第3章「奪う者」
異世界ダーク系の成り上がり物語です。
スマホで読みやすいよう一文を短くしています。
最後まで読んでもらえると嬉しいです。
それから一週間、 何事もなかった。
あの男は現れなかった。
ギルドで依頼を受けて、 ダンジョンに潜って、 報酬を受け取って、 宿に帰る。
その繰り返しだった。
警戒はしていた。
《索敵》を常時展開して、 《隠密》で気配を薄くして、 人の多い道を選んで歩いた。
それでも何も起きなかった。
嵐の前か、 それとも俺の思い過ごしか。
どちらか分からないまま、 日が過ぎた。
変化があったのは、 十日目の朝だった。
ギルドで依頼を探していたら、 受付のベテランの女性が 俺を手招きした。
声を潜めて言った。
「少し、いいですか」
カウンターの端に移動した。
「あなたたち、気をつけた方がいい」
「何をですか」
「最近、ギルドの周りで 見慣れない男が うろついているんです。 あなたたちのことを 聞き回っているらしくて」
俺は黙って聞いた。
「どんな男ですか」
「三十代くらいの、 太めの体格の男です。 右手に古い傷跡があって」
あの男だ。
「心当たりがありますか」
「少し」
受付の女性が眉をひそめた。
「あの男、 ギルドの中でも 評判が悪いんです。 表向きは冒険者ですが、 実際は別の仕事もしているって 噂で」
「別の仕事?」
女性が少しためらった。
それから小さな声で言った。
「暗殺者組合、 という話があって」
俺は表情を変えなかった。
変えないように、した。
「……ありがとうございます」
「気をつけてください。 あの手の人間は、 一度目をつけたら なかなか諦めない」
カウンターを離れた。
セナとリリィが 依頼板の前で待っていた。
二人に視線で合図して、 外に出た。
王都の路地に入って、 《索敵》で周囲を確認した。
人の気配はない。
「暗殺者組合の男だった」
俺は言った。
リリィが帽子の鍔を下げた。
セナが息を呑んだ。
「暗殺者、って」
「プロだ。 依頼を受けて人を殺す奴ら」
「それが私たちを狙ってるの」
「今のところは調べている段階だと思う。 依頼を受けたかどうかは分からない」
しばらく沈黙があった。
リリィが静かに言った。
「動き方を変えるか」
「いや」
「なんで」
「逃げたら居場所がなくなる。 今のギルドの信用も、 積み上げたランクも、 全部やり直しだ」
リリィが少し考えた。
「……警戒しながら、 今まで通り動くってことか」
「そうだ。 向こうが動くまで こちらも動かない」
セナが俺を見た。
不安そうだったが、 何も言わなかった。
賢い子だと、また思った。
「分かった」
リリィが短く言った。
「でも一つだけ条件がある」
「何だ」
「何か動きがあったら、 すぐ二人に言うこと。 一人で抱えるな」
俺は少し間を置いた。
「分かった」
セナが小さく息を吐いた。
「よかった」
「何が」
「ちゃんと頷いてくれたから」
俺は何も言わなかった。
それから三日後、 全員がDランクになった。
セナとリリィが ギルドからランクアップの通知を受けた。
セナは身分証を受け取って、 しばらくそれを見ていた。
「Dランク……」
「おめでとう」
リリィがぼそりと言った。
「リリィもでしょ」
「私は別に」
「素直じゃないなあ」
リリィが帽子の鍔を下げた。
でも、 口元が少し動いていた。
俺は二人の顔を見て、 何かを言おうとして、
やめた。
言葉にする必要はない気がした。
「何か食いたいものはあるか」
代わりにそれだけ言った。
セナが目を輝かせた。
「肉!」
「私は何でも」
リリィが言った。
「何でもって、 本当に何でもいいの?」
「……甘いものがあれば、 少し嬉しい」
「言えるじゃん」
「うるさい」
三人で食堂に入って、 肉料理とパンと、 リリィのために甘い焼き菓子を頼んだ。
久しぶりに、 ゆっくりした夜だった。
翌朝、 セナが起き抜けに言った。
「服を買いに行きたい」
俺は黙って セナを見た。
「ずっと同じ服だし、 最近お金も少し余ってるし、 リリィも一緒に来てほしい」
「私は別に今の服で」
「ダメ。一緒に来て」
リリィが帽子の鍔を下げて セナを見た。
「なんで」
「女の子二人で行きたいから」
「……それは、まあ」
「じゃあ決まり。カイは?」
俺を見た。
「俺はいい」
「え、来てよ」
「服は足りてる」
「絶対足りてない。 毎日同じ服じゃない」
「動ければいい」
セナが頬を膨らませた。
リリィがため息をついた。
「男ってそういうものじゃないの、 たぶん」
「お姉さんは諦めないよ」
「お姉さんって言わないでほしい」
「十八でしょ?」
「それはそうだけど」
結局、三人で出かけることになった。
王都の服屋は 大通りに何軒か並んでいた。
冒険者向けの実用的なものから、 貴族向けの豪奢なものまで。
俺たちが入ったのは その中間くらいの、 普通の仕立て屋だった。
