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RELACION 〜有力貴族の居候となった少年とその数奇な人生を〜  作者: 紺色わさび
聖王国の学び舎 編
29/74

とある日のリアーネ

 一面に咲くアイリスの香りが、風に運ばれてやってくる。

 控えめに言ってとても不味い紅茶の後味をそれで中和しながら、リアーネ=ステンネルは学友の公女こうじょらを笑顔で見送った。そして、その背中が校舎の中へ溶けていった後で、


「まっっっっっっっず!!」


 んべッ、と。舌を出してそう言った。

 空気中に漂う残り香を左手で払いながら、ようやく彼女も椅子から立ち上がり、制服の乱れを整える。茅色かやいろの髪を手櫛で軽く弄り、二の腕を鼻に近付けてキツイ香水の臭いが染み付いていないかチェック。その後も諸々やってから、何かから解放されたような脱力感を両肩の力を抜くことで表現した。


不味まずい、不味すぎるわ。どうしてあんなに良質な茶葉を使ってここまで不快なモノが出来上がるのか不思議なくらい。っていうか、何でみんな平気なワケ? 私以外の子は全員舌が死んでるの? それとも私の味覚が終わっているの?」


 はぁー。と、綺麗な額に指を当てて盛大に呆れてみせる。


「……元気にしているかしら、登笈とおい


 照り付ける陽射しから目を隠しながら空を見上げてみると、大きな白い雲がぷかぷかと能天気に浮かんでいた。きっと天敵がいたらあんな動きはしないだろうに。呑気なものだ。


 このどこまで続いているらしい青空を辿っていけば、遥か西にいる従兄弟おとうとにも会えるのだろうか。

 柄にもなく、リアーネはそんなことを考えていた。


 人界暦じんかいれき二二二にひゃくにじゅうに年。次の時代のリーダー達にのみ門が開かれる大陸最高の教育機関は、本日もいつも通り堅苦しい。

 宮城みやぎ登笈とおいがスリージ聖王国へ旅立ってからはや二年と少し。彼女もまた、王立学院おうりつがくいんで交流と研鑽けんさんの日々に勤しんでいた。


 さて。四大公よんたいこうの娘である彼女の学園生活はというと、擦り寄りと嫉妬に塗れた気持ちの悪いものだったらしい。

 学内を歩けば陰口、陰口、陰口。わざとこちらが拾える程度の声量で喋っているのが実に腹立たしい。かと思えば、顔も見たことない女生徒が花束を持ってやってきて、いつの間にか囲まれていたり、勝手に群衆をかき分けて道を作っていたり。


 どいつもこいつも、ステンネルという名前に釣られた有象無象うぞうむぞう。会話をするだけ人生の浪費だと分かってはいるものの、家名を背負う以上それは許されないから、笑顔の仮面を貼り付けて優雅な令嬢を演じ続ける毎日だ。だが、どこの世界にも例外というのはあるもので。


「やぁ、リアーネ。今日も可愛いなぁ。この代わり映えのしない毎日も、君という存在と出会うだけで掛け替えの無い日々に早変わりさ」


 と、やっと人の多い場所を通り抜けたと思えば、今度は何やら下手な口説き文句みたいなことを語りながら近付いてくる不審者がいた。

 その口上だけで誰かはっきりと分かったので、リアーネは目も動かさずに応えた。あ、そう。と。しかしそんなスルーも受け付けず、その男はぴたりと隣にくっついて並び歩こうとする———のだが、止まってやる義理もないので、そのまま気のおもむくままに散策を続ける。


「あんたも懲りないわね。普通、こんだけ拒否すれば諦めるものじゃない? 男ってみんなこんななの?」


「おぉ、その凛としていながら草原の花々を撫でる穏やかな風のように優しい声は今日もうつく———」


「はい黙って。もうそれいいから、鬱陶うっとうしいから、恥ずかしいから」


 これ以上は面倒臭いのでその胸板を平手で叩くと、彼は一気に赤面して、照れ隠しに咳払いをする。


「んんッ、悪い。こう、テンションがな」


「……まぁ、いいわ」


 一度軽くため息をつく。その後で、リアーネは本日初めて彼の顔に目を向けた。

 人当たりが良く、快活かいかつで熱気の感じられる少年だった。炎のように赤い髪と、優しげな目、それを誤魔化ごまかすかのようにビッと引き締められた眉毛と口元。何より常に向けてくる心からの笑顔が可愛らしい彼———シャオ=ルーリアは、残念ながらリアーネ=ステンネルのストーカー予備軍である。


「いつも思うのだけれど、私なんかより綺麗で狙いやすい子って幾らでもいると思うのよ」


 シャオは中身ちょっとあれだが、悪い人間ではない。危害を加えられることはないし、距離も常に少し空いているので、身の危険を感じたこともない。ただ、そもそもリアーネにこの学院で結婚相手を決めるつもりはないので、諦めてさっさと次に行ってくれと考えているだけだ。


「うーん、オレも一応は貴族の出だから、もちろん親からは良家の娘をと言われてここへ来たが、うん。オレはリアーネを見て一瞬でボボッときたからな。家柄とかは二の次というか、あってもなくてもって感じだ」


