ひとときの休息
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「では……そのぅ、本当にありがとうございました」
何度目かも分からぬ謝礼の言葉を口にしてから、村一番の働き者だという男性はもう一度、深く頭を下げた。
彼の顔や腕には、幾つか擦り傷や内出血の痕が見られる。他の村人が言うには、彼は木こりの斧を握って野盗に抵抗していたのだという。騎士がおらずとも戦わなければいけないのだと。
その勇気にうちの阿保がえらく感動して、ホットミルクの乾杯を皮切りに始まったどんちゃん騒ぎが数時間前のこと。
ルーンはというと、外で村の子供達と元気に雪合戦やら何やらで遊んでいる様子。体力があって何よりだった。さて、登笈はというと。
「ふぁ」
眠気に襲われていた。
ライアが村の若者衆と騒いでいる中、こちらは刀剣鍛治師を父に持つという隻眼の老人から、剣の手入れについて教わっていたのである。というのも、勢いに任せて人の腕を切り飛ばすなどという、登笈的に恐ろし過ぎることをしでかしてしまったがために、その剣身には血がべったりと付着していたのだ。
それを鞘に納めるわけにもいかず、村の人の紹介に預かって、軽い授業を受けた後。村特製の野菜たっぷりどろどろシチューも味わって、もうすっかり就寝タイムだった。
「……自分があんなに怒りっぽいなんて、思わなかった」
はぁ。とため息を漏らす。
思えば、先のネサラでも半ば激情に突き動かされるような形で、ディザイア=ラグナリアと切り結んだような気がする、と。
「……」
それが必要なことかどうかはともかく、しかしおかげで生き延びたことは確かだ。ならば、指に残る柄の感覚には礼を言わねばならないし、慣れないといけない。
この民宿には時計が無いので、今が夕方か夜かは知りようがない。が、登笈は胸から込み上げてくる眠気に素直に従って、欠伸をしてから目を瞑った。お疲れ様、もう眠れと、身体に言われているような気がしたから。
「そ、いえば。……ルーンの、はなし。すぅ」
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鳥の鳴き声がしない朝は、不思議と起きた心地が悪かった。
学習院のバードバンドのメンバーはちゃんとどこかへ逃げられたのか、なんてどうでもいい心配をしながら登笈が起き上がると、既にライアは一階で荷物を纏めているところだった。彼は、階段をとんてん降りるこちらに振り返り、よっ、と手を挙げた。
「おはよう、ライア。今朝は早いね」
昨晩は遅くまで騒いでいたようだが、この男は謎にしっかりしているためか、朝が早いのだ。
彼が詰めている荷物は、村長から頂いた日持ちの利く干物などの食料類と水。リアーネほどではないが、綺麗に纏めているところを見るに、ライアは良いお父さんになりそうである。
「飯。何か食いたかったら、ジル爺が作ってくれるぞ」
「ありがとう。顔洗ったら、行ってくるよ」
「おう。準備終わったら、昼前にはここ出てラウンステッドに向かう。気力だけ準備しとけ」
ライアに返事をしてから、肩やら首やらの骨をぱきぽき言わせて外へ向かい、川に洗顔に向かった。だが、鏡面かと疑うほどに綺麗に凍結した川に絶句していると、通りがかった奥さんにここではなく逆側の方へ行けばまだ凍っていないと教わり、そちらへ向かって顔を洗ってついでに髪の毛もきんきんに冷えた川水で洗ってからタオルで水気を拭き取っていたら、またまた通りがかりの男性から娘を紹介したいと言われて家に招かれ、マリィという娘と大きくなってからまた会う約束をさせられて、それから色々あってようやく、登笈は朝ご飯にありついていた。
朝ご飯は、芋や豆を使ったスープと、小さなパンケーキが二枚という、中々にお洒落で可愛らしい献立だった。しっかり食べたければ、猪や鹿の肉を使ったがっつりメニューもあるらしいが、そちらは流石に朝から重すぎる。
パンケーキの絶妙な柔らかさを味わっていると、ジル爺という民宿の親父が裏から顔を出した。
「坊主。ラウンステッドに行くんだろう」
「あ、はい。どうしてもアテリア王国に行きたくて」
ジル爺は昨晩もライアと夜遅くまで話していたようで、登笈達の旅について少しばかり聞いたらしい。
「ラウンステッドまでは俺も若い頃に何度か行ったことがある。……こっから街道に沿って進んで行けば、問題無く辿り着けるだろう」
「ありがとうございます。まぁ雪で街道埋まってるって聞いたので、一日じゃ無理そうですけど」
「あぁ。だがよ、竜尾街道じゃ気をつけにゃなんねぇモンがある。滅多に出たりゃしねぇが、それに出くわさねぇようにしねぇと」
「……気をつけなきゃいけないもの?」
聞き返すと、ジル爺はこくりと頷く。
大降雪よりも、遭難よりも、それを最も危険視しなければならないと前置きをして、彼は登笈の向かいにどかりと腰を下ろした。
「龍神族」
そして、スリージ聖王国北部で知らぬ者のいない絶対強者の存在を口にする。
竜翼山脈の頂上で暮らすという、人でありながら竜を従え、竜でありながら人語を語る古の王者。彼らは、この長い歴史の中で度々人里に降りてきては、気の向くままに力を振りかざすという。
「随分と昔の話だがよ、そいつらの怒りを買ったせいで滅んだ町もある。リングまで持ってるあんたらの強さなら心配は要んねぇかもしれんが、頭の片隅には入れとくこった」
「……龍神族、ですか。気をつけます」
もぐ。と、切り取ったパンケーキを咀嚼して、登笈は静かにこの旅への意識を改めた。