入った瞬間、 セナの目が輝いた。
壁一面に並んだ布と、 完成品のドレスや外套。
色も形も、 村では見たことのないものばかりだ。
「見て、これ」
セナが青い外套を手に取った。
「似合うかな」
「似合うと思う」
リリィが帽子の下から言った。
「セナは青が似合う顔してる」
「リリィって、たまに鋭いよね」
「たまにって何だ」
俺は入り口近くに立って 二人を見ていた。
店員に声をかけられた。
「お連れの方に何かお探しですか」
「俺は見てるだけです」
「そうですか。 よろしければこちらなどいかがでしょう」
差し出されたのは 濃い紺色の上着だった。
シンプルで、 動きやすそうな形。
「お客様の体格に合うと思いまして」
俺は少し考えて、 受け取って袖を通してみた。
悪くなかった。
今まで着ていたものより 明らかに丈夫で、 動いたときの引っかかりがない。
「カイ、それいい」
セナが振り返って言った。
「買いなよ」
「値段が」
「いくら?」
店員に聞いたら、 銀貨二枚だった。
セナが俺を見た。
「買って」
「高い」
「絶対必要だって。 今の服、ところどころ穴空いてるよ」
「気にしない」
「私が気にする」
リリィが帽子の下から言った。
「買った方がいい。 服装は信用に繋がる。 ぼろい服のDランクより、 ちゃんとした服のDランクの方が 依頼を回してもらいやすい」
正論だった。
俺は黙って財布を出した。
セナが小さくガッツポーズをした。
リリィは結局、 深い緑色の外套を選んだ。
フードが深くて、 帽子と合わせると 顔がほとんど見えなくなる。
「それでいいのか」
俺が聞いたら、 リリィが帽子の鍔を上げて俺を見た。
「目立ちたくない」
「そうか」
「……色は、好きだから」
小さく付け足した。
セナは青い外套と、 それに合う長めのスカートを選んだ。
試着して出てきたとき、 村にいた頃とは 別人みたいだった。
「どう?」
「似合ってる」
俺が言ったら、 セナが少し照れた顔をした。
「ありがとう」
リリィが小さく言った。
「似合ってる」
「リリィまで言ってくれるの、嬉しい」
「……事実を言っただけだ」
「素直じゃないなあ」
「うるさい」
三人で店を出た。
大通りを歩いた。
新しい服を着たセナが 少し背筋を伸ばして歩いていた。
リリィは深いフードを被って いつもより顔が見えなかったが、 歩くたびに緑の外套が揺れた。
俺は二人の少し後ろを歩いた。
前を歩く二人を見ていた。
一か月前、 俺は一人で王都の道を歩いていた。
金もなくて、 知り合いもいなくて、 それでも前を向いていた。
今は、違う。
隣に誰かがいる。
それが何なのか、 まだうまく言葉にならないが、
悪くない、と思った。
何度目かの、 その感覚だった。
「カイ、何ぼーっとしてるの」
セナが振り返って言った。
「別に」
「早く来て」
「今行く」
足を速めた。
王都の昼の光が、 石畳に落ちていた。
夜の食堂は昼より賑やかだった。
冒険者たちの笑い声と、 酒の匂いと、 肉の焼ける音が混ざって、 ざわざわとした熱気があった。
三人でテーブルを囲んだ。
今日は奮発した。
骨付き肉の煮込みと、 焼きたてのパンと、 野菜のスープ。
リリィのために 蜂蜜がけの焼き菓子も頼んだ。
「おいしい」
セナが骨付き肉にかぶりつきながら言った。
「毎日これ食べたい」
「金が持たない」
「分かってるけど」
リリィは焼き菓子を 小さく割りながら食べていた。
急がず、丁寧に。
「次、どこ行くか決めたの」
帽子の鍔を上げて俺を見た。
「深層に入ろうと思う」
二人が少し黙った。
「Dランクになったから入れる。 報酬も上がる」
「危なくないの」
セナが聞いた。
「中層より強い魔物が出る。 ただ、三人で動けば対応できると思う」
リリィが焼き菓子を一口食べた。
「初めて入るんだよな、深層」
「そうだ」
少しだけ、間があった。
嘘ではなかった。
三人で入るのは初めてだ。
「分かった」
リリィが言った。
「セナは?」
「行く。怖いけど」
「怖いなら無理するな」
「怖いけど行くって言ったの。 ちゃんと聞いて」
セナが頬を膨らませた。
俺は何も言わなかった。
リリィが小さく笑った。
帽子の鍔の下で、 口元が動いていた。
「じゃあ決まりだ。 明日は中層に入って、 感覚を戻してから深層に向かう」
「堅実だな」
リリィが言った。
「無駄に死ぬのは嫌だ」
「同感」
セナが骨をしゃぶりながら言った。
「ねえ、深層ってどんな魔物がいるの」
「俺も詳しくは知らない」
「リリィは?」
「本で読んだ程度。 アンデッド系や、 大型の獣型が多いらしい」
「こわ……」
「だから言っただろ」
「でも行くって言った」
セナが骨を皿に置いて、 少し背筋を伸ばした。
「Dランクになったし。 もっと強くなれる気がする」
その顔が、 村にいた頃の顔と 重なった気がした。
