、肩を竦める父の姿が映っていた。
白き異端者。呪いの子。
それが、白璃について回る評価だった。
いつからそう呼ばれていたのかは知らない。きっと、産まれ落ちた瞬間からだろうとも思う。
「白璃様。そろそろお時間ですが──」
「ああ、悪いな文弥。もう出る」
規則正しいノックの後に声を掛けられ、応じると扉が開かれた。現れた侍従は、白璃を認めると盛大に顔を顰める。
「何か文句がありそうな顔だな」
「失礼ですが、その御髪のまま向かわれるおつもりで……?」
「駄目か?」
「寝起きのままじゃないですか」
もう、と唇を尖らせて、文弥の腕が白璃を鏡台の前へと押し戻す。されるがまま椅子へと腰を下ろすと、白璃は鏡越しに文弥を見た。
「家の中だしよくないか。辛うじて着替えはしたんだが」
「確かに、寝癖ひとつない綺麗な御髪ですけれど。せめてきちんと結うか梳くかはしていただかないと、煌仁様に怒られますよ」
嫌な例えを出してくる、と思わず苦笑する。文弥の指摘通り、やたらと形式に煩いあの兄は、ちくちくと嫌味を言ってきそうだった。
「兄上も放っておいてくださればよいのにな」
わざわざ嫌いな相手を視界に入れることもないだろうに。
特に他意を含んだ呟きでは無かったが、文弥は一瞬手を止めてから、サイドで緩く括られていた白璃の髪を解いた。そして、鏡台の引き出しからつげ櫛と金糸が織り込まれた上等な髪紐を取り出し、丁寧に髪を梳く。
僅かな絡まりすらない艶髪はほとんど櫛要らずで、簡単に梳かれた髪はすぐに後頭部で集められて一つの束になった。終わりに、緩まないようしっかりと髪紐で留めたら完成だ。
「はい、終わりましたよ。いかがですか」
文弥の言葉に、鏡の中の男を覗く。
人外めいた純白の絹髪が、血のように紅い瞳の中で揺れていた。




