最後の放課後⑥
「いっただきまーす!」
新鮮な油の香りが食欲を唆る。すーっ、と鼻腔でそれ単体を味わってから、ラヲは待ちきれないとばかりに、じゅくじゅくと音を立てる揚げたてのカツサンドに齧り付いた。
サクサクの衣と、程々に脂が乗った仔牛肉、厚めにカットされた耳付きパン。それらを咀嚼して、彼女は幸せそうに頬を緩めている。
「んーっ、美味しい!! え、この街の人ってこんな良いもの食べてるの、羨ましすぎない?」
永住しちゃおっかなぁー。とまで言う彼女に、それを勧めた本人は何ともなしに得意気な表情をしてみせる。
騎士達から彼女、ラヲを任されてからかれこれ十数分。登笈は彼女とともに極限に細い道や人通りの激しい大通りを進みながら、着々と学習院へ近付いているところだった。
既に日は落ち始め、建物を赤と濃紫のコントラストが染めつつある。となればお腹が空いてくるのも当然の話で、近くで最も良い香りを放つ老舗パン屋に吸い寄せられるのも勿論当然である。
「美味しいよね、ここのカツサンド。僕もこれ結構好きで、一週間に一回は食べることにしてるんだ」
「訓練の後とかこれ食べたら元気フルチャージでしょ〜。隊長達にもお土産買っておけば良かったかも」
「隊長、っていうと、やっぱり帝国の人?」
話の途中で、登笈は彼女の細い腰に目を向ける。そこには、黒と金で編まれた高価そうな片手持ちの剣が差さっていた。騎士に囲まれた原因であるそれは、ラヲが軍属であるという何よりの証拠であるという。また、その鞘に刻まれた花のような意匠はアマリリスを模したもので、それも帝国の象徴であるらしい。
つまり、先程の騎士が三名も揃っていながらやけにあっさりと離れていったのは、彼女が帝国騎士だと気付いたからだと思われる。何が火種で国際問題に発展するか分からない以上はあまり刺激しないのが身のためであると。まぁ単に危険ではないと判断したのもあるだろうが。
「うん、ハオ=ロウゼン隊長。帝国騎士の中でも指折りの実力者って言われてる人だよ。剣の道を進む人間なら誰しも一度は耳にするんじゃないかな」
「凄い人なんだね。そんな人の下にいるってことは、ラヲも強いの?」
立ち振る舞いや言葉遣い、特に何も考えていなさそうに見える立ち姿。だが、その腰の鞘と帝国騎士という所属。疑うではなく純粋な興味本意で、登笈は目の前の人物について知りたくなった。
なのでカツサンド最後の一口を頬張る前にそう聞くと、彼女は、まさか、とかぶりを振る。
「まだまだだよ。私は人の指標になれるような剣士じゃない。期待の星ってとこなのです」
「期待の星ってそれ絶対自分で言うやつじゃないでしょ……。でも、そっか。ハオって人のこと、尊敬してるんだね」
「…………うーん、そうなのかな。まぁ、隊はみんな家族みたいなものだし、大好きだよ。この通り私はテキトーだから迷惑もかけちゃうけどねっ」
言って、ラヲは親指の尻で唇についた油を拭う。そして、不要になった包みを四角く折りたたみながら、ごちそうさま、と登笈に笑いかけた。
同じように包みを小さく纏めて、良かった、と微笑みながら、登笈はもうすぐそこに見えてきた学習院の外門に視線を送る。
「なら、早くみんなのところに帰らないとね。僕も遊び疲れたし、早くお湯に浸かりたいや」
「え、学習院ってお風呂あるの? いいなぁ。私も入れたりしないかな」
「大浴場の一般開放はされてないし、難しいんじゃないかなぁ」
「えぇーっ!?」
むくれるラヲに笑いつつ外門を潜ると、沈む空に照らされた第三校舎と、打ち上がる噴水がまず目に入った。
もう三年で何度通ったか分からないほど見覚えのある庭園にようやく帰り着く。すると、静かで寂しい一日の終わりを感じさせる夕焼け景色に眠気を誘われる中、視界の右奥で見知った二人の姿を確認した。何やら言い合いをしているらしい彼らだったが、登笈の存在に気付くと子供のように手を目一杯伸ばして手を振ってくる。
「あ、隊長だ。おーい、たいちょーぅ!! ラヲ=アナカ、たったいま帰還しましたぁー!!」
どうやらラヲも同僚を見つけたらしく、ぴょんぴょんと飛び跳ねて自分のことをアピールし始めた。
