白銀の都市①
宿屋のロビーから外に抜けると、そこには雪国の実感を味わえる世界が広がっていた。
しんしんと降り積もる純度の高い雪に、それを鉄のショベルで集めてどかしていく筋肉自慢の男たち。きっと日々の除雪作業で鍛えられるのだろう。
同じ聖王国の中でも、やはり北部というだけあって、今まで訪れたネサラやティファリアとは建物の特徴が大きく異なる。
殆どのものが三階建てであることや、屋根の形がかなりの急傾斜であることなどがそうだ。もっと見た目の話をすると、そもそも一軒ごとに壁の色が大きく違っていて、今視界に捉えている中でも、左から朱色、薄緑色、金糸雀色ととてもカラフルだ。
その色とりどりの壁面には溶け始めの雪結晶が付着していて、これがきらきらと、宝石箱か夜空のように輝きを放っている。
白雪に彩られた世界。環境と共存していく地域。それこそが聖王国北端、ラウンステッド。白銀の都市と謳われる所以であった。
「……」
さて。大きな街ではあるものの、しかし彼にとっては未開拓の土地。前情報なんて皆無に等しい、家路までの中継地点でしかない。
とりあえず観光気分で宿を出てきたものの、特に用事などないし、かといって折角の機会に適当な散策は勿体ない気がしてならなかった。
「まぁライアが元通りになるまでこの街に待機。……それまでにやることといえば、ヴェステン領までどうやって行くか考えるくらい、かなぁ?」
辺りを見回しながら、登笈はそんな風に独り言を口にする。
建物の高さ、数、建築様式。どれをとっても、都会とも田舎とも言えない街並み。そんな中で目にとまったのは、笑い声の絶えない大きな広場だった。
ベンチに座って話し込む男女。白い息を吐きながら、走り回って雪を投げ合う子供たち。寒空の下にあっても、枇杷の国やネサラと変わらない毎日を過ごしている人の姿に惹かれたのかもしれない。
何分かに一度の周期でやってくる、前方不注意の少年を避けながら、登笈はゆっくり広場の中心へと向かっていった。
そこに堂々と立つのは、女体の石像。体の線が細く、凹凸のある女性らしい体付きをしていて、薄いローブを纏っている。石の瞳がこちらの側を覗くことは決してないが、形容し難い威圧を感じさせるそれに不思議と目が吸い寄せられる。
「彼女に御用ですか。旅のお方」
「へ?」
じっと石像を見上げていると、背後から、暖かそうな格好に身を包んだ男性が話しかけてきた。旅人。そう呼び掛けられ、登笈はほんの一瞬だけ返事に喉を詰まらせたが、
「あ、どうも」
彼の目が自分にまっすぐ向いていることに気付いて、軽く会釈する。
「彼女……って、この石像のことですか?」
言いながら、再び石像に目を向けた。すると、彼はこくりと頷く。
「ええ、彼女は妖精像。ここいら一帯、と隣国アテリアの北部地域ですかね。その辺りで信仰されているモノです。
聞いたことはありませんか? このアストライアの大地には、かつて妖精が暮らしていた……なんて童話を」
「……妖精、ですか」
右斜め上に視線を投げて、少し思い返す。確かに妖精という名はまだ短い人生の中でも何度か聞いたことがあった。
初めてそれを知ったのは、ステンネル公爵家に移ってからだったか。妖精が登場する絵本があるのだ。登笈は、よく義母のラティーナに読み聞かせてもらっていたものである。
学習院でも、歴史や文化に関わる講義では必ず最初に軽く説明、紹介が入る。
「遥かな文明を持つ、教養の使者。それが太古の霊長である妖精。伝承によれば、我々の今の生活の土台を築いたとされております。実在していたのかどうかは、分かりませんがね」
男は、わざとらしく肩をすくめてそう言った。
妖精。妖精。人智を超えた力を持つ存在は、今の世でも当たり前のように存在している。アテリアとスリージを分かつ竜翼山脈の頂上に里を持つという龍神族、大陸南端の温暖な海に暮らす人魚族、大森林の蝙蝠族や猫人族。
物で言うなら、あのリングも妖精から授かったものだと言い伝えられている。
とはいえ何百年、下手をすると千年以上も昔の話。正確な記録など残っていないから伝承だなんて呼ばれるようになるのだ。
因みに、登笈は実在したと信じている側の人間である。何故って、そっちの方が人と話が合うから。あとはほんの少し、自分が生きていなかった時代を妄想するのに楽しみが生まれるから。
「長話をして申し訳ありません。どうか良い旅を。ああ、この街のチキンカツレツは絶品ですので、是非ともお立ち寄りくださいね」
「あ、どうも。そんなご丁寧に———って、カツ?」
カツと名の付く衣系揚げ物料理全般は登笈の大好物である。さぞや美味しいのだろう、と瞳を輝かせて、公園の外に去りゆく男性の背中を見送った。
しかし、部屋を出る直前にカツサンドを食べたばかりであるが。いや全く関係無い。いつ、どれだけ胃袋に入れても大丈夫なのが揚げ物。は、流石に言い過ぎかもしれないか。
「妖精、かぁ」
つまるところ、この像はラウンステッドの信仰の受け皿のようなものだろう。ならば、それに応じた態度を取らねばならない。
そう思い至り、登笈は数秒だけ目を閉じて、手を合わせる。特に理由はない。ないけれど、ただ、この旅を見守っていてくれと。それだけを願って。
「まてーっ!!」
「あはははは!! つかまえてみろーっ!!」
追いかけっこでもしているのだろうか。どたばたと走り回る少年少女を横目に、登笈はそのまま公園を後にした。
ネサラや他の四つの都市のように、レベリオを名乗る連中のせいで壊滅した場所が幾つもある。火の手と刃が迫るあの死地を身をもって体験したからからこそ、こんな当たり前の平和ボケが見られることに———油断した。
「おっと、前見て歩けよ坊主」
それは、登笈より二つ三つ上の年齢と思われる、目鼻立ちの整った青年だった。北端のこの地においては明らかに現地の者でないと分かる、日常生活に適さない厚いコートとマフラー。
軽くぶつかってしまったのは、気さくな街の男性でも、子連れの奥さんでもない。
喉を鳴らす音が、身体を伝って鼓膜に届いてきた。
目の前には。あの日、炎の中で遭遇したレベリオの一員。ディザイア=ラグナリアが立っていた。




