ひとまず集合
「登笈〜っ!! 目ぇ覚めたんだねっ、よかったよぉ〜っ!!」
第一声。テーブルの前まで来て、堪えられずに涙で袖を濡らす登笈を見て立ち上がったのは、明るすぎない深緑色の髪が目を惹く可憐かつ端正な顔立ちの女性だった。大きくて、濡れたように綺麗な瞳と、白く透明な肌。彼女の持つ春風に似た穏やかな雰囲気は健在だが、身に纏うリブ生地のセーターとタイトなパンツは少しばかりの飾り気と女らしさが出ていて、学習院の頃とは違った新鮮味が感じられた。
席を立った流れでそのまま登笈にがっつり抱きついた彼女の名前は、ルーン=スタリエ。学習院入学時からの親友である。
「わ———っ!? あ、えっと……その、ありがとう」
同じ強さの感動を味わっていた両人だったが、しかし同い年の異性に抱きつかれたことで再会の喜びより恥ずかしさが勝り、登笈は一気に顔を紅潮させてしまった。
「……」
それを隣で見ていたライアが、照れている登笈を弄りたい衝動に駆られるが、つい先程同じようなことをして拗ねさせてしまったのが尾を引いて、何も言わずに口をつぐんでいた。
本音のところでは、あらぁーん登笈くんてば照れちゃってーうふふ、とか何とか言いたくて仕方がなかったのだが。だが。
「と、とにかく……無事で良かったよ、ルーン」
「うん、私も自分で自分が生きてたことにちょっと驚いちゃった。助けてくれた人に感謝しないといけないねー」
登笈から離れると、そう微笑んで彼女は椅子に戻る。そうして、再び湯気を立てるカップに口をつけた。
一部始終を黙って眺めていたライアもルーンの向かいの席を引き、
「ほら、座れよ」
と言って、登笈に隣の椅子を促す。
「———何だか懐かしいな。二人足りてねぇけど、これでやっと前に進める」
ようやく全員が席に着いたことで、まずライアが口を開いた。
学習院の制服も纏っていなければ、三名の若者を見守る景色も変わってしまったが、それでもまた生きて合流出来たその事実を彼は深く噛み締める。そしてそれは勿論、登笈とルーンも同じくだ。
「その前に聞いておきたいんだけど、レイドとスイヨはここにはいないの?」
店員から受け取った水で喉を潤してから、次に登笈が軽く手を挙げる。あっけらかんと、尋ねるには勇気が要りそうなことを単刀直入に。
すぐ前に会話に出た足りない二人。これが誰を指すのかはわざわざ確認するまでもない。この場にいないのは、レイド=ギアスとスイヨ=アルバーナだ。
「レイドとスーちゃんなら、一足先に国に帰っちゃったんだよ」
「へ、帰った?」
その問いに答えたのは、ルーンだった。
登笈が目を丸くして聞き返すと、彼女は備え付けの布巾で指と指の間を拭きながら、こくりと頷く。
「本当に運が強ぇって思ったよ。あいつら、俺が目ぇ覚ました時にはもう元気に動いててな。そんで勿論、お前が起きるまで待ってたかったみたいなんだが……」
「急がないと帰れなくなっちゃうかもって、行っちゃったの」
ライアの後に、ルーンが相槌を打つ形で続ける。
三日以上前の話だ。レイドとスイヨの二人は、治療院のベッドで目を覚ましてすぐ、それぞれの実家に帰ることを第一とした。ギリア王国とエドラス帝国。共に大陸南部、ここティファリアから帰ろうと思えば一ヶ月はかかるほどに距離の離れた国である。
とはいえ、町に滞在する為の生活資金は聖王国が負担をしてくれるため、手紙さえ送ればそれほど急ぐ必要も無かった。本来であれば。
「だが、そこだけが運悪かったというかなぁ……。悠長に、ってーと言い方悪いが、のんびりしてらんなくなったんだよ」
「どういうこと? あ、結婚相手が決まっちゃったとか?」
「緩い、緩いなぁお前は……。ってかあいつらが生きてたってのもそんな驚いてなさそうだしなぁ……」
むむむ……、と悪戯に失敗した幼児を彷彿とさせる表情、つまり浅い悔しさを噛み締めながら、ライアが言った。
しかし悪友のそういう考えは理解しているとばかりに、元学友はそれを鼻で笑ってみせる。と冗談はそこそこに。実のところ、登笈の中には心配も懸念もなかったのだから、驚きなんて無くて当たり前だったのだ。
