さらばラウンステッド
潮に乗ってやってくる冷たい風の音だけが流れる静かな夜。抑揚の少ない声と共に暗い影から姿を現したのは、今日の昼過ぎにライア達の部屋を訪れたマーナリカだった。
側頭部から伸びる双角、身の丈ほどもある大翼。種族としての特徴はそこにいる義妹と似通うものの、こちらはそれより背も高く、顔付きも大人びている。
そして。
「あら。すごく若々しいエネルギーねぇ。あんたたち全員、この私が確保するわよぉ!!」
「えっ!?」
「うおっ!?」
「わっ!?」
暗闇からぬっと蛇のように這い出てきた長身の偉丈夫が、三人を司会に収めるや否や、ガッ、と登笈達を丸ごと引き寄せて抱き締めた。
「長い旅だったわね、ええ、本当に。日数にして幾らかしら? 歩数ならどれくらい? 数字にすると、なぁんだこんなもんかって思えちゃうわよね。
けれど、全てが貴方達の宝物よ。素晴らしいわ、三人とも」
「……ありがとう、ございます」
優しくも大きく、安心する腕だった。それが離れると、自然と香水の香りも去っていく。
寒い大地にあって、とても温かい人物。それが登笈達の持った、彼女に対する第一印象である。
「もっと言いたいことはあるけれど、お疲れ様を言うのは初対面の私じゃないわよね。
改めて、私はアルフィディクス=ミア。見ての通り身体は男だけれど、ヴェステン公爵家のお母さんやってるわ。よろしくね。———えっと」
長身の偉丈夫改めアルフィディクスは、包容力のある微笑と声で自己紹介をすると、登笈達青少年ズに視線を向けた。
「ライア=レアンドっス。アルフィディクスさんのことは父から聞いたことがあります。素晴らしい人格者だとか」
まず一歩踏み出したのは、三人の中で一番右に立っていたライアだった。彼は自分より頭一つ分は背の高い彼女に握手を求める。
アルフィディクス=ミアといえば、王国北端ヴェステン領の豪傑として名が知られている。気分屋で面倒臭がりと言われるヴェステン公の補佐役でもあり、そこらの貴族の当主よりもよほど発言力のある人物だと。
それがまさか眼前の彼女のことだとは思わず、ライアは反応が遅れたのだった。
「貴方がライアちゃんね。雷のリングの現行所持者。……ええ、よろしくお願いするわ。末長く、良い関係を築いていきましょう」
「現行……?」
「現行所持者。今の一瞬一秒におけるリングの所有者をそう呼ぶのよ。持っている人、なんてダサいでしょ? 呼び方はもっとスマートに、ね。保持者なんて呼ぶ国もあるわよ」
ふふん。と、アルフィディクスは軽いウインクを決める。それを合図に、次は真ん中にいたルーンが手を差し出した。おずおずと、珍しく自信が無さそうに。
「聖王国スタリエ家の次女、ルーン=スタリエです。よろしくお願いします、アルフィディクスさん」
「貴女がルーンちゃん。想像していた通りね、とても可愛らしい……強い子だわ。男だらけで不安だった———って様子ではないのね。男二人の性格も、貴女を見ればなんとなく見えてくる」
「あ、はい。二人とも、私をいつも気遣ってくれて……」
「うんうん。出会いに恵まれたわね。……でも、”その”隠し事はあまり良くないわ。誰かのためじゃないわ、貴女のためによ」
「……えっ。えっと、その———っ」
隠し事。その単語が口にされた途端にルーンが目を見開かせて左手を反射的に隠す。が、それをアルフィディクスは肩を叩くことで少し鎮めて、残った一人に向かい合った。
残った一人、登笈は向き合う彼女と視線を交差させて。
「枇杷の国出身、ステンネル公爵家養子の宮城登笈です。よろしくお願いします」
「登笈ちゃんね。ふふ、色んな方向に気遣いしすぎているのね。名乗りは千里くんの息子でも、ステンネル公の息子でも良いのよ」
「千里って……父を知っているんですか?」
不意に出た実父の名に登笈が聞き返すと、アルフィディクスは、もちろん、と隠すことなく頷いた。
「公爵に繋がる者が東陽七門臣の名を知らないわけがないでしょ?
四十万鉄滓。杜鵑。招船幽。白虎。時津風走薇。浅倉玄白。———そして、宮城千里。
文字通り東陽三国の門番として立ちはだかる最強の七人。私達にとっては、脅威と呼ぶべきかしら」
「脅威、ですか」
七門臣は、東陽三国全域の守護者として知られ、他国での騎士のほぼ同等の職種に該当する侍という兵士達の頂点に位置付けされる存在である。
現在は三ヶ国に分かれて内乱を続けているが、いざ外界からの侵略が起これば、一致団結して国の盾となる。その戦闘力は、七人がそれぞれ兵士千人分だとすら言われるほど。
そんな一騎当千の雄が登笈の父親なのだと、アルフィディクスは暗に語った。
「落ち着いたら、故郷に一度戻ってみることをオススメするわ。あの国の情報はあまりこちらにも入ってこないから、何が起こっていても不思議じゃないから」
「……分かりました。そうですね、僕も両親のことは心配だったのでいつかは行くつもりでしたから」
「———うん。じゃ、挨拶も終わったことだしぃ? マーナリカちゃん、三人を馬車の中へエスコートしたげてちょうだい。テレジアちゃんは、ピールル達の進路を誘導する準備を」
登笈との握手を終えると、アルフィディクスは三人の背中をとんと押してから、二翼の蝙蝠族によく通る声で指示を飛ばす。
辺りは暗く、月明かりが唯一の指針だが、夜でも周囲の環境が手に取るように分かる蝙蝠族が先導すればどんな場所も進んでいける。広場の中心で待つピールルとアールルの二頭も準備は万端だとばかりに鼻を鳴らしていた。
「承知致しました。では皆様、こちらへどうぞ」
「はーいっ!! む、む、む。見える……見えるぞぉお、暗黒の世界だってあたしの前では光り輝く。———『広域感知』!!」
「さぁ、出発するわよ。ソファの座り心地には目を瞑ってね。これより、ヴェステン公爵家メイド長アルフィディクス=ミアの名において、必ずや彼らを目的地まで送り届ける———ッ!!」
がたん。と、車輪が一回転。雪を巻き込んで進む雪馬車の乗り心地に登笈達が一喜一憂する中で、アルフィディクス、マーナリカ、テレジアの三人は前方を見据えていた。
「……行ったか。夜だっつぅのに、やかましい連中だぜ」
広場から緩やかに抜けていく雪馬車の後ろ姿をとある建物の屋上から眺めていたディザイアは、溜息混じりにその旅立ちを見送った。




