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図書室の文通相手は…  作者: しゅり
彼女Side
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エピローグ 「春の続き」

あれから、いくつもの季節が過ぎた。


そして春。


校門をくぐると、ふわりと懐かしい匂いがした。


土の匂いと、少し古い校舎の匂い。


私は思わず足を止める。


「どうした?」


隣を歩いていた彼が聞いた。


「ううん……ちょっと懐かしくて」


今日は、私たちの母校である高校に来ていた。


といっても、用事があるのは私たちではない。


「ママ、早く!」


前を歩いていた背中が振り返る。


少し大きめの制服。


まだ着慣れていないせいか、どこかぎこちない。


「そんなに急がなくても大丈夫だよ」


彼が笑いながら言う。


「参観終わったばかりだし」


そう。


今日はこの学校の授業参観だった。


4月から、ここに通い始めたのは私たちの子どもだ。


最初に志望校を見たとき、二人で少しだけ顔を見合わせてしまった。


偶然なのか、それともどこかで影響していたのか。


「同じ学校になるなんてね」


私がそう言うと、彼は笑って言った。


「図書室、まだあるかな」


その言葉に、二人で少し笑った。


そして今、その校舎の前に立っている。


校舎の中へ入ると、廊下は静かだった。


授業参観が終わったばかりで、ほとんどの保護者は帰っている。


子どもは友達と話しているらしく、

「先に帰ってていいよ!」と元気よく言っていた。


だから私たちは、少しだけ校内を歩くことにした。


懐かしい廊下。


窓から差し込む光。


壁に貼られた掲示物。


「あの教室、覚えてる?」


彼が指差す。


「文化祭の準備したところ」


「ああ、あったね」


そんな小さな会話をしながら歩く。


高校生だった頃は、この廊下がもっと長く感じていた。


でも今歩くと、思ったよりも短い。


大人になったということなのかもしれない。


廊下を曲がったとき、私はふと足を止めた。


そこにあったのは、見慣れた扉。


「……図書室」


思わず口に出る。


彼も足を止めた。


少しだけ笑う。


「寄ってく?」


「うん」


引き戸を開けると、静かな空気が流れてきた。


本の匂い。


少し乾いた紙の匂い。


その瞬間、胸の奥がじんわり温かくなる。


「変わってないね」


私は小さく言った。


本棚の配置も、机の並びも、あの頃とほとんど同じだった。


時間がゆっくり流れているような場所。


私たちは自然と奥の方へ歩く。


窓際の席。


昔、よく座っていた場所。


「ここだったよね」


彼が椅子に手を置く。


「うん」


私は本棚を見上げた。


あの頃、手紙を見つけた場所。


背表紙の隙間に、そっと挟まれていた封筒。


最初にそれを見つけたときの驚きは、今でも覚えている。


顔も名前も知らない相手からの手紙。


それが、毎週の楽しみになっていった。


学校の出来事。


ちょっとした悩み。


嬉しかったこと。


そんな言葉を、知らない誰かと交換していた。


そしてある日、気づいた。


その相手が、すぐ近くにいたことに。


同じ教室にいて、同じ授業を受けていて、同じ時間を過ごしていた人。


ただ、それに気づいていなかっただけ。


「懐かしいな」


彼がぽつりと言う。


私はうなずいた。


「うん」


もし、あの時手紙を見つけなかったら。


もし、あの時気づかなかったら。


今の私たちは、ここにいないのかもしれない。


そう思うと、少し不思議な気持ちになる。


彼が本棚に手を伸ばす。


一度手を止め、少しだけ視線を動かす。


しばらく迷うように本棚を見渡したあと、一冊の本を取り出す。


パラパラとページをめくる音だけが、静かな図書室に小さく響いた。


「さすがにないか」


彼は小さく笑う。


「何が?」


「手紙」


私は思わず笑ってしまう。


「そりゃそうでしょ」


でも、もし誰かが今も同じことをしていたら。


この図書室のどこかで、知らない誰かと手紙を交換していたら。


そう考えると、少し楽しい。


そのとき。


廊下から、にぎやかな声が聞こえてきた。


「ママー!」


扉が開く。


制服姿の子どもが顔を出した。


「やっぱりここにいた!」


私たちは思わず笑う。


「どうしてわかったの?」


「だってさ」


子どもは少し得意そうに言った。


「ここ、好きなんでしょ?」


私と彼は顔を見合わせる。


たしかに、よく話していたかもしれない。


この場所のこと。


この図書室のこと。


彼が手に取っている本を見て、子どもがふと聞いた。


「この本、何?《まだ知らない君へ》?」


子どもは本棚を見上げた。


「本、いっぱいあるね」


「そうだね」


「パパとママ、ここで勉強してたの?」


私は少し考える。


「勉強もしてたけど……」


彼が続けた。


「ちょっと特別な場所だったんだ」


子どもは首をかしげる。


「どういうこと?」


私は笑いながら言った。


「秘密」


「えー」


少し不満そうな顔。


でも、その表情を見ていると、あの頃の自分たちを思い出す。


きっとこの子にも、これからいろんな出会いがある。


友達。


出来事。


偶然。


それがどこで始まるかなんて、誰にもわからない。


図書室かもしれないし、教室かもしれない。


もしかしたら、本棚の隙間かもしれない。


私はもう一度、静かな図書室を見渡す。


ここから始まった物語。


たった一通の手紙から始まった関係。


そして今、私たちはこうして並んで立っている。


子どもが扉の方へ歩きながら言った。


「早く帰ろうよー」


「ちょっと待って」


そう言って、私は本棚に視線を向ける。


その一冊の表紙を、携帯でそっと撮った。


「何してるの?」


「なんでもない」


彼は少しだけ笑う。


私たちは図書室を出る。


扉を閉める前に、私はもう一度だけ振り返る。


静かな本棚。


窓から差し込む光。


あの日と変わらない場所。


そして、私は思う。


あの頃、ずっと楽しみにしていた手紙の相手。


顔も名前も知らなかった文通相手。


その正体は——


あの頃、同じ教室にいた人だった——。

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