いつも俯いていた、 あの頃とは違う顔だった。
俺は何も言わずに スープを飲んだ。
熱かった。
翌日、 まず中層に入った。
感覚を確かめるように、 いつもの通路を進んだ。
魔物は数匹出たが、 三人の連携で 時間をかけずに処理した。
奥に向かって進んだとき、 セナが立ち止まった。
「何かいる」
「どのくらい」
「でかい。 一体だけど……すごく、嫌な感じ」
俺は鑑定を使った。
通路の先、 曲がり角の向こう。
【ホブゴブリン Dランク相当】 【スキル:身体強化 Lv.3、強打】
Dランク相当。
俺たちと同じはずだった。
ただ、 何かが引っかかった。
でかい、とセナが言った。
通常のホブゴブリンより 気配が重い。
「リリィ、索敵で確認できるか」
「やってみる」
《水流》を細く放った。
数秒後、リリィの顔が変わった。
「でかい。 通常のホブゴブリンの 倍近くある」
「慎重に行く。 セナは後ろで援護。 リリィは詠唱準備。 俺が前に出る」
二人が頷いた。
曲がり角を曲がった。
いた。
でかかった。
天井に届くほどの体格で、 皮膚は緑ではなく 灰みがかった褐色。
目が、濁った赤だった。
ホブゴブリンが俺を見た。
次の瞬間、動いた。
速かった。
Dランクとは思えない速さだった。
俺は横に跳んで、 壁に背をつけた。
ホブゴブリンの拳が 俺がいた場所の壁に当たって、 石が砕けた。
「リリィ」
「詠唱中」
「セナは下がれ」
「分かった」
ホブゴブリンが向きを変えた。
俺を追ってきた。
《身体強化 Lv.2》を使って 踏み込んだ。
短剣でホブゴブリンの腕を 浅く切った。
効いていなかった。
皮膚が厚すぎた。
「《水流》」
リリィの水が横から来て ホブゴブリンの顔を打った。
怯んだ。
その隙に もう一度踏み込もうとした。
「カイ、前!」
リリィが叫んだ。
振り返るより早く、 セナが俺の横を走り抜けた。
ナイフを手に、 ホブゴブリンの懐に まっすぐ飛び込んだ。
「セナ、待て」
間に合わなかった。
セナのナイフが ホブゴブリンの脇腹に入った。
浅かった。
皮膚が厚すぎて、 刃が通らなかった。
ホブゴブリンが 低く唸った。
痛みではなく、 苛立ちの声だった。
そのまま、 利き腕を横に薙いだ。
セナが吹き飛んだ。
通路の壁まで飛んで、 背中から叩きつけられた。
落ちる前に、 壁の突起に左腕が引っかかった。
鈍い音がした。
床に落ちたセナが 左腕を抱えた。
声が出ていなかった。
出せなかった。
痛みが強すぎて、 声になる前に詰まった。
俺はセナを見た。
左腕の肘から先が、 変な角度に折れていた。
皮膚が破れていた。
骨が、見えた。
「セナ!」
リリィが走りかけた。
「リリィ、抑えろ」
「でも」
「セナより先にこいつを止めないと 全員やられる」
リリィが一瞬だけ固まって、 それから前を向いた。
「《水流》《水流》」
立て続けに放って、 ホブゴブリンの動きを封じた。
俺はセナに走り寄った。
セナが顔を上げた。
唇が白かった。
目の焦点が、 少しずれていた。
「……い、た」
声になっていなかった。
折れた腕を見た。
開放骨折だった。
これは《ヒール》じゃ足りない。
「《ハイヒール》」
無詠唱で放った。
詠唱破棄があるから言葉一つで足りる。
光がセナの腕を包んだ。
骨が、引っ込んだ。
皮膚が、塞がった。
折れた角度が、 ゆっくりと戻っていった。
セナが息を吸った。
深く、長い息だった。
肺に空気が戻ったようなそういう息だった。
「……動く」
「立てるか」
セナが腕を動かした。
「動く。痛くない」
「後ろで待ってろ」
「でも」
「待ってろ」
セナの目が、 俺を見た。
反論しようとして、 やめた。
小さく頷いた。
俺はホブゴブリンに向き直った。
リリィが《水流》を 何度も放って抑えていたが、 消耗してきていた。
「リリィ、下がれ」
「まだ」
「下がれ。俺がやる」
ホブゴブリンの目を見た。
鑑定の結果を思い出した。
身体強化 Lv.3。
欲しい。
目を離さなかった。
距離を詰めながらホブゴブリンの赤い目を 真っ直ぐ見た。
右目が燃えた。
身体強化 Lv.3。
代償が来た。
「《ヒール》」
無詠唱で即座に放って痛みを押さえた。
体が変わった。
今まで使っていた 身体強化より、 明らかに違った。
力の密度が、 重さが、 全然違った。
ホブゴブリンが 拳を振ってきた。
今度は受けた。
片腕で。
弾いた。
ホブゴブリンがよろけた。
その体勢のまま懐に入って短剣を深く入れた。
今度は皮膚を抜けた。
《身体強化 Lv.3》の力が刃を押し込んだ。
ホブゴブリンが倒れた。
今度は、起き上がらなかった。
静かになった。
俺は息を整えた。
右目がじんじんと痛んだ。
「……終わった?」
セナが後ろから言った。
「終わった」
「カイ、すごい」
「突っ込みすぎだ、お前が」
「だってDランクになったから もっとできると思って」