彼女はすぐさま走ってハオ達のところに向かおうとしたが、途中で足を止め、こちらへ戻ってくる。何事かと登笈が聞こうとすると、自分のスキニーパンツのポケットに手を入れて、はい、とひんやりした何か小さな物を渡してきた。
「……これは」
握らされたものは、ピアスの片割れらしきものだった。それは簡素だが、光射し込む南国の海のように美しい色の宝石が埋め込まれていて、シンプルながらも目に留まる可愛らしいデザインをしている。オシャレに無頓着な登笈から見ても綺麗だと思えるような。
視線を持ち上げると、少し離れたところから、ラヲがこれの片割れを右耳付近に掲げていた。
「この出会いの記念にってことで、それあげるよっ!! 君と会う前に自分用で買ってたやつなんだけどねっ!!」
「———え、いやいやお礼なんて受け取れないよっ!! 僕だって短い間だけど楽しかったから!!」
登笈が手を突き出してそう叫ぶも、彼女はふりふりと胸の辺りで手を振って今度こそ自分の居場所へと帰っていく。
「そういうことなら大丈夫っ!! お礼であげたわけじゃないからーっ!!」
と、そう残して。
「お礼じゃないって、じゃあ何の……?」
言う機会を逃して、ぽつんと一人。登笈は手のひらの中のアクセサリーを覗いて一言呟いた。
追いかけて返すのもおかしな話だということで、とにかくありがたく受け取るのが正解なのか。それとも、何かきちんとした理由があるのだろうか。纏まらない悩みに頭を重たくして下向きのまま歩き始めると、
「見てたぞぉ、登笈。何だ何だ、ちゃっかりしてんなぁお前さんは」
いつの間にやらすぐ目の前まで近付いていたライアが、がっと肩を組んでくる。はっと前を見ると、あの鉄仮面少年なレイドも愉快なものを眺めるようなにやけヅラをしていた。
「おいライア、茶化すんじゃない」
「わーぁかってるっての。今晩はこりゃ俺らの奢りかぁー?」
「そうなるな。それにしてもラヲがな……。あいつ、こんな女らしいことする奴だったか」
身振り手振りを使いながら、二人は登笈を挟んで口々に思い思いの言葉を口にする。最初はライアの腕を振り払って叱ろうとした登笈だったが、聞いているうちにそれが何とも楽しくて、楽しそうだったから、遂に諦めてぷっ、と破顔した。
「はいはい、何かよくわかんないけどもーいーよ。ほら帰るよ。汗かいたからお風呂入りたいし」
「……そうだな。荷物だけ寮に置いてきていいか? 先に浸かってくれていても構わないが」
「もちろん待っとくぜ。あ、登笈。それルーン達には隠しとけよ。多分めんどくせーから」
「え、それもよく分かんない……けどうん、そうしとく」
「あと先に夕飯がいいんだが、どうだろうか。え、さっきカツサンド食べただぁー?」
そうこう話しつつ、登笈達三人の男衆は男子寮の方へと向かっていった。
後に、登笈はライアよりそのピアスの意味を聞かされることになるのだが、今は一旦、優しく握ってポケットに収めた。この長い一日の思い出として。
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学習院の外門を通り、御飯時に賑わうネサラの大通りを歩きながら、ハオ=ロウゼンは、さて、と切り出した。
「捜しにいく手間が省けて助かったけれど……珍しいこともあるものね、ラヲ。貴女がプレゼントだなんて。それにピアスの片側を?」
「確かに男に物を贈るなんてあまり無いことだが、拙者には分かりません。それにはどういった意味が?」
すっかり日も暮れて、あちこちの煙突から料理の良い香りが流れ出す中。明らかに面白がった風の隊長の言葉に、ソヨの手を引いていた邪妖が小首を傾げてそう尋ねた。だって、ねぇ。という視線に、良い気分でスキップしていたラヲはびくりと肩を震わせる。
「うぅ、良いじゃんかさぁ別に私が何してもさぁ。あれでしょ? どうせ私が女の子っぽいことしても全然可愛くないって言いたいんだろぉー? 知ってるって、もう」
だが、文句を言うことも怒ることもせず、薄柿色の髪の少女はいじいじと剣の柄を触り始めた。
そんな部下が可愛くて、ハオはその絹糸のように柔らかな髪をよしよしと撫でる。すると一連の流れに察しを得たソヨも、てってけてってけ近寄ってきて、隊長を真似てラヲの尻をよしよしと撫で上げる。
「ふふ、そんなことないわ。とても可愛いわよ、ラヲ」




