その頃のステンネルさんち
−アテリア王国 ステンネル領 セントホルンの街-
人界暦二二三年。
草花を撫でる穏やかな風が、野原を抜けて、道を吹いて、建物の壁を駆け上がって空へ空へと消えていく。街を彩るのは、領民の喧騒と笑顔。一日中鳴り続ける足音は、都市の豊かさと安寧を表していた。
アテリア王国の四大貴族、その一角として知られるステンネル公爵家の治める領地の中で最も大きな街。それが、登笈が幼少期を過ごした屋敷のあるここセントホルンである。
「……外は賑やかだわ」
窓越しに届く声に耳を傾かせながら、今しがた食事を終えたばかりのリアーネの母———ラティーナ=ステンネルは、ふっと眉を落とす。
「少し早いのかもしれないけれど、子供が巣立つとこんな風に寂しくなるのかしらね。……身構えていないと、本当にすぐその時が来てしまう、のかも」
「……心中お察しいたします、奥様」
「ええ、ありがとう。貴女もね、ミエス」
銀食器を片付けるメイドのミエス=グレミルは、そんなラティーナの姿に視線を曇らせていた。
現在、この別邸に人は二人しか住んでいない。三年前に王立学院、学習院にそれぞれ入学して寮生活を始めたリアーネと登笈はここにはいない。もう一人の家族のシュクルは、領主として本日もここより離れた本邸に住み込んで事務仕事をこなしている。
ということで、二人の子供がいなくなったので一気に寂しくなった———という単純な話でもない。ことは深刻である。
数ヶ月前に起こり、大陸中の無辜の民を震撼させたレベリオの宣戦布告。正体不明の集団による、問答無用の敵対行動。南部の帝国の軍事行動とはまた異なる脅威の発生があったからだ。
そして。襲撃を受けた都市の中には、学習院のあるネサラも含まれており、かの大都市が灰燼と成り果てた情報も当然ながらラティーナの耳には入っていた。
生存者が何名かいることも殆ど同時期に聞き及んではいたものの、安全と保護のためか、名前など詳細な情報は伏せられていて、登笈が生きていることは最早絶望的な状況だったのだ。
仕事で動けない夫の代わりに聖王国へ赴こうとしたラティーナだったが、関所の閉じられたエイトリー領を抜けられないためにそれも断念。
抜け殻のように日々を過ごしていた一時期と比べればかなり快復したが、それでも彼女は胃袋が二分の一に小さくなるくらいには窶れている。
「仮に生きていてくれたとしても……エイトリー領が閉じられているのでは、極寒の北部を抜けるしか道はないじゃないの。あぁ……もう、どうして」
ため息をつき、ラティーナは額に手を当てる。
ちなみに、エイトリー領の領主であるトリケウ=エイトリーには、シュクルが何度も打診を行なっていた。が、四大公一の老骨で頑固者の彼は聞く耳を持たず、国の安全保障のためだとして要求を却下してきている。
突如として台頭したレベリオという組織。その実態、素性の分からない状態で他国の人間をなるべく入れたくないというその判断は正しいわけだが、国内からも人を出さないというのはどうかという意見も存在していた。
「あの徹底ぶりがトリケウ殿の強みだし、いざ自分が困るからと異論を唱えるのも自分勝手なのかもしれないわね。それでも……」
「奥様のお気持ちは間違っておりません。……今はただ、心を落ち着けましょう」
「……ミエス」
「大丈夫です。登笈様でしたら、絶対に生きておられます」
座ったまま項垂れるラティーナの手に手を重ねて、ミエスが精一杯の慰めの言葉を口にする。
「そうよね。そうだわ、あと半年もすればリアーネも卒業して帰ってくるものね。……でも不安だわ。あの子もきっと登笈が行方知れずなのは知っているはず。
寮を出た途端に、スリージの方へ飛び出して行ったりしないかしら」
「ですね、お嬢様はとても腕白でいらっしゃいますから。
そういえば、王立学院も警備上の問題で卒業式は立ち会い不可で、やはり奥様の言うように、少し寂しいところはありますね」
「……ええ」




