朝焼けに咆哮の轟く
焦点の合わない瞳を動かして、ぱちりぱちりと瞬きをする。
「……?」
ぼーっと洞穴の天井を眺めながら、何分か経過。胸からこみ上げてくる眠気を欠伸に変換すると、途端に寒気に襲われ、ぶるりと肩を震わせた。
もうかれこれ三日や四日は過ぎただろうか。何度目とも知れぬ朝を簡易的な寝袋と洞窟の静けさの中で感じつつ、登笈はゆっくりと上半身を起こした。
「———……あぁ、なるほど」
明瞭になった視界を右へ左へ動かし、両隣の寝袋が空になっているのを確認する。どうやら、二人はもう活動を始めているらしい。
暖かい朝だった。無論、雪原の真っ只中なので、暑いか寒いかで言えば寒いのだが、陽射しがしっかり地面に降りてきている感覚というのか。すぐに寝袋から出て立ち上がれるくらいには、人体に優しい朝である。
山の麓に設けられた小さな洞穴。入り口狭く、中は天井が少し高い。外敵の心配をせずに済むその空間が、昨晩の寝床である。
軽く屈んで、光射す方に顔を出すと、そこでは———そこでは、人の身の丈を越す体躯を持つ雪熊に、威力最大の電撃を撃ち落とす親友の姿があった。
「それ、朝ごはん?」
「おーよ。焼きゃ食べれる」
欠伸混じりにそう尋ねてみたら、雪景色に似付かわしくない焦げた臭いとともに、ライアの声が返ってきた。
「焼きゃあって……まぁそうか。焼けば食べれるよね、うん。腕とか太腿らへんとか、なんか美味しそうだし」
熊を用いた料理は学習院の食堂でも季節限定で何度か目にしたことがあるが、実際に口にするのは初めてだった。爪も太く、毛皮も厚くて顔周りは感情が捉えられなくて恐ろしいものの、こうして見ると不思議と食欲も湧いてくる。
それはまぁ、お腹が空いているから、だろうか。
「これ食って満腹になったら、今日こそはラウンステッドに到着、だろ?」
「そうだね。と、そういえばルーンの姿が見当たらないのは何で?」
一緒に出て行ったのかと思いきや、近辺にはいない様子だった。周りを見渡してみてから、事情を知っていそうなライアに問いかけると、彼は両手で髪をくしゃくしゃしたり、顔を洗ったりするジェスチャーを行ってくる。
「……風呂、があるわけないし、水浴び?」
と聞けば、彼はこくりこくりと頷いた。水浴びとは、気持ちは分かるが流石に風邪を引いてしまうのではないだろうか。そもそも湖面か池面かは知らないけれど、それ凍ってはいないだろうか。色々な不安が頭をよぎったが、登笈は、まぁルーンだし、と強引に納得をする。
それに、何より女心が分からないうら若き男子二人の間で、彼女はよく我慢してくれているのだから。
「じゃあ、手っ取り早く解体してしまおうよ。とりあえず四肢だけ良い感じに切り取ればいいんでしょ?」
頭や腹回りは、きちんとした知識が無い人物が弄ると細菌やら何やらでロクな目に合いそうにない。暑い地域よりは当然色々なことがマシなのだろうが。
「おう、任せる。焼くのはいつも通り俺がやるし、それっぽーくやってくれ」
「はいはい」
会話を終えてから、バトンタッチで登笈は雪熊の死体に近付いて、肩をごりごり回す準備運動をする。そうして、鞘から刃を引き抜いた。口から白んだ息を零しながら、ゆっくりと。
———。
———。
「はぁ。ちょっと筋っぽかったかな。けどお腹は膨れるし、うん、良い感じ」
食後の運動がてら寝袋を畳みつつ、満足げに登笈は腹の辺りを摩っていた。
筋肉量や食事を考えれば当然だが、雪熊の肉はやたらと固く、野性味もあって残念な味わいだった。ただ、それを補って余りあるほどに食べ応えはあり、満腹感も凄まじい。
「私もお腹いっぱいかも。ありがとね、登笈。お肉の大きさ、丁度良かったやー」
