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図書室の文通相手は…  作者: しゅり
彼Side
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彼Side 第5章 前編「止まっていた時間」

放課後の図書室は、今日も静かだった。


窓から差し込む光が、本棚の間に細く伸びている。

埃がその中でゆっくりと揺れているのが見えた。


ページをめくる音さえ、やけに小さく感じる。


この場所に来るのは、もう習慣みたいなものになっていた。


最初は、続くなんて思っていなかった。

返事がある保証なんてなかった。


それでも、今は違う。


来れば、ある。


ある前提で、ここに立っている。


もし、なかったらどうする。


そんな想像は、いつの間にかしなくなっていた。


なくならない前提で、受け取っている。


それが、いつの間にか自分の中に根づいていた。


俺はいつもの本棚の前に立ち、背表紙の隙間に手を差し込む。


指先に、紙の感触。


「……あった」


白い封筒を引き抜く。


見慣れた文字。丸みのある丁寧な筆跡。


中身を取り出して目を通す。


内容はいつも通り。


こっちを気遣ってくれる、優しい手紙。


押しつけがましくなく、でも確実にそこにある距離。


読み終えて、軽く息を吐く。


「……今日も来てるな」


それだけで、少しだけ気持ちが整う。


大きなことは何もない。


ただ、ここにある。


それが、思っていたよりも当たり前になっていた。


このやり取りは、日常になっていた。


図書室に来れば、そこにある。


ただ、それを繰り返しているだけだ。


封筒を元の本に戻す。


そして、軽く周囲を確認する。


誰もいない。


ポケットに封筒を入れる。


布越しに伝わる、紙の角の感触。


ここでは、誰にも知られていない関係だ。


余計な目に触れないように、いつも通りそうしておく。


知られたくないわけじゃない。

でも、知られなくていい。


「……返事、書くか」


机に戻り、バッグを開ける。


ペンはある。問題ない。


あとは便箋だけだ。


バッグの中を軽く探す。


「……ないか」


最後の一枚を使い切っていたのを思い出す。


「マジか……」


小さく呟き、立ち上がる。


仕方ない。コンビニに行けば買えるだろう。


ポケットの中の封筒を軽く押さえて、図書室を出る。


廊下を抜け、校舎を出る。


外に出ると、少しだけ風が冷たかった。


夕方の匂いが混ざった空気。

冷たい風が、体の横をすり抜けていく。


そのままコンビニへ向かって歩き出す。


特に急いでいるわけではない。


ただ、次にやることは決まっている。


便箋を買う。戻る。書く。それだけだ。


書きたいことは、頭の中にいくつか浮かんでいる。


今日の手紙の感想。

最近のこと。

他愛ない話。


早く書きたいわけじゃない。

でも、後回しにしたくもない。


歩きながら、ポケットの上から封筒を指でなぞる。


その途中で、前方に視線を向けたとき——


「あ?」


違和感に気づいた。


縁石の上を歩いている子どもがいた。


バランスを取りながら進んでいるが、少しふらついている。


そのすぐ横を、自転車が通り過ぎようとしていた。


反対車線からは、車も一台、こちらへ向かってきている。


スピードは出ていない。


けれど、距離は十分とは言えなかった。


もし、あの子がバランスを崩して――

タイミング悪く、車道側に転んだら。


頭の中で、最悪の光景が一瞬だけよぎる。


心臓が、ひやりとした。


「……いや、待て」


一瞬、考える。


間に合うか。

声だけで止まるか。


次の瞬間、体が勝手に動いた。


数歩踏み込み、子どもの腕を軽く引く。


触れた瞬間、想像よりも軽い。

勢いのまま引き寄せたせいで、肩に小さな衝撃が走る。


同時に、体をひねる。

踏み込んだ足に、思った以上の負荷がかかった。


脇腹の奥で、何かが引きつるような感覚があった。


「おっと」


体勢を支えて、縁石から下ろす。


その直後、自転車がすぐ横を通り過ぎていった。


間に合った——そう思った瞬間。


「……っ」


脇腹に、鋭い痛みが走る。


一瞬、息が詰まる。


さっき無理にひねったせいか、どこかに負荷がかかったらしい。


「うわ……」


小さく声が漏れる。


痛みは一瞬で消えず、じわじわと残る。


思わず片手で脇腹を押さえた。


子どもは驚いた様子だったが、すぐに落ち着いた。


「ありがとう……」


「いいから、気をつけろ」


短く返す。


呼吸を整えながら、手を離す。


大したことない。

そう思おうとする。


そのまま歩き出そうとした——が。


さっきの動きで、少しだけバランスが崩れていた。


足元の感覚が、ほんの一瞬だけ遅れる。


「……は?」


違和感に気づいたときには、もう遅かった。


踏み出した足が、思ったように支えにならない。


体が前に流れる。


「っ——」


踏ん張ろうとした瞬間、先ほど痛めた脇腹に再び鋭い痛みが走る。


「……くっ」


反射的に力が抜ける。


体勢を戻しきれず、バランスを崩す。


視界が揺れた。


次の瞬間、地面に倒れ込む。


「……っ」


鈍い衝撃が体に残る。


アスファルトの冷たさが、制服越しに伝わる。


呼吸が、一瞬だけ乱れる。


「お兄ちゃん!?」「大丈夫か!?」


周囲の声が飛び込む。


視界の端がぼやける中、誰かが近づいてくる気配。


「……いや、だいじょ——」


言いかけて、少し言葉が詰まる。


体がうまく動かない。


脇腹の奥が、じわりと重い。


倒れたまま、ゆっくりと状況を確認する。


ポケットの中の封筒の感触が、わずかに残っている。


便箋を買うはずだった。


返事を書くはずだった。


その前に、少し寄り道をしただけ——


——まあ、いいか。


ぼんやりと、そんな感覚が浮かぶ。


誰かを助けた結果なら、それで十分だろう。


封筒の角が、脇腹に当たっている気がする。


それを確かめる力も、今はない。


視界が少しずつ暗くなっていく。


いつもの流れは、その途中で止まったまま、

続きには進まなかった。

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