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役者たちは踊る

 アルヴァン様が夜会にシルフィーナ・ゴルドをパートナーとして連れて行っている。―――その事実を私が知ったのは、わりと早い時期だったかもしれない。

 社交界には、そういった格好のゴシップを親切ぶって教えてくれる人には事欠かないのだから。


 なぜ。なぜ。どうして。


 あの日まで、私たちは……私は幸せだったのに。

 政略結婚ではあるけれど、私はアルヴァン様を愛していたし、アルヴァン様も同じ気持ちなのだと信じていた。だから幸せになれるのだと思って、希望に満ち溢れていたのに……


 でもアルヴァン様の気持ちは……


 もしも……

 もしもそうだったとしても、私たちが結婚することに変わりはないはず。


 結婚すれば、アルヴァン様は私を大事にしてくれるんじゃないかしら……?


 そうよ。

 今はちょっと目移りしているだけで、きっと一緒に暮らしていれば、私の元へ戻って来てくださるに決まっているわ。

 それに子供ができれば……


 そうよ。

 きっと、今だけ。

 今だけなんだから……


 けれども、そんな私の願いは、あっけなく壊されてしまった。




 その夜会はヘンドリック公爵家主催の物だった。

 私はあの時と同じようにヘレナに支度をしてもらって、アルヴァン様と一緒に公爵家へ向かった。

 変わったのは……アルヴァン様の気持ちだけ。


 不意に訪れた胸の痛みに、そっと手を当てる。


 こうして側にいるのに。

 婚約しているのは私なのに。

 それなのに、こんなにもアルヴァン様の気持ちが遠い……


「どうした?具合でも悪いのか?」


 胸に手を当ててうつむく私に、アルヴァン様は優しく声をかけてきた。


 そう。アルヴァン様は変わらずに優しい。優しいけれど、その瞳にはシルフィーナ・ゴルドを見るような熱は籠っていない。私に対しても、親友であるオスカー様に対しても、その瞳の色を変える事はない。

 ただ一人。シルフィーナ様だけに、情熱を湛えた眼差しを送っているのだ。


 そして私はその事に気がついているのを隠している。アルヴァン様が、シルフィーナ嬢は友人のトーマス・グレイ卿の想い人で、彼に頼まれて夜会でエスコートをしているのだと嘘をついても、それを信じたふりをしている。


 だって……騙されたふりをしていれば、こうして隣にいる事ができるもの。もしアルヴァン様の想いをはっきり聞いたなら……私はどうすればいいんだろう。捨てないで、愛しているの、と追いすがればいいんだろうか。それとも……


「いいえ、何でもありません……」

「そうか。ならば良いが」


 そう言ったきり、馬車の外に目を向けるアルヴァン様の横顔を……私はただ、黙って見つめているより他はなかった。





 アルヴァン様に伴われて行く夜会には、今までシルフィーナ様の姿はなかった。偶然なのか、それともそう申し合わせているのか。私には分からなかったけれど、会わなくて済むならそれでも良かった。