「Dランクになっても 無茶は無茶だ」
セナが俯いた。
さっきまで折れていた腕を 自分で見ながら言った。
「……骨、見えてた。 自分の腕の骨」
「見えてた」
「こわかった」
「そうだろう」
「でもカイが来てくれた」
俺は答えなかった。
リリィが壁に背をつけたまま 息を整えながら言った。
「さっきの《ハイヒール》、 無詠唱だったな」
「詠唱破棄がある」
「でも詠唱破棄って、魔法使いでもないのに白魔法を無詠唱で、 しかも一瞬で」
「いろいろあるんだよ」
リリィが帽子の鍔を下げた。
「……カイは魔法使い?」
「………」
「また言いたくなったら教えて」
セナが自分の腕を何度も 曲げ伸ばしながら言った。
「ほんとに治ってる。 骨が出てたのに」
「痛みはないか」
「全然ない。 もとに戻ってる」
「なら良かった」
魔石を回収して、 帰り道を歩き始めた。
ホブゴブリンがネームドだったと 気づいたのは、
ギルドに戻って 受付員の顔が変わったときだった。
「また、ですか」
受付員が言った。
「また?」
「先日のゴブリンメイジに続いて、 またネームドを討伐されるとは……」
三人で顔を見合わせた。
セナが小声で言った。
「ネームドって気づかなかったね」
「気づかなかった」
リリィが帽子の鍔を下げた。
「……次からは気をつけよう」
「なんで気づかなかったか 教えてもらえますか」
受付員が少し驚いた顔をしてそれから話してくれた。
ネームド個体は 通常より体格が大きく、 スキルのレベルが高い。
鑑定スキルを持っていれば 一目で分かるが、 持っていない冒険者は 経験で判断するしかないと。
「鑑定スキルで見たとき、 Dランク相当と出ていた」
「そうです。 ネームドでも本来のランクは変わらない。 ただ実力が別物なんです。 鑑定では出ないネームドの情報は、 ギルドの指名手配書で確認するのが 確実ですよ」
なるほど、と思った。
鑑定では分からないことがある。
覚えておく必要があった。
報酬を受け取って、 ギルドを出た。
夕方の光が 石畳に伸びていた。
セナが隣を歩きながら 自分の左腕を見ていた。
「カイ」
「何だ」
「ありがとう」
俺は答えなかった。
答える言葉が うまく出てこなかった。
ただ前を向いて、 歩いた。
セナが小さく付け加えた。
「次は突っ込みすぎない」
「そうしろ」
「うん」
リリィが前を歩きながら 帽子の鍔を少し上げて 空を見た。
「次はいよいよ深層だな」
「そうだ」
「楽しみ、とは言いにくいけど」
「でも行くんだろ」
「もちろん」
三人で夕方の王都を歩いた。
少し前まで、 俺は一人だった。
今は、違う。
それだけのことが、 なぜか重かった。
胸の奥で、 何か温かいものが 居座っていた。
名前のない感覚だった。
俺はそれに、 名前をつけなかった。
つける必要はない気がした。
翌朝、 三人で深層への入り口に立った。
昨日の中層より 空気が違った。
重くて、冷たくて、 底から這い上がってくるような 湿った匂いがした。
「ここが深層か」
セナが入り口を覗き込んだ。
「中層より暗い」
「《夜目》を使う。 二人は俺の近くを動くな」
「分かった」
リリィが杖を構えた。
入る前に、 習慣で鑑定を自分に向けた。
スキル一覧を確認した。
目が止まった。
【鑑定眼】
鑑定、ではなかった。
鑑定眼。
名前が変わっていた。
いつの間に。
老人から奪ったときは 確かに【鑑定】だった。
それが、いつの間にか 変わっていた。
違和感はあった。
ただ、入り口の前で 立ち止まる理由にもならなかった。
後で考える、 と頭の隅に置いて、 前を向いた。
「行くぞ」
深層は、広かった。
通路の幅が中層の倍近くあって、 天井が高くて、 発光コケの代わりに 壁に埋まった鉱石が 青白く光っていた。
「きれい」
セナが壁を見ながら言った。
「危険なものほど きれいに見えることがある」
リリィが言った。
「経験談?」
「本で読んだ」
「本当に本ばっかり読むんだね」
「知識は武器だ」
俺は《索敵》で 周囲を確認しながら歩いた。
気配が、中層より多い。
ただ、 離れている。
今すぐ来るものはいない。
最初の魔物は 大型の芋虫だった。
鑑定した。
【深層芋虫 Cランク相当】 【スキル:酸液噴射 Lv.2、硬化外皮 Lv.1】
酸液。
硬化外皮。
欲しいとは思わなかった。
俺には向かないスキルだ。
《ファイアランス》を無詠唱で放った。
炎が芋虫の側面を貫いた。
一撃で動かなくなった。
「速い」
セナが言った。
「Lv.3の身体強化があれば もっと速く動ける。 感覚がまだ慣れていないだけだ」
「難しいな」
次は蜘蛛の群れだった。
深層の蜘蛛は 中層より二回り大きかった。
鑑定した。
【深層毒蜘蛛 Cランク相当】 【スキル:麻痺毒 Lv.2、糸操作 Lv.1】
麻痺毒 Lv.2。