 そうして、こちらまで良い気持ちになれる笑顔を作るシャオ。やはり彼に裏表など無いと、リアーネは苦笑を示しながら再認識した。

 いや、裏表が無いからこそ、強引に突き放す気にはなれないのかもしれなかったが。


「ところで、リアーネはこれどこへ向かってんの?」


「別にどこへ行くでもないわ。昼休みだもの。ニュースペーパーでも貰いに行って、図書室で午前の授業の復習……ってところかしらね。知らないけど」


「へぇー。でも座学バリバリ出来るリアーネが復習ね。や、復習してるから頭良い、のか?」


「知らない。でも今回は本当に調べておきたかったの。リングについて」


「……リング、なるほどね。太古の時代に妖精エルフよりたまわりし秘宝。彼等の不思議な力が封じ込められたその指環ゆびわは、人の身に魔法の如き力を授ける。故に魔道具まどうぐリング。だったっけ」


 神妙な面持ちで、資料に書かれていた文面をそのまま語るシャオ。その姿を、リアーネは足を止めて、ほーっと感心した様子で眺めていた。

 そして、その視線に気付いた彼は、む、と唇を尖らせる。


「いや、よく覚えてるなって思って。こう言うとあれだけれど、あんまりそういうイメージなかったし」


「おぉ……」


 リアーネがそう言うと、シャオは胸に手を当てて嬉しそうにはにかむ。と思えば、締まりの無い顔でうへへと表情を崩してしまった。


「もしかして、褒められた??」


「褒めた褒めた。で、続きは?」


「残念ながら、こんだけだよ。リング自体、言ってしまえばそれだけだからなぁ……。元々がお伽話とぎばなしとか童話みたいな伝わり方しかしてないし、謎が多すぎて何とも」


 お手上げといったポーズで、彼は軽く謝ってきた。

 だが、元よりそこまで期待していないというか、そもそもリングのことを示した文献ぶんけんほとんど残っていないとされているのだから仕方がない。おそらく図書室に行ってもありきたりな情報しか得られないのはわかっていたので、リアーネは何も言わなかった。


 リング。それはアテリア王国建国以前、大陸創生期たいりくそうせいきと呼ばれる時代に登場したもので、当時存在していた妖精エルフから拝受したとされる道具である。見た目は名前の通りに指環ゆびわの形をしていて、宝石などもついておらず簡素で飾り気のないものであるという。

 その特筆すべき点は、理屈は不明だが妖精エルフが用いたとされる魔法の力がその小さな指環ゆびわの中に込められているというところだろう。未だに正式な数は判明していないが、数十個以上の存在を確認されているリングには、それぞれ異なる魔法が備わっている。

 と、記録されている。


「私、昔話とか好きじゃないの。だから授業の話もあんまり頭に入ってこなくて」


 ふあ。と、眠そうにリアーネは目を細める。


「リングは、小さい頃に北方のスノウエンデで直に見せてもらったことがあるから、どんなものかは知ってるわ。本当に見た目はただの指環ゆびわで、なのに、そこからぶわーって……あ、私が見させてもらったのは”こおりのリング”っていってね、


 このくらいのー、とリングの大きさを手で表しながら楽しそうに語る彼女を、シャオは右手にはめたものをさすりながら、締まりのない顔で聞いていた。余程、彼の視点で見るとリアーネはとおとかったのだろうか。


こおりのリングっていうと、ヴェステン公爵家こうしゃくけに代々受け継がれるリングだったな。所在が明らかになってるリングは少ないし、よく覚えてるよ。それに家系の関係上、覚えておかないといけなかったからね」


「えっと、シャオのお家……ルーリア家も確かリングを持つ血筋だったっけ?」


 リアーネに尋ねられると、シャオはそうだよ、と即座に肯定する。そして、話しながら彼は相手にそれが見えるよう右手を持ち上げた。


「君の家と比べるとゴミみたいなもんだけど、うちもリングを持つ一族でね。これがほのおのリング。本来は大人になってから受け継ぐんだけど、親が過保護でね。入学する時に持たされたんだ」


「……え、うそ。これが?」


「ちょっと? よーく見るのはいいんですけど指に触れられるとですね恥ずかしくなるというかあっつー暑くなってきたわつらい…………好き」


 図らずも実物を前にして、リアーネは彼の手の甲を掴んで、その人差し指にはめられたほのおのリングに視線を集中させる。


 やはり見た目はただの指環ゆびわと何も変わらない。素材の判別は難しいが、特殊な金属を用いられているわけでないことはわかる。これはオシャレでつけていますと言われても疑わないくらいには至って普通の装飾品である。とはいえそれも素人目からすればの話で、研究者やリングに詳しい者が見ればすぐにわかってしまうのかもしれないが。