だって。と、登笈は隣に座っているライアの方を向く。
「友達が生きてるかどうか分かんないような状況だったら、二人ともそんな顔してないじゃん絶対」
「……ぷっ。そう言われりゃそうかもな。いや悪い。寝起きから色々情報詰め込むのもどうかと思って、聞かれるまでとりあえず言わないようにしてたんだよ。
———そんで、これもその大事な情報の一つだ」
そう言って、彼はポケットから丸めたゴミ、ではなく、いつのものか分からないニュースペーパーを全員に見える位置に広げて置いた。
世界の動向や事件、事故。とある日はどこかの国の王の戴冠、またとある日は名門学院の入学式の様子。人々の娯楽となる話題を中心に纏められた情報紙。それがニュースペーパーである。
「あんな事件だ。当然載ってんだろうと思って買ってみたんだが、読んでみろよ登笈。こればっかりは驚くしかねぇだろうぜ」
「……うん、どれどれ」
「どれどれっておっさんかお前は」
変なツッコミを無視して、登笈は促されたままにそれを自分の側に寄せた。
一口にニュースペーパーと言っても様々だが、これはアテリアとスリージの同盟国間で出回っている物だ。なので言語による支障を気にする必要もなく流し読みを進めていく。
「……んっ?」
焼き上がったパンの香りがカウンターの方から風に乗ってくる中、登笈の目と指が、とある記事が目に入ったところでぴたりと止まる。
それはネサラおよび学習院の完全崩壊、ではなかった。もっと大きな範囲の、もっと大規模で重大なニュースだった。
自分達が経験したことが、自分達でもそんなことと言えてしまうほどの。
奇しくも、それは遠く離れた王立学院でリアーネ=ステンネルが読んだものと同じ週の記事である。
見出しに書かれていたタイトルは、レベリオ宣戦布告。内容は登笈が目を見張るもので、ポートフェリア、ラディン、ミストルティア、スアシア、ネサラの合計五都市を同時にレベリオを名乗る組織が襲撃したというものだった。
いずれも大陸の要所であり、経済的に大打撃となるのは勿論のこと、各国の連携にも大きな影響を与える場所でもある。
「ネサラだけじゃ……なかったんだ」
今や誰もが周知の事実を、登笈は今更になって噛み締める。ネサラもそうだが、名前の並んだ各都市は、要所であるが故に守りも厚いところばかり。これの襲撃はおろか、同時に崩壊させるなど、生半可な出来事ではない。
「そんだけの組織ってことだ。だから、運が良かったんだよ。全体を見れば死者の数は数十万規模でもおかしくねぇ」
「確かに。……でも、アテリアには何もしてないんだね。そこちょっと気になるけど」
「これからって可能性も充分あり得る。楽観視は出来ねぇよ。妙なのは確かだがな、こんだけデカい街ばっか狙っといてそこスルーってのも」
ふむ。と、二人は肩を並べて小首を捻る。
今しがた話した通り、襲撃を受けたのはこの世の誰も疑わぬ大都市である。しかし不思議なことに、大陸最高の国であるアテリアや、東端の東陽三国には一切の被害がなかったのだ。
それを盤上に置くと、レベリオは単に主要都市を狙っただけではなく、明確な理由や目的があって標的を定めたと考える者もいた。一方で、単に頭数や戦力の問題で、手を出せる場所にも限界があったという説も流れている。中には、この一件がアテリア王国によるものだという暴論を翳す者も。
「んで、こっからが話の続きなんだが、これのせいで結構色んな国が国境を封鎖しちまってるらしいんだわ。理由は……想像付くよな?」
「国が揺れる中で、他国から人を入れるのは不安だから……かな。もっと言うと、他国が信用出来ない状況だからとか」
登笈が出した予想は極端すぎるが、道筋は間違っていない。単純に、一人二人で大都市を落とせてしまう輩が悪意を持って大陸を彷徨いている現状が各国を震撼させているのだ。以前より戦乱の時代が続く大陸南部諸国は特にこれを重く捉えており、国境を閉じる判断に意外性もあまり無かった。