すでに麻痺耐性 Lv.2を持っている。
同じレベルのスキルを奪っても 上書きされないのか、試した。
目を合わせた。
右目が動いた。
頭の中に言葉が落ちてきた。
麻痺毒 Lv.2。
自分のスキル欄を確認した。
【麻痺耐性 Lv.2】のまま。
変わっていない。
やはり、同じレベルでは 上書きされないらしかった。
上位のスキルを持つ相手から 奪わない限り、 成長しない。
覚えておく必要がある。
闇雲に奪っても意味がない。
欲しいのは、 今持っているものより 強いものだけだ。
群れを処理しながら、 ふとセナを見た。
セナが蜘蛛の一匹を 音もなく近づいて仕留めた。
気配がなかった。
動きが、 来た時より滑らかだった。
「セナ」
「何?」
「《鑑定眼》を使って お前のスキルを見てもいいか」
セナが少し首を傾けた。
「いいけど……なんで?」
「確認したいことがある」
《鑑定眼》をセナに向けた。
【セナ スキル:シーフ、隠密 Lv.2】
Lv.2になっていた。
入ってきたときは Lv.1だったはずだ。
「お前の隠密、 Lv.2になってる」
セナが目を丸くした。
「え、本当に? いつの間に」
「気づかなかったか」
「全然。 なんか動きやすいとは思ってたけど」
スキルは使っているうちに 自然に育つのか。
奪わなくても、 積み重ねれば上がる。
リリィに向けた。
【リリィ スキル:青魔法 Lv.2、水感知】
青魔法がLv.2になっていた。
「リリィ」
「何」
「青魔法がLv.2になってる」
リリィが立ち止まった。
帽子の鍔を上げて、 俺を見た。
「本当か」
「今確認した」
リリィがしばらく黙った。
それから杖を構えた。
「試す」
「ここで?」
「少しだけ」
詠唱が始まった。
第一位階より 長い詠唱だった。
「集え水よ、 意志を持て、 槍となり貫け。 《ウォーターランス》」
杖の先から 水の槍が生まれた。
《水流》より太く、 密度が違った。
遠くの壁に向かって飛んで、 石に深く刺さった。
石が、砕けた。
「……威力が全然違う」
セナが呟いた。
「第二位階だ」
リリィが静かに言った。
「貫通力が上がった。 硬いものにも通る」
「さっきの蜘蛛の外皮にも?」
「たぶん」
俺はその槍が刺さった壁を見た。
深層の石を あれだけ砕くなら、 魔物にも十分通る。
「さっきより戦える」
リリィが帽子の鍔を下げた。
「少しだけな」
「十分だ」
三人で奥に進んだ。
何体か処理して、 目的のものを回収した。
帰り道に入った頃には、 三人とも動きに 余裕が出ていた。
深層は確かに中層より強い。
ただ、戦えないほどじゃない。
「また来れるな」
セナが言った。
「慣れてきたら もっと奥に行ける」
リリィが頷いた。
「報酬も上がる。 装備をもっと整えたい」
俺は《索敵》を展開しながら 出口に向かって歩いた。
いつも通りの感覚だった。
あと少しで出口だ、 そう思ったとき、
《索敵》が、 引っかかった。
気配があった。
一つ。
出口の近く。
ただ、 妙だった。
気配が、薄い。
《隠密》を使っている。
「止まれ」
俺は低く言った。
二人が止まった。
「何?」
「前に誰かいる」
三人で足を止めた。
静かになった。
発光鉱石の青白い光だけが 通路を照らしていた。
出口の方向から、 声がした。
「また会ったな、坊主」
低い、落ち着いた声だった。
あの男の声だった。
姿が見えなかった。
声だけが、 前から聞こえた。
「随分と腕を上げたみたいじゃないか。 深層に来るとはな」
「セナ、リリィ」
俺は低く言った。
「二人で出口に向かえ」
「でも」
「今すぐ行け」
言い終わる前に、
男が、消えた。
正確には、 《索敵》から気配が消えた。
隠密で、気配を絶った。
次の瞬間、
リリィが吹き飛んだ。
横から来た衝撃でリリィが通路の壁に叩きつけられた。
何もない場所から 攻撃が来た。
「リリィ!」
セナが叫んだ。
リリィが床に落ちた。
動いていた。
死んではいない。
ただ、 立てていなかった。
「面白いな」
声が、場所を変えた。
また、別の方向から聞こえた。
「隠密の中で動いているのにお前だけ追えてるな。 何のスキルだ」
俺は答えなかった。
《索敵》を全力で展開した。
気配が薄く、薄く、 かろうじて感じられた。
「セナ、リリィを連れて出ろ」
「でも、カイが」
「俺は後から行く。 早く」
セナがリリィの腕を取った。
リリィが立ち上がろうとした。
足がふらついていた。
セナが肩を貸して、 出口に向かって走った。
二人の気配が 遠ざかっていった。
男の声がした。
「逃がしていいのか」
「お前の目的は俺だろ」
「賢いな。 そうだ、坊主。 お前さえいれば他はどうでもいい」
姿が現れた。
出口の方向、 十数歩先。
太めの体格。 右手に古い傷跡。
ニヤリと笑っていた。
俺は《鑑定眼》を使った。
今度は、 さっきまでと違う情報が見えた。