「ありがと。……で、これってほのおのリングってことは、火が出るの? 燃えるの?」


 熱くないの? と、一歩退がるリアーネに、シャオはナイナイと首を横に振る。


「あくまでオレの体験に基づいた話だけど、オレの指にこれがはまってる限りは、出した炎で自分が傷付くことはないよ。そこも含めて魔法みたいな力なんだ」


「そうなのね。でも羨ましいわ。ステンネルはリングを持っていないから」


 魔道具まどうぐリングとは人知を超えた圧倒的な武力であり、他家、他派閥、他国に対する強力なカードでもある。これを持っているのといないのとでは、発言力に天と地ほどの差が出るくらいには。

 そのため、領地を持つ貴族ならば大半が持っているものだ。何も無いところからリングを手に入れた途端に成り上がった貴族、なんてのも珍しい話ではない。逆に、盗まれるか奪われるかしたせいで領地を没収された家もある。


「そりゃあると便利かもしれないけどさ、これを使う機会なんてのは、理由はどうあれ人を攻撃しなきゃいけない時だ。そんな機会は来ない方がいいに決まってる」


「そうね。私もそんな未来が良いかも。将来、自分の立場なんて忘れて色んな国に旅行したりしたいもの」


 んーっ、と体を伸ばしながら、リアーネは小さな展望を口にする。

 ステンネル公爵家こうしゃくけの長子として、窮屈な未来が確定しているからこそ、この束の間の自由を謳歌おうかしていたいと。あるいは、あの少年のように外へ飛び出していければまた何か。

 そうこう適当な会話を続けながら歩いていると、何やら人集りがあったので、二人は顔を見合わせて足を止めた。


「……なんだろ?」


「なんだろう。有名人でも来てるのかねぇ」


「聞いてみる」


「リアーネって、結構ぐいぐいいくよなぁ。そこがまた良いんだけどっ」


 一切怖気付くことなく、リアーネはその輪の一番外側にいる女子生徒を捕まえて、


「ねぇ、突然で悪いのだけれど、何かあったの?」


 と尋ねた。

 すると、女子生徒はリアーネの顔を見て一度盛大に驚いてから、恐れながら、と前置きして話し始める。手に持っていたニュースペーパーをおずおずと開いて。


「たった今、ニュースペーパーが届いたんです。言ってしまえばそれだけなんですが……載っていた内容が内容だけに、ちょっとした騒ぎとなっているんです」


「そうなの。ごめんね、そのニュースってどんなのか見せてもらってもいいかな?」


 リアーネがウインクしながら頼むと、女子生徒はもちろんです、と恐縮気味にニュースペーパーを差し出した。

 後ろでシャオはそれを、これが女社会ってやつかー怖いなー、なんて考えている。ちなみにそんなこともリアーネには大体後ろ目で悟られているため、後で小言を貰うのは確定していたり、していなかったり。


「……」


「……」


 さて。記事に目をやってから数秒。何も言葉を発しない片想い相手を妙に思い、どれどれとシャオも横から失礼して彼女が持つニュースペーパーを覗き込んだ。

 開かれているのは、一面に書かれた記事だった。毎週、大体は国の長同士の会談だったり、どこか有名な街の大きな祭りだったりが掲載されるスペースで、今週もおそらく例に漏れずそこそこ重大な内容なのだろう。彼女が目を奪われるくらいには。


「……ぃ」


 ほどなくして、シャオの口から小さな驚愕が溢れた。

 それは昨日までの安寧がひっくり返りかねない出来事だった。日常が崩れる足音が確かに聞こえた瞬間だった。


「レベリオ、宣戦布告する。大陸各地で大規模テロ、発生。各国の主要都市に、大……打撃」


 絶句するリアーネに代わり、シャオは頭の流れを正常にするためにも、記事に書かれた文章をぽつぽつと読み上げる。


 ことは大陸全域で起こった。レベリオを名乗る組織が各国に突如として出現、たった一日の間で大都市五つがほぼ壊滅状態となる。

 襲撃を受けたのはいずれも重要な役割を持つ場所ばかりで、南国ギリアの主要港しゅようこうポートフェリア。ランディーネ王国の王都ラディン。帝国城塞都市ミストルティア。セリス王国西部の、武器と鋼の街スアシア。———そして。


「……スリージ聖王国せいおうこく、ネサラの街」


 特にネサラは被害が甚大であり、建物は何一つ原型を保っておらず、世界第二位の教育機関と評された学習院がくしゅういんも無残な瓦礫の山へと変貌した。

 学習院がくしゅういんに通っていた生徒はほとんどが生死不明の状態で、今も聖王国せいおうこくの騎士団によって捜索が続けられている。


「うそよ」


「リア———」


 へたり、と。リアーネが膝から崩れ落ちた。それをシャオが支えようとするも、その青褪あおざめた普通ではない顔色に気付いて、伸ばした手を空中で静止させてしまう。


「うそよ、こんなの。だって、登笈とおいが」


「リアーネ……」


 彼女の頭を撫でることも、肩を支えることも、小さな背中を抱いてやることも出来ずに、シャオは生唾を飲み込みながら辺りを見回していた。

 この人集りは、”そういうもの”だ。彼女のように、嘆くことしか出来ずに座り込むか立ち尽くしている者の集まりなのだ。いきなり心を引っ張って来た非現実に脳の処理が追いついていないから、こうして呆然としているのだ。

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