寒風に隠れて
割れた窓の隙間を、小さな小さな雪の結晶を運ぶ風が、蝶々(ちょうちょう)のようにはたはたと潜り抜ける。
埃と雪が混じる床を踏みながら、彼女は首から上が欠けた人型の石像の前まで歩いていった。
「許せとは言わぬ。ただ、そちらに送った子供達の魂をどうか……」
ここは、荒れ果てた景観からも見て取れる通り、放置された聖堂である。万年雪の寒冷地であるために蜘蛛の巣が張ったりすることはないが、人の手から離れた廃墟なのは間違いない。
女神か何かと思しき石像が頭を失っているのは、野盗の類の仕業であろうか。
厚手のタイツが汚れることも厭わず、彼女はその場に座り込む。そして、両の手を握り合わせて、望みと願いを言葉にした。本来すべき懺悔を片隅に放り捨てて。
黙祷、ではないが、目を瞑ってから数分。それから彼女は前触れ(まえぶ)無く立ち上がって、背後の入り口側に顔を向けた。
「どうも。ディザイア、ただいま戻りました」
不躾な足音が止まると、頭に雪の帽子を被った青年がそこに姿を現した。
毛先が巻かれた癖っ毛に、そこそこ整った顔を無駄にするほどの細く鋭い目付き。アンダーシャツの上には防寒具扱いの毛皮付きのポンチョを着ていて、腰のベルトには彼の武器が提げられている。
興味深そうに廃聖堂の内装を見回しているのは、ディザイア=ラグナリア。今や大陸全土に名の知れたレベリオの一員である。
彼の帰還に、ああ、と一言返して、彼女———ローディス=フレイは、それで、と続けた。
「どうだった、憂いは晴れたのか?」
「……そう、ですねぇ」
直属の上司に相当する彼女の質問に、ディザイアは言葉を選ぶような表情を見せている。望む成果は得られなかったと言外に告げて。
ネサラの襲撃から約一週間ほどが経過。追っ手として国内中に騎士が派兵される時期になっても、二人は危険を冒してまで聖王国領内での潜伏を続けていた。引き連れた大量の部下はヘンリーに任せて本拠点アザレイアに戻して。
その理由、というか原因は勿論ローディスではなく、ディザイアの方にある。
「やっぱ無いんですよね」
どうしたもんかと後頭部を掻きながら、雪を振り落として彼は息を吐く。
現在地は聖王国の極北ラウンステッドからほんの少し南に下りた聖堂。かつては雪舞う林の幻想的な景色が魅力的な観光地として知られていた街ミリシリアがあった地点だ。何故滅びたかというと長くなるが、山から降りてきた龍神族の怒りを買ったから、ととりあえずは知られている。
この旧ミリシリアから、ディザイアは自身の失態を解消すべく、騎士や野盗の争いが頻発するネサラまで遥々(はるばる)南下してきていた。それは、
「あの宮城登笈って餓鬼の、死体がね」
炎上都市において、彼が手酷い傷を負わされた少年の存在に起因するもの。
間抜けにも、ディザイアはそこで少年に自分の名を明かしてしまっていた。彼にとってそれは少年に対する礼儀であったが、言葉の裏には絶対に仕留めるという意味も込められている。なのできっちり心臓を止めるつもりが、突如視界を奪った極光によって己も意識を失うという大失敗を遂げたのだ。
因みに極光の正体は、部下の望みを聞いて廃聖堂に滞在しているローディス=フレイの雷魔法である。
「少々不本意だが、これは私の落ち度でもあるのだ。待てるだけは待とう」
「……すんません。ただ、死体が無い以上はどこを探せばいいものかと」
腕組みをして、ディザイアは打つ手無しと言外に告げる。
現在、ネサラは周辺の盗賊が廃都と化した街中を徘徊し、彼らが金品を盗んでは、調査に来た騎士がそれを成敗するといった闘争が続いている。
あの大火事を生き延びた者は悉くが野盗に捕まり、商品として売られているという。しかし、死体はやはり身につけていた金目の物だけ剥ぎ取られて放置されているため、少年の遺体が無いということは、つまり前者だと思われるが———。
「捕らえた騎士に聞いてみたところ、死にかけでも息があった奴は何人かいたらしく、そいつらはどっか近くに運ばれたって話もあるんです」
「……そうなると、厄介だな」
ふむ。と、ローディスは形の良い顎に指を添えて、考える素振りを見せる。
スリージ聖王国は、一つの街につき一個の小隊が駐在する仕組み。であれば、少年を保護したのがどこの街の所属部隊かが分からない以上は追跡の仕様が無いということになる。
ネサラ近隣の都市は大小含めて五つ以上あるので、それらを虱潰しに破壊でもせねば目当てが見つかりはしないと、つまりそういうことだと。
「部下の名前一つ知られたところでどうでもいいが、数少ない私の手駒が動き辛い状況は好ましくない……か」
「本当に……、面目無いです」
「私の落ち度でもあると言った。時間のことは、あまり気にするな」
「……いえ、帰りましょう。俺のことは、俺の落ち度です。ローディス様がそう言ってくださるのは嬉しいですが、仕方ないことです」
何秒か考えた後に、ディザイアはそう結論付ける。個人的な時間はともかく、ローディスの手間を煩わせるのはおかしいと。
それは彼が可愛がられているからこそのものだろう。期待を裏切りたくないという感情からの。
意気消沈した部下の顔を暫し眺めて後、ローディスはふっと肩の力を抜いた。
「わかった。心配するな。名が知れたところで、部下に手出しなどこの私がさせん」
それからディザイアのまだ若い頭に手を乗せて、くしゃりと頭頂部の髪の毛を軽く握る。