【ビリー】 【スキル:隠蔽 Lv.2、暗殺術 Lv.3、剣術 Lv.2、騎馬 Lv.1、鑑定阻害 Lv.1】
名前がわかった。
ビリー。
今まで名前が見えなかったのは 鑑定阻害のせいだったのか。
《鑑定眼》は 鑑定阻害を貫通できる。
だから名前が見えた。
スキルも見えた。
前回は空白だったスキル欄が全部見えた。
隠蔽 Lv.2が 鑑定を弾いていたのか。
《鑑定眼》なら その上を行ける。
暗殺術 Lv.3。
これが一番厄介だ。
剣術 Lv.2と合わさって隠密の中から 的確に急所を狙ってくる。
「随分長く見てたな」
ビリーが言った。
「鑑定か? うちの隠蔽は鑑定を弾くはずだが」
俺は答えなかった。
ビリーの目が、 少し細くなった。
「……鑑定眼か。 珍しいものを持ってるな」
知られた。
でも、それは向こうも同じだ。
俺はビリーのスキルを全部知った。
「坊主、一つ聞いていいか」
ビリーが言った。
「ロジャーを殺したのはお前か」
俺は答えなかった。
ビリーが笑った。
「答えなくていい。 もう分かってる。 聞きたかっただけだ」
剣を抜いた。
「逃げないのか」
「逃げたとして、 どこまで行ける?」
「賢い子供は嫌いじゃない。 だから教えてやる。 俺はもう依頼を受けた。 今日中に片をつける」
俺は短剣を抜いた。
暗殺術 Lv.3の相手に、 正面から打ち合っても勝てない。
ただ、 こいつから全部奪えれば、 話は変わる。
目が合った。
ビリーが動くより早く俺は《鑑定眼》を使った。
今度は、 別の目的で。
じっくり、 ビリーの目を見た。
目が、合わなかった。
ビリーは剣を構えたまま、 視線を俺の額に向けていた。
目ではなく、額。
意図的に、目線をずらしていた。
短剣を構えたまま、 ビリーの動きを見た。
《索敵》を全力展開した。
気配を追い続けた。
ビリーが動いた。
速かった。
暗殺術 Lv.3の動きは剣術とは別物だった。
最短距離で急所を狙う、 無駄のない動き。
横に跳んだ。
刃が肩を掠めた。
革の胸当ての肩口が、 スパッと切れた。
皮膚まで届いていた。
「遅い」
ビリーが静かに言った。
感情がなかった。
仕事の声だった。
《身体強化 Lv.3》を全力で使った。
踏み込んで、 短剣を振った。
ビリーが軽く体を捻って躱した。
鍔迫り合いになった。
しかし、引き離された。
また距離が開いた。
肩の傷がじわりと熱かった。
《ヒール》で抑えた。
魔力が、 少し減った。
もう一度踏み込んだ。
ビリーが《隠密》を使った。
気配が消えた。
《索敵》で追った。
薄く、薄く、 かろうじて感じられる気配を 追い続けた。
右から来た。
体を捻って、 刃を受け流した。
今度は脇腹を浅く切られた。
《ヒール》。
魔力がまた減った。
このままじゃ削られる。
攻撃を受けるたびに魔力を使って回復しているがそれでも目が合わせられない。
持久戦になれば負ける。
何か、変えないといけない。
俺は《索敵》を使いながら 周囲を確認した。
深層の通路。
左の壁際に、 さっき通り過ぎた 大型の芋虫の死骸があった。
まだ形が残っている。
考えた。
一瞬で、考えた。
《投擲》を使った。
芋虫の死骸を拾い上げて、 ビリーがいる方向に向けて投げた。
《身体強化 Lv.3》の力で、 死骸が砲弾のように飛んだ。
ビリーが《隠密》を解いて 横に跳んだ。
死骸を躱すために 動かざるを得なかった。
その一瞬、 動きが読めた。
俺は《隠密》を使って 気配を消した。
同時に壁際を走った。
ビリーの視線から 外れた角度で近づいた。
ビリーが俺を探した。
《索敵》を使っているのか、 視線が鋭く動いた。
ただ、 俺の《隠密 Lv.2》は ビリーの《索敵》より上か、 同等か。
気配を完全に殺したまま、 三歩、近づいた。
ビリーが気づいた。
反応が速かった。
剣を構え直した。
ただ、方向が少しずれていた。
その隙に、 目を捉えようとした。
ビリーが顔を背けた。
くそ、と思った。
声には出さなかった。
距離を取った。
頭を動かした。
目を合わせられないなら、 合わせざるを得ない状況を作る。
《青魔法》を使った。
「《ウォーターランス》」
水の槍を ビリーではなく、 床に向けて放った。
水が床全体に広がった。
通路の石畳が、 一面濡れた。
ビリーが動いた。
水の上を動くたびに、 微かな音がした。
《隠密》を使っても、 水の音が鳴る。
完全に気配を消せない。
「面白いことを考えるな」
ビリーが言った。
声に少しだけ 違う色が混じった。
余裕の中にわずかな警戒。
俺は音を追った。
《索敵》と水の音と 両方で追った。
近づいた。
ビリーが気づいた。
剣を振った。
俺は受け流しながら体を密着させた。
顔が近かった。
ビリーが顔を引こうとした。
俺は頭を下げた。
ビリーの顎の下から、 上を向いた。
目が、合った。
一瞬だけ。
