たとえ目覚めても
快適な眠りについていたルーン=スタリエを起こしたのは、ベッドを襲う微弱な揺れと、白んだ朝焼けのような稲光だった。
誰よりも早く彼女が目覚めた理由は空腹からか。ふあ、と欠伸をして伸びをしてから彼女は起き上がり、スリッパを履く。そうして色々してから、からりと窓を開ける。
「———わっ」
すると、雨風が一気に部屋の中になだれ込んできたので、慌てて窓を閉じ直した。
———すごい雨。これ明日も続くのかなぁ。
講義には髪を括って行った方が濡れても気にならなくていいかもしれない。と、そうこう考えながらベッドに腰を下ろす。時計は、暗くて見辛いがまだ三時半の辺りを示していた。なので、二度寝をしていてもまだ大丈夫な時刻である。
もう一度、手を口に添えて大きく欠伸———をしようとしたところで、カッと空が白く光った。その後にごろごろと、よく竜の鳴き声に例えられる空唸りの音が遅れて響く。雷雨だったのか。改めてそうルーンが認識したその瞬間。意識が飛びそうになるくらいに壮大な轟音と、机の上に置いてあった小物がそこから来る震動によって床に散らばった。彼女の脳が本当の意味で目を覚ましたのは、きっとこのタイミングである。
「……なに、これ」
生唾を呑み込んで、再び今度は靴を履く。揺れは続いていない。歩く程度なら可能。念のため壁に手をついて、ぼさぼさの髪を手櫛で最低限整えつつ、黒のインナーの上からベージュのジャケットに袖を通す。下はスラックスに履き替えて、それから最後に靴紐を結んだ。
一先ず出られる準備をして、ドアノブに手をかけてから、数秒。視線が右往左往する。これを開けていいものか。果たして、開けた先に何があるのか。これまで生きてきて感じたことのない揺れと、聞いたこともない音。それらが起こった今に何があるのか。
だが、何の事は無い。意を決して開いたドアの向こうに、もう道は残っていなかったのだから。
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凄いなんてもんじゃない。僕が隣の部屋の人にノックで起こしてもらった時には、第一校舎も第二校舎も大浴場も大図書館も全てが全て、屋根の上から大きなハンマーで叩きつけたかのような跡を残して崩壊していたのだ。
外は阿鼻叫喚の図を呈していた。滝のような雨に打たれる中、誰もが部屋着のまま外に飛び出して、逃げる道を探している。それを先導する声も聞こえはしたが、なにせ他の声や音が多すぎて、それだけを識別出来るような状況じゃない。
だけど、どうすればいいのか考えている間にもあの砲撃のような雷が一つ、また一つと落ちてくるんだから、誰かの助けを期待するだけじゃ、自分の身が危ない。
仮にみんながみんな、避難誘導に従うくらい平静であれば、また状況は違ったのかもしれないけれど、それは考えても仕方がないと思う。
「だからッ、変な奴らが武器持って暴れてんだって!!」
「嘘だろ!? じゃあどうすんだよ!!」
「ってか先生達はどこにいんのさ!? グリザリオ先生とか騎士だろあの人!?」
頭がおかしくなりそうだった。至るところで声が飛び交っているせいで、思考が耳に引っ張られる。建物も目印になるものは全部崩れてしまっていて、正直、今何処にいるのかもわからなくなってきている。かなり、まずい。
そもそも、一体何がどうしてこんな状況になっているんだろう。起こされた時は凄い雷雨だな、くらいにしか思わなかったけど、これはそんなもんじゃない。
さっき聴こえてきた情報を頼りにするなら、武装した集団によるネサラの襲撃、と取っていいのかな。でもそれだって言うだけなら簡単だけど、いざやるとなると相当な準備が必要だ。ネサラはスリージ聖王国最大都市なんだし、それを守れるだけの騎士が駐在している。生半可な数や練度じゃこの街は倒せない。
だけど。
「まずいまずいまずいって!! もう周りは火の海になっちまってる。どこでもいいから早く出ないと逃げ場なんてなくなるぞ!!」
問題は、今も建物をばかすか壊してる雷撃にある。あれさえ無ければ、実際のところタダのテロでしかないはず。
庭園まで逃げてきたおかげで、瓦礫の崩落を心配する必要は無いけど、ここから見える半壊気味の女子寮が少し、いやかなり心配だ。ルーンやスイヨ、久能はちゃんと逃げられているんだろうか。まぁ僕なんかより強かな子達だから、きっと大丈夫だと思いたい。