東陽三国は大森林という天然の要塞で他国と国境を隔てているため、特にそういったことは今の所無く、現在登笈がいる聖王国も隣国アテリアとは同盟関係にあり、精々が国境警備の強化程度だろうと考えられていたが。
「よりにもよって、南のエイトリー公が領地を閉じやがったんだ。あんのクソじじい、臆病が過ぎんだよなマジで」
と、ライアが嫌いなものを語るような顔で言った。
エイトリー公とは、アテリア四大貴族の一角を担い、王国南西に広大な領土を持つエイトリー公爵家、その当主トリケウ=エイトリーを示す名前である。
彼はこの情報が耳に届くや否や、すぐに外部の人間による領内の通過その一切を禁ずると発表したのだ。そのため、南部に戻りたいレイドとスイヨは、急ぎここを発つこととなった。
それを聞いて、ようやく登笈はなるほどと得心を示した。
大都市が丸々五つ消滅した。そこから生じた不都合は大きなものだけでなく、個人レベルにまで細かいところまで発展していくものだと。
「スイヨの方は渋々って感じだったか。レイドも結構な顔して行きやがったから、ちっとばかし心配はしてるんだが、んー、心配くらいしか出来ねぇからなぁ」
「なるほどね。……ん? エイトリー領が通れないってことは、僕達も北から迂回しないと家に帰れないってことじゃない?」
「はい出たそのとーり」
ハッと顔を上げて登笈がそう言うと、ライアは指を鳴らして相槌を打つ。ルーンはというと、今度はホットケーキを頬張ってご満悦。
もう三年も前になるが、入学の際はステンネル領を出発して、レアンド領を横断、エイトリー領を抜けて聖王国領に入ってきた。その道が使えないとなれば、竜翼山脈を北に迂回して、北部ヴェステン領から入国しなければならない。
「遠すぎるが、金の援助は聖王国から出んだから、後は時間の問題。そんでヴェステン公がビビって国境塞ぐなんて絶対ありえねぇから、これが確実だ。……俺はどうでもいいけど、お前は帰りたいんだろ?」
「———そっか、ライアはお家に……あんまり、その」
腕組みをしながらライアが言うと、向かいに座っているルーンが言いにくそうにぽつりぽつりと零す。
彼が貴族嫌いで実家に帰りたくない人間であることは、彼の周りにいればいずれは聞く話だ。長男を過度に優遇し、それ以外の子は政治的な道具としてしか見られない。そんな当たり前のルールが嫌いで、家を出たらもう二度と帰らないとは何度も言っていた。
彼は一度どこか何も無いところに視線を伸ばしてから、自分の手を広げる。
「あぁ、俺は帰らねぇよ。けど、自分一人で生きる……俺の目標が今叶えられるかっていうと、多分無理だ」
実家の力を借りずに日銭を稼いで、レアンドの名を捨てて生きること。それが未だ近くはない目標のままだと。
果たして卒業まで学習院で学びを続ければ、なんて”あるいは”に意味は無いが、自分の打ち立てた夢に今は届かないと結論を出したからこそ、同じような境遇にいたスイヨは国に帰還することを決めたのだ。
「登笈とルーン……お前らはどうすんだ?」
しかし、頭をひねってみても答えが出そうにないと踏んだライアは、一先ず周りに同じ質問を投げかける。
「……んんん」
それに対して、ルーンがまず唸る。
彼女は生まれがそもそも聖王国なので、実家に帰るというならそう距離もない。登笈が目を覚まして再会を済ませた今、悩む理由など無いはずだが。
「私はその、私が家にいてもお金使わせちゃうだけだから、なるべく外にいたいんだよね。お手紙はちゃんと送ってるから大丈夫だし」
「そういうもんか? 女の子が家出たまんまって結構あれのような気がするんだが……」
「帰らないなんて言ってるライアに言われたくないよ。それに、分かってくれる」
「———ぐっ」
「……」
図星を突かれ、ライアは再び腕組みをして押し黙らされてしまった。それは、のほほんとしているルーンのことだと思って聞いていた登笈も同様に。
彼女は今、確固たる考えを持っている。ライアの帰らない決意、レイドの復讐、柳花の東陽統一と同一のそれを。
言い切ったルーンは、満足した様子でカップに口をつける。
「登笈はどうなの?」
「———僕は」