右目が燃えた。
隠蔽 Lv.2。
代償が来た。
視界が歪んだ。
ビリーの肘が俺の顎を打った。
吹き飛んだ。
床を転がって、 壁に背中から当たった。
「……っ」
息が詰まった。
《ヒール》を無詠唱で放った。
魔力が、 かなり減っていた。
「何をした!」
ビリーが言った。
隠蔽が消えたから気づいたのか。
俺は立ち上がった。
全身が痛かった。
肩の傷、脇腹の傷、 顎を打たれた痛み。
《ヒール》で抑えてはいるが、 完全には取り切れていない。
魔力がそこまで残っていない。
もう一度。
鑑定阻害も奪わないと 意味がない。
また仕掛けた。
今度は最初から 水の上での戦いを前提にした。
音を使って位置を掴んで、 《索敵》で補完して、
何度も距離を詰めた。
ビリーが剣を振るたびに 体が削られた。
太ももを浅く切られた。
左手の甲を切られた。
《ヒール》を使うたびに 魔力が減った。
それでも、 目を追い続けた。
何度目かの接触で、 ビリーの動きが わずかに鈍った。
持久戦は 向こうも消耗する。
踏み込んだ。
ビリーが後退した。
壁際まで追い込んだ。
ビリーが壁を蹴って 上に逃げようとした。
その一瞬、 顔が正面を向いた。
目が、合った。
右目が燃えた。
鑑定阻害 Lv.1。
代償が来た。
今度は両目の奥まで 焼けるような痛みで、 俺は床に膝をついた。
視界が、ほぼ消えた。
「《ヒール》《ヒール》《ヒール》」
立て続けに無詠唱で放った。
魔力がほとんど底をついた。
視界が、 ぼんやりと戻ってきた。
「また何かしやがったな」
ビリーが着地して言った。
声が、少し変わっていた。
「ただ、お前もそろそろ限界だろう」
正しかった。
魔力がほぼない。
《身体強化》も長く使いすぎた。
体が、鉛みたいに重かった。
「終わりにしよう」
ビリーが剣を構えた。
「苦しめるつもりはない。 腕のある子供だった」
俺は短剣を握り直した。
手が震えていた。
その瞬間、
通路の奥から、 地響きがした。
床が、揺れた。
ビリーが反応した。
俺も振り返った。
暗がりの奥から、 でかい何かが来た。
二足歩行。
天井に届く巨体。
牛の頭。
人の体。
ミノタウロスだった。
ビリーが舌打ちをした。
「深層のボスか」
「知らなかったのか」
「このエリアは縄張りが違う。 たまたま来たんだろう」
ミノタウロスが ビリーに向かった。
ビリーが横に跳んだ。
間に合わなかった。
ミノタウロスの巨大な斧が ビリーの左半身を捉えた。
ビリーが吹き飛んだ。
通路の壁に激突して、 崩れ落ちた。
動かなくなった。
俺は鑑定眼を ミノタウロスに向けた。
【深層ミノタウロス Aランク相当】
【スキル:斧術 Lv.5、体力強化 Lv.3、身体強化 Lv.4、突進 Lv.5】
Aランク。
俺の、四つ上。
逃げられるか。
《索敵》で出口を確認した。
ミノタウロスが出口を塞いでいた。
あの巨体が通路を埋めていた。
壁を越えることはできない。
逃げられない。
魔力がほぼない。
体力も限界に近い。
身体強化は使えるが長くは持たない。
詰んでいた。
ミノタウロスが俺を見た。
次の獲物と認識した。
巨大な斧を持ち直した。
俺は考えた。
全力で、考えた。
ビリーが飛ばされた方向を 見た。
壁際に倒れている。
動いていない。
ただ、 《索敵》に、 かすかに引っかかった。
死んでいない。
かろうじて、 生きている。
ミノタウロスが動き出した。
突進が来る前に、 俺は横に跳んだ。
ミノタウロスが通り過ぎた。
壁に激突した。
石が砕けた。
その隙に、 ビリーのところへ走った。
近づいて、 見た。
上半身だけが かろうじて形を保っていた。
下半身が、 おかしい方向を向いていた。
息が、あった。
かすかに、 胸が動いていた。
目が、開いていた。
焦点が合っていなかった。
それでも、 開いていた。
俺はビリーの目を見た。
「……お前、まだ」
ビリーが声にならない声で言った。
「借りるぞ」
右目が燃えた。
暗殺術 Lv.3。
代償が来た。
今まで感じたことのない、 深い痛みだった。
Lv.3の代償は、 それまでとは格が違った。
視界が完全に消えた。
声が、出そうになった。
「《ヒール》《ヒール》」
絞り出すように無詠唱で放った。
最後の魔力を使った。
視界が、 ぎりぎり戻った。
頭の中に、 暗殺術の知識が流れ込んできた。
急所の位置。
死角からの接近方法。
毒の調合と使い方。
隠密との組み合わせ方。
ビリーの腰の革袋を開けた。
小瓶が何本かあった。
暗殺術の知識が、 それが何か教えてくれた。
麻痺毒。
神経毒。
接触型。
一本取った。
ミノタウロスが向き直った。
また突進が来る。
俺は《隠密》を使った。
暗殺術と組み合わせた。
ただ気配を消すだけではなく、 気配の質まで変えるような、 そういう隠れ方を
体が勝手にやった。
ミノタウロスが止まった。
俺がどこにいるか分からなくなった。
壁際を走った。
音を消した。
ミノタウロスの背後に回った。
巨体の背中に張り付いた。
毒瓶の蓋を開けた。
ミノタウロスの首の付け根、 皮膚が薄い部分を 暗殺術の知識が示していた。
短剣に毒を塗って、 刺した。
ミノタウロスが吠えた。
巨大な腕が 背後を払った。
俺は飛ばされた。
床を転がってぎりぎり壁を避けた。
ミノタウロスが向き直った。
俺を見た。
目が合った。
右目が燃えた。
身体強化 Lv.4。
斧術 Lv.5。
代償が二つ分来た。
視界が白くなった。
「《ヒール》」
魔力が、 もう本当になかった。
出てこなかった。
視界が消えかけた。
ミノタウロスが また動き出した。
毒が回るまで、 あと少し時間がかかる。
《身体強化 Lv.4》を使った。
体に、火が入るような感覚があった。
Lv.3とは全然違う。
体が、動いた。
目が見えなくてもよかった。
《索敵》がある。
ミノタウロスの位置が気配で分かった。
斧が振り下ろされた。
《斧術》の知識が、 次の軌道を示した。
右に跳んだ。
ぎりぎり避けた。
風圧が顔を打った。
毒が回れ。
そう念じながら、 距離を保って動き続けた。
ミノタウロスの動きが、 少しずつ鈍くなった。
足がもつれ始めた。
呼吸が荒くなった。
膝をついた。
俺は短剣を構えて近づいた。
ミノタウロスが 最後の力で斧を振った。
全く勢いがなかった。
体を低くして腕の下を潜った。
ミノタウロスの首に 短剣を当てた。
皮膚が厚かった。
《身体強化 Lv.4》を全部使って押し込んだ。
ミノタウロスが倒れた。
地響きがした。
床が揺れた。
静かになった。
俺は床にへたり込んだ。
立っていられなかった。
全身が痛かった。
魔力はゼロだった。
右目が、 灼けるように痛んだ。
しばらく、 何も考えられなかった。
ゆっくりと呼吸した。
一回。
また一回。
ビリーの方を見た。
壁際に倒れたまま、 動いていなかった。
《索敵》にはもう引っかからなかった。
死んだ。
ミノタウロスに やられたときかそれとも今か。
俺は立ち上がった。
足がふらついた。
壁に手をついて出口に向かって歩いた。
一歩ずつ。
ゆっくり。
それしかできなかった。
出口の光が見えた。
外の空気が入ってきた。
出た。
外は昼だった。
光が眩しかった。
「カイ!」
セナが走ってきた。
リリィが後ろにいた。
帽子の鍔を上げて俺を見た。
その顔が一瞬だけ歪んだ。
「何があった」
リリィが言った。
「いろいろ」
「いろいろって顔じゃない」
「生きてる。それで十分だ」
セナが俺の服を見た。
切り傷が何本もあった。
血が滲んでいた。
「……ひどい」
「動ける」
「動けるって顔でもない」
俺はその場に座り込んだ。
膝が勝手に折れた。
「休む」
「当たり前でしょ」
セナが隣に座った。
リリィが前に立って周囲を確認した。
しばらく誰も喋らなかった。
風が通路の入り口から吹いてきた。
「あの男は」
リリィが聞いた。
「死んだ」
「お前が殺したのか」
「ミノタウロスが先にやった」
沈黙があった。
「ミノタウロスと戦ったのか」
「戦わざるを得なかった」
「……よく生きてたな」
「俺もそう思う」
セナが俺の手を見た。
左手の甲の切り傷を そっと触った。
「《ヒール》かけてあげたい」
「白魔法は持ってない」
「分かってる。 ただ、かけてあげたかっただけ」
俺は何も言わなかった。
リリィが帽子の鍔を下げた。
「帰ろう」
「そうだな」
「歩けるか」
「歩く」
「無理なら肩を貸す」
俺は立ち上がった。
ふらついた。
リリィが素早く横に来て 肩を差し出した。
「借りるぞ」
「好きにしろ」
三人で、 王都への道を歩き始めた。
頭の中に、 今日奪ったスキルが並んでいた。
隠蔽 Lv.2。 鑑定阻害 Lv.1。 暗殺術 Lv.3。 身体強化 Lv.4。 斧術 Lv.5。
高い代償だった。
全身の傷と、 右目の痛みと、 空っぽの魔力。
それでも、 生きていた。
生きているなら、 続けられる。
前を向いた。
王都の空が、 午後の光に染まっていた。
第三章、了。
スキル一覧
カイ
【強奪 身体強化Lv.4 投擲 鑑定眼 白魔法Lv.1 赤魔法Lv.2 詠唱破棄 青魔法Lv.2 隠密Lv.2 索敵Lv.2 夜目 毒耐性Lv.3 麻痺耐性Lv.2 隠蔽Lv.2 鑑定阻害Lv.1 暗殺術Lv.3 斧術Lv.5 体力強化Lv.3 突進Lv.5】
リリィ
【青魔法Lv.2 水感知】
使える魔法は《水流》《ウォーターランス》。
セナ
【シーフ 隠密Lv.2】
シーフスキルの複合効果で 索敵・解錠・罠察知も使える。
読んでくれてありがとうございます。
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次話もよろしくお願いします。




