義母の愛情
宮城登笈は内気な少年である。
それが、ラティーナ=ステンネルが彼に対して抱いた第一印象だ。
彼は元々、こことは遠く離れた異国の地で暮らしていた。遠い遠い東の国で、彼は強い父親と優しい母親の間に産まれ、たっぷりの愛情を受けてすくすくと育っていった。
しかし、まだ一〇歳に満たない頃に、父親である宮城千里が仕事で家を離れることとなる。それからは母親と二人で過ごし、近所の子供達と毎日遊んでいたらしい。
よく遊び、よく食べて、よく寝る子だった。母親譲りの優しさを持つ男の子だ。何もなければ、そのまま学校に通い、いつか戻ったであろう父親と再会し、三人で健やかな日々を過ごしただろう。
けれど、そうはならなかった。
それには、彼の住んでいた枇杷の国の抱える問題が関係している。
ステンネル公爵家のあるアテリア王国から東に進むと、広大な密林地帯が広がっているのだが、丁度それを超えた辺りにその枇杷の国はあった。その辺りでは対立する派閥同士による闘争が数年間続いており、関係のない国民まで巻き込むことも多々あったという。
治安こそ悪くはなかったが、隣町では人と人が殺し合っているような、殺伐とした状態が続いていたのだ。
そんなある日、登笈の住む町も戦火に焼かれてしまう。
夕餉の香りが漂う黄昏時に火の手が襲い、瞬く間に火事が広がって、気付いた時にはもう手遅れだったと。
彼がこのステンネル公爵家に養子としてやってきたのは、それから数週間後のことである。
身寄りを失ったとされる登笈は、枇杷の国の役人と名乗る人物によって母の実家であるここに連れてこられたのだ。
「……最初は、ずっと部屋に引きこもっていたのよね」
深呼吸をしながら、ラティーナは登笈を見る。
彼は今、初めてステンネル公爵家に迎えられた時と似た顔をしていた。ひたすらに申し訳なさそうに眉を曲げ、視線は下を向いている。
———こんな可愛い甥っ子を、導こうだなんて傲慢な考えは持たない。そんな資格も無い。けれど、手を差し伸べて、顔を上に向けさせるのが私なりの”姉”への恩返しだ。
なんて可愛いのだろう。なんて、そんな風に思いながら、ラティーナは義理の息子の頭を軽く撫でる。
「まぁそんな難しく考えなくていいわよ。貴方は優しい子だから、きっとお金のこととか考えているのよね。お世話になりすぎて、どうしよう、って」
「……いえ、そんなこと」
「隠さなくったって、顔に出ているわ。それに、リアーネはああいう性格だからすぐに決められたけれど、悩んだっていいんだから」
「………はい」
「登笈は、やりたいこととかないの? ほら、騎士になりたいとか、学者さんになりたいとか……あとは、なんだろ」
王様とか? と、ラティーナは続ける。
流れで始まった人生相談のような何かに、登笈は顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「そう、ですね。この屋敷に来てから今まで、自分のことに気を配る余裕なんてなかったので、あまりよく分かりません」
「……」
無言のまま、ラティーナは首肯する。
それはそうだろう、と。登笈は元々異国の人間。ステンネル公爵家云々以前に、この国の人間ですらなかったのだから。
アテリア王国の共通語を習得するのに、一年半以上も費やした。習得といっても、会話が出来るようになっただけで、読み書きにはまだ手こずっている。
初めて銀食器で食事をした時も苦労していたし、室内で靴を脱がないことにも驚いていた。細かいことを挙げればキリがないくらいに、登笈はこの国に慣れようと努力してきたのだ。
だからこそ、シュクルもラティーナも、当然リアーネも、彼を家族として迎えている。愛している。
我が子がどこそこに行きたいんだと、あれこれがしたいんだと、そう言ってくれることを待っているのだ。そうでなければ、こちらで勝手にここへ行けと学校を指定していただろう。
「登笈。どこに入学するかはあなたの自由よ。シュクルはああ言っていたけれど、別に王立と学習院のどちらでもなくてもいいわ。他のどこに———たとえ学校には通いたくないと言ったとしても、私はあなたを尊重するつもりよ」
「どちらかには通いたいです。せっかく義父上が用意してくださったのですし、それに、義母上の言う、やりたいことも探したい。色んなことを知りたいんです」
深く頷いて、ラティーナは屋敷の敷地の外へ、太陽の上る方角へと目を向けた。
「それでいいと思うわ。あなたのお母さんも、同じようなことを言っていたわね。とても昔のことだけれど、よく覚えているわ」
「……!! そうなんですか」
登笈の目が見開くのを見て、ラティーナは続ける。パッと両手を広げ、肩を竦めるような姿勢で。
「王立学院なんてかたっ苦しい場所イヤだ、あたしは学習院に行くんだ。って言って、そこで恋人作って、それっきり。結婚しましたって手紙だけ届いたのよ?」
すごく勝手でしょう? と、浅い息を吐く。
それを聞いて、登笈も東に顔を向けた。何か吹っ切れたように、はっ、と鼻で笑って。
「じゃあ、まぁ僕も学習院に行きます。面白そうなので」
「あら、そう? なら、それをしっかり伝えないといけないわね」
「もちろんです。……ありがとうございました」
登笈はラティーナの顔を覗き込んで、深々と頭を下げる。
ここいらではあまり見ない黒の髪。だが、その姿には懐かしい面影が感じ取られた。だからというわけではないが、ラティーナは目尻に浮かんだ涙を拭って、髪型が崩れるくらいにわしわしと頭を撫でる。
「先、戻っているわ」
そうしてから、彼女は長い髪をさらりと手で払い、その場を去っていく。
「………」
義母が去った庭で、登笈は月に手を伸ばす。どうやっても届きそうにない位置にあるそれが何だか握りやすそうな形をしていたので、そのままぐっと拳を作る。
ラティーナとの会話の中で、敢えて話さなかったことがある。母トフィア=ミヤギに関することだ。登笈は民間人救助の際に運良く見つかってここにいるが、母はそうならず、行方不明のままだと聞いていた。
登笈にとって、ステンネル公爵家の家族はとても大切な存在だ。嫌な顔どころか、実子のと区別すらせずに自分をあたたかく迎え入れてくれたもう一つの家族。
だが、物心のついた頃に感じた家族の温もりや、今は故郷とも言える枇杷の国に思いを馳せるのも事実だった。
母親だけではない。父親も、そして幼馴染の火鷺と姫愛のことも気がかりでならない。
この屋敷を出れば、きっと自分は彼らを捜すことに従事すると断言出来た。学校に乗り気でなかったのはそのためだ。そして、それが今の家族に対してあまり良くないことだとも考えてしまっていたから、それを打ち明けることもしなかった。
「……元気にしてるといいなぁ」
ほぅ、とゆっくり息を吐いて、邪魔な前髪をさっと払う。
そうして、屋敷の中へと戻っていく。