「……そんなことより、まずは僕が逃げなきゃだよね」
拳を握って、僕は不安がかき消せるようなポーズを取る。とにかく、ここにいたら駄目だっていうのだけは本当に確実。今のところは騎士の直接の助けも期待出来ないし、走って逃げるか、隠れてやり過ごすかの二択で後者は怖い。
「なら、行くしかないじゃないかよ」
道が塞がれているわけじゃない。外門は人が多すぎて出るには時間がかかりそうだけど、敷地から他の人の家や木々に飛び移っていいなら、経路はある。
ライアと合流したい、レイドを頼りたい、ルーンを捜したい、スイヨに勇気を貰いたい、久能の知恵を借りたい。そんなもんは、一人じゃ怖くて進めないことに尤もらしい理屈を貼り付けてるだけだ。とにかく動き出す。その後は何とでもなるはずだ———。
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「あ、宮城? あいつならさっき男子寮の近くで見たけど……知らねぇよ、それより早く逃げねぇとやばいだろ」
首筋の汗を拭いながら、知り合いの男は軽く目を逸らした。
どうやら、親友は見つかりそうにないようだ。おそらく瞳には感情が漏れていただろうが、敢えて表情に出さずに、心の中だけで盛大にため息をつく。
「あれ、見えるだろ? 校舎も、女子寮も、男子寮だってさっき雷が落ちて、もう中に誰か残っていても助けにはいけねぇくらい燃えてやがる」
男が指差した先には、確かにそんな絶望的な光景が広がっていた。つい先程までは静かで居心地が良くて、そこそこに快適だった彼らのホームが燃えている。上から下まで炎に包まれて、まるで巨大なキャンプファイヤーでも眺めているかのように壮観な景色である。
煉瓦で出来た建物は素材の関係上か燃えずに残っているが、結局のところ、枠組みだけが残っているといった様子にも見えた。
「よくわかった。じゃあ俺は行くけど、もし登笈……レイドとかスイヨ、ルーンに会ったら、北で待ってると伝えてほしい」
「はぁ? いやいいけど……お前行くってどこ行くんだよ。先生もいないし、外出たら殺されるかもしれないんだぞ?」
「だから、よくわかったって。けど、俺は自分で詰んだなって確信するまでは諦めたかねぇんだよ。グリザリオ先生も、騎士の人だって、助けに来るならもうとっくに来てんだろ」
そう言い残して男の横をすり抜け、ライア=レアンドは左手を顔と水平の位置まで持ち上げる。
まだ頼りない細く白い手には、自分の実力に見合わない力があった。雷のリング。この現況を打破するための唯一といっても過言ではないジョーカー。戦うわけではない。自己防衛に努めて、街の外まで道を作る。残念ながら、誰かを救っている余裕はない。
———頼むぞ。
左手をぎゅっと握りしめ、そこから彼は一直線に走り出す。崩れた建物の隙間を駆けて跳び、瓦礫の角を掴んで、外門とは真逆の方向の壁に手を触れる。
心臓の鼓動を血管伝いに鼓膜で聴きながら、ぽかんと開いた口を無理やり閉じる。大丈夫だと、やれると自分を鼓舞して、ライアは指先に力を込めた。
「俺に、力を貸せッッッ!!」
瞬間。ゴ———ッ。と、ライアの手のひらから、壁面を薙ぎ飛ばすほどの威力の電撃が放たれる。
雷のリングは持ち主に呼応し、その能力を引き出したのだ。屋根ごと石畳の道を割るような、ネサラに降り注ぐ雷撃の雨とは勿論レベルが異なるが。
くり抜かれたような穴が空いた壁だったものを通り抜けながら、ライアは電気で生じたものでなく、感動から生まれた腕の痺れに心を震わせていた。
兄からこれを預かった時から何度か試しに使ってみたことはあったが、今回のように明確に目的があって発動するのは初めてだったからだろう。男の子だから、というやつだ。
「何だって出来る気がしてくるな」
因みに、感想も男の子だった。
辺りは火の海。逃げ惑う人の悲鳴や、助けを求める子供の声が幻聴のように響く。こんな地獄のような景色も、見覚えのある場所を下地にしているせいで、言い表しようのない不快感が嘔吐を誘うものだ。
「……よし、あっちだな」
街の北を目指すといっても、燃え盛る火炎の隙間を潜って行くなんてことはあまりしたくないため、必然、なるべく火の手が遠い表通りを進んでいくことにはなる。
ジョギング程度の、息が切れないペースを保ちつつ、ライアは直感のままに走り始めた。




