白銀の都市④
ひょおひょおと、壁と窓との隙間を抜ける風が、青年の絹糸のように柔らかな髪を撫でていた。
まるで眠る我が子を撫でる母親の指先か、そのくすぐったい感覚に触れて、青年———ライア=レアンドはようやく、重く閉じられた瞼を持ち上げる。
「……あぁ」
寝ていたな。と、強烈にこみ上げる眠気に反応を示す。少しばかりべたついた肌の感覚と、張り付いた喉の不快感。しかしそれらを無視して、今しがたまで見ていた、見せられていた己の過去に辟易してみせる。
———分かってる。意地張ってねぇで、妹に会いに行けってんだろ。そんで、兄貴に礼も。
夢は誰かに唆されるものでも、お節介な言葉でもない。自分の頭が、自分に警告を促すものだ。少なくともライアは夢をそう捉えていた。故に、自意識の表層にある意地や格好付けをやめろと、自分がそう言っているのだ。
だが。と、しかし。あの両親が息子を心配しているかといえば、そんなことはないと即答出来る。そう言い切れるのも悲しいことだが。
家には帰らないと誓って学習院に入学した。ネサラでの日々は確かにライアに良い影響を与え、自身もまた言語や知識の習得に努めた。少し不真面目なところがあったかもしれないけれど、それでも彼なりに目標に一歩でも近付くようにと。
それはおそらく正しかったのだろう。だが、今の状況にあってはそうではなく、意固地になっているだけの子供だと。
ティファリアで、スイヨが言い残していった言葉を思い出す。
彼女はレイドと共に出立する前に、自分には時間が足りなかったと語っていた。時間が解決するだろう、ではなく、解決するための時間を作り出せなかったのだと。
———自分寄りに考えりゃ、それも理解出来る。急ぐなってんだろ。なぁ、スイヨ。
「って。俺は何言ってんだか」
「ほんとだよ。心配したんだから」
「———ッ」
腹から上にかけられた毛布を見下ろして、そう吐き捨てると、予想だにしていなかった声が隣から飛んできた。
通りの良い、女らしさと強かさを両立した音。ライアがパッとそちらに目を向けると、彼女は少し両頬に力を入れた顔で椅子に座っていた。
「……心配、したんだから」
「……」
普段は見せないルーン=スタリエの真剣な瞳に、ライアは言葉を失わせる。
彼女は心配をしてくれていたのだから、茶化すべきではない。そんな当たり前の感情を抱いてから、ああ、と彼は反省も込めて深く頷いた。
「……でも、うん。ありがとね、ライア」
「あれ? てっきり俺がお叱りを受ける展開かと身構えてたんだが」
「んー、一言で充分かなって。それに、私はライアに助けられてばっかりだから、出る言葉は自然と感謝が多くなるのです」
えへん。と、胸を張るルーンに、ライアはやれやれとばかりに息を吐く。
彼女だけではない。今は出掛けているもう一人も、ライアには感謝の気持ちで心が埋まってしまっている。ただ、別にそれは一方的なものではない。三者が互い互いに、家族同然の信頼を向けているのだ。全て受け取るには方が凝りそうな信頼を。
「あぁ、お互い様だな。それに”こいつ”も俺の力じゃねぇし」
言いながら、彼は左手を持ち上げる。人差し指に嵌められたそれは、汚れひとつ無い純白の指環。凝った装飾も、高価そうな宝石も無い、ただのアクセサリー。言われなければ真価に気付けないであろうこれこそが雷のリング。
学習院からこのラウンステッドまで、ライアと仲間の命を守り続けた妖精の遺志である。
「ここまで来ればもう危険なんざ精々が猛吹雪の大自然サマくらいだろうが、問題はどうやって国境を超えるかだな。流石に徒歩も限界ってもんがある気がしたよ」
「私も思ったー。疲れるとかじゃなくて、何かこう、足りてないって感じ? お金借りてでもソリとか馬車……はあるかわかんないけど、そういうの使った方が良いんじゃないかなー」
ここ数日続いた移動を思い返しつつ、二人はうーんと唸る。
当初、ティファリアからこの街までは一応ながらも道が整備されていて、尚且つ歩いて進める程度の積雪量しか無かったわけだが、次は極北と極北の横移動。
聖王国と王国の境界には、これまでとは比べものにはならない豪雪地帯が待ち受けている。
「あ、誰だろ。登笈帰ってきたのかな?」
「かね? すまん、出てやってくれ」
向き合って考え込んでいると、不意に部屋のドアが二度ノックされたので、寝転がっているライアに代わり、ルーンが椅子を立ち上がった。
そのまま、はいはーい、と駆け寄っていく。
「———どうやって国境を越えるのか。という話をされておりましたね。
それならば、ええ。心配無用でございます。何故なら、我らが皆様を無事、王国領に送り届けるからです」
そして。彼女がドアを開けた先に立っていたのは、何やら威風堂々と語る蝙蝠族の女性だった。
「……竜の次はコウモリか。また変な奴が出てきたな」