 でもその夜の夜会にはシルフィーナ様も参加していた。

 あの日のように、ひっそりと参加しているのではなく、堂々と煌びやかなシャンデリアの下で華麗なステップを踏んでいた。


 アルヴァン様の視線が囚われる。

 わずかに顰められた眉は……シルフィーナ様の手を取るトーマス様への嫉妬だろうか。


 ズキンと胸が痛む。呼吸ができないほどの痛みに唇を噛む。


 なぜ。どうして。

 どうしてその眼差しの先にいるのが私ではないの。

 どうしてそんな目で他の人を見るの。


 アルヴァン様、私を見て。

 私なら、貴方だけしか見ない。そんな風に嫉妬させるようなふしだらな事なんてしない。あなただけ。あなただけを愛するから、どうか、振り向いて。


 でも、その瞳が私を見つめる事はなかった。


 私は痛む胸を誤魔化しながら、明るい声を作った。


「アルヴァン様、私たちも踊りませんか?」


 無邪気に。何も知らないメリーベルを装って。


 本当はとっくに無邪気なメリーベルなんていないのに。

 だって知ってしまった。こんなに辛い想いを。

 もう……何も知らない子供のままでなんて、いられない。


「そうだな。踊ろうか、メリーベル」

「はい。アルヴァン様」


 そうして身を寄せ合ってダンスを踊る。

 くるくるくるくる。

 ターンの度に、見上げるアルヴァン様の視線がさまよう。

 くるくるくるくる。

 ステップを踏むとその視線が私にはないのが分かる。


 それでも……

 それでも今だけは、私がアルヴァン様を独占している事に変わりはなかった。


 けれどそんな幸せな時間はすぐに過ぎていってしまう。私と踊ったアルヴァン様は、さすがにシルフィーナ様にダンスは申し込まなかったけれど、トーマス様と話があると言って、彼女の元へ行ってしまった。


 取り残された私は、ヒソヒソと囁く声に耐えながら、ポツンと立ちすくむしかない。

 デビューしたばかりの私には、親しく話をする友人もいないのだ。


 こんな事ならお父様と一緒に夜会へ来るべきだったのかもしれない。お父様なら、少なくとも同じ伯爵家の令嬢を私に紹介してくれた事だろう。

 でも、そうすると、アルヴァン様のエスコートは受けられない。


 もし……

 もし、お父様と参加した夜会に、アルヴァン様がシルフィーナ様と一緒に参加していたらどうしようかと。会場で鉢合わせをしたらどうしようかと、そんな事ばかり考えて、アルヴァン様のエスコートでしか夜会に参加しなかったツケが、こんなところで出てしまったのかもしれない。


「あなた、このままでよろしいの?」


 遠巻きにされていた私に近づいてきたのは、マリエル様とその取り巻きの令嬢方だった。


「このままで……とは?」

「御覧なさいな、あの女を。あのように婚約者のいる方も構わずにはべらせて、はしたないと思いません事?」


 マリエル様が憎々しげにシルフィーナ様を見る。その視線の先に、オスカー様が見えた。何かをアルヴァン様にささやき、そのまま立ち止まっている。


 まさか、オスカー様まであの人を……?

 でもマリエル様の態度を見ると、そうとしか思えなかった。


 そんなに魅力的なのだろうか。

 婚約者がいてもなお、ああして近くにいたいと思うほどに。


 それとも……家同士の結びつきでしかない婚約者など、どうでもいいと思っているの……?


 分からない。私には分からない。

 直接聞けばいいのかもしれないけど、それを聞いてしまったら全てが終わってしまいそうで、怖くて聞けない。


 どうして、どうして、どうして。


 何度も心の中で繰り返して、人知れず涙をこぼす。

 胸が痛い。苦しい。


 なぜアルヴァン様は私を見てくださらないの。


「ねえ、思い知らせてやりたいとは思いません事?」


 マリエル様が私に耳元で毒を吐く。甘い、危険な毒を。


「少しだけ貴族のしきたりを教えてあげれば、あの女も身の程を知るのではなくて?」


 そのささやきは……今の私には抗いがたい魅力を持っていた。


 だけど……そんな事をしても、アルヴァン様の心が取り戻せるとは思えない。むしろ、そんな事をしてそれを知られてしなったら、きっともう取り返しがつかなくなる。


 それが分かるくらいには、私はアルヴァン様とずっと一緒にいたのだもの。

 だから……


「いいえ。私はここでアルヴァン様のお戻りをお待ちしております。マリエル様のお話は聞かなかった事にいたしますわ」

「……そう。いいわ、せっかく可哀想に思って声をかけてあげたのに。後になって後悔しても知らなくてよ」


 マリエル様はそう言ってドレスを翻した。取り巻きの令嬢たちが、慌ててその後を追う。


 そして私は、またポツンと壁の花となった。



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