第38話 濁流
「白さん、カメラのループを固定して! 維持時間は三分!」
周の鋭い指示が響くのと同時に、白がワイヤレス・インジェクションツールをハッチの環境センサーへと指向させた。ポートを叩く前の、局所的な近接スプーフィング。
豪雨の霧のなか、林とアヤ、そしてモジュールを抱えた白と陸を含めた五人は、トラックの荷台から滑り出て、コンクリートで偽装された『西の心臓』の地下保守用ハッチへと肉薄した。周が持ち込んだL字型バールを物理キーの隙間に抉じ開け、力ずくで錆びついた手動ハッチの金属ロックを引き剥がす。カチャリと重厚な物理音が響き、五人は要塞の内部へと滑り込んだ。
ハッチが閉じた瞬間、彼らを迎えたのは、スマート都市の象徴であるはずのデータセンターの、崩壊が進みつつある光景だった。
通路の天井に敷設された統合ステータスパネルは、瑞々しい『正常』を灯し、世界に対して何のエラーもなしと叫び続けていた。しかし、彼らの足元には、慢性的に発生している線状降水帯による氾濫で逆流した冷却水が、すでに足首まで浸かる濁流となって押し寄せていたのだ。さらに、廊下の奥からは、過熱した高圧配電盤がショートを起こして放った、電気火災特有の激しい火花と、喉を焼くような黒い化学煙が不気味に這い出してきていた。
中枢AIは他国プログラムの時間の歪みの計算補正に忙殺しており、施設の水没と火災という現実のエラーを完全に「ノイズ」として自動検閲(隠蔽)していた。画面のなかだけが完璧な無菌室のままで、現実の肉体は壊死していく、完璧な仕様の狂気。
「……見てごらんなさい。これが奴らの言う『完璧な数治社会』の正体ですよ」
周は濁流に浸かりながら、迫り来る黒い煙を遮るように防水ジャケットの襟を口元へ当て、シニカルな目をパネルへ向けた。
「画面が緑(正常)を叫んでいれば、現場でどれだけ水