第9章 前編 「これから先へ」
冬の冷たい空気がまだ残る三月のある朝。
私は少し早めに家を出た。
今日、図書室に向かうのはただの習慣ではなかった。
心の奥に、小さな決意を抱えている。
前回登校した日に、
『卒業式の前にここで待っている』
と書いた便箋を、あの本に挟んでおいた。
見ているかはわからない。
もし見ていなかったら、回収して帰ろうとも思っていた。
校門をくぐる。
いつもより少しだけ静かな雰囲気が漂う学校。
廊下の窓から差し込む光が床に細長く伸びていた。
私は心の中で何度も深呼吸をして、図書室の扉を押した。
「……あっ」
思わず声が漏れる。
そこには、もう彼がいた。
窓際の席に座り、背中を少し丸めて手紙に目を落としている。
図書室の静けさの中で、その姿がやけに鮮明に見えた。
彼を見つめた瞬間、胸が高鳴る。
目が合う。
その瞬間、鼓動が一気に早まる。
「……あの、あのね……」
言葉を紡ごうとするけれど、うまく声にならない。
準備してきたはずの言葉も、喉の奥で止まってしまう。
ただ、彼を見つめることしかできなかった。
そんな私を見て、彼が静かに立ち上がる。
「ちょっと待って」
一瞬、心が揺れる。
何かを見透かされたような感覚。
不安が胸をよぎる。
けれど彼の声は、やわらかく落ち着いていた。
「ごめん。俺から先に話してもいい?」
胸が跳ねる。
彼は少し恥ずかしそうに視線を落としながらも、迷いなく言葉を続けた。
私は静かに頷く。
「好きです。」
心臓がドキッとした。
彼は少し視線を落としながら、
「……これからも、一緒にいられたら嬉しい…です。」
涙が自然に溢れる。
目の前の彼も少し涙ぐんでいて、それでも笑顔で私を見つめていた。
「最初に始めたの、俺だったからさ……」
「……こういうのも、俺から言いたくて。遮ってごめんね」
その言葉に、胸があたたかくなる。
「嬉しい…」
泣き笑いでこぼれた声に、彼は静かに微笑み返した。
その瞬間、窓から差し込む光が二人を柔らかく包み込む。
ほんの短い時間。
けれどその中で、私たちは静かにお互いを見つめていた。
言葉ではなく、手紙で積み重ねてきた時間が、この瞬間を特別なものにしていた。
図書室を出ると、少しだけ冷たい空気が頬に触れる。
それでも、春の陽射しは柔らかく二人を照らしていた。
まだ少し肌寒いのに、心の中はあたたかい光で満ちている。
隣にいる彼と、これから先も。
手紙のときのように、少しずつ。
そう思いながら、私は図書室を後にした。