「そう? 良かったよ。あ、寝袋畳んどくし、置いといて」
「え———っとぉ、それは、ちょっとぉ……自分のは自分で片付けるから、大丈夫っ!!」
「……そう? まぁ、それなら」
せっせと不恰好に畳み始めるルーンを横目に、仕事の無くなった登笈は自分の荷物を背負って再び洞穴の外に向かっていく。
学習院に入る前は、リアーネに叱られるくらい整頓に無頓着だったものだが、予想だにしない環境での生活が続いたことで、それも改善されつつあった。具体的には、自分が取り出し易いように纏めよう、なんて考えの土台が生まれるくらいには。
「おーい、ライ———」
そして、屈んで入り口を通ろうとした瞬間。
「———来んな、登笈ッッ!!」
洞穴に射し込む唯一の光。自然光に安堵を覚える視界の中で、一面に広がる雪の絨毯が爆発でも起きたように激しく舞い上がり、静止を促す叫びと共にライア=レアンドが薙ぎ払われて空を飛んだ。
直後、カッと放たれた稲妻が檻のように地面を突き穿つ。が、”襲撃者”はそれに物怖じせずに、再び足元の雪を撒き散らす勢いで踏み出した。
「———っくそ。何だよ!!」
「登笈、ライア!? ちょっと、何が———」
「ルーンはそこにいて!! いいね!?」
あまりの騒々しさにやってきたルーンをその場に言葉で縫い止めて、登笈もそれ以上の説明をする暇も無く洞穴を飛び出した。剣を抜き、鞘を放り投げて、現状の自分に出せる最高速を以ってその襲来に追いついてみせる。
「———ッ止まれ!!」
ガギン———ッ!! という、勇ましい衝突音が銀世界を地平の果てまで駆け抜けた。
登笈の剣が、襲撃者の突撃を間一髪のところで受け止め、何とか拮抗するも、しかし刃が徐々に押されていく。背後で倒れたライアが復帰するまでの繋ぎではあるが、このままだと力負けして逆に自分の剣で顔面が切られてしまいかねない。
「……ッ!?」
彼が驚愕に目を見開いたのは、襲撃者の攻撃手段。振り切れば筋繊維の塊のような熊の腕だって切断出来てしまう刃に対して、それは腕で拮抗していたのだ。
そして、その腕の異様さ。ただの手や拳で剣と打ち合えるわけもない。その左腕は、爬虫類の鱗に似たナニカに覆われていた。
「こ、の……腕はっ!?」
あまりの膂力に腕の筋肉が震え始める中で、登笈はミッドの村で聞いた噂話を思い返す。
———龍神族。
学習院でも、歴史研究学の講義中にその名は何度も聞かされていた。
曰く、竜の化身。竜と同じ力を持ち、天の頂にて竜と共に暮らすモノ。太古の時代から存在し、かつて存在した妖精族とも対等に渡り合ったとされる最強の生物。彼らは人の姿を保ち、滅多に竜翼山脈から降りてくることもせず、ただ人と変わらぬ生を謳歌していると。
しかし、一度彼らが地上に舞い降りたなら———。
「その時は……ッ命を失う覚悟をする、べきだ」
———だったか。と、歯を食いしばり、必死に余力を注ぎ込んでその地面に足を押さえつけながら、かつて聞いたロア=スクレードの言葉を反芻する。
「ハッ。良い気合いだ、だが足んねェ。速さは良いが、力の向きが違ェなァ!!」
「ッ!?」
瞬間。登笈の懸命に灯していた意識がふ———っと飛び、脳裏に白い靄と星々の点滅を呼び起こす。
まるで建物にタックルを食らわされたような、質量の大打撃。全身の力を一気に跳ね返されて、雪の敷布団に人形のように沈んでいった。
「お前がすんのは、耐える努力じゃねェ。オレをブッ飛ばす気概だろォが。……んで、もう終わりかよ」
大陸北部へ抜ける寒風が、彼の金春色の髪を靡かせる。
明朝の雪熊のものとは違う、興味と高揚を示した瞳をぎろりと動かしながら、龍神族の青年はそうして一歩踏み込んだ。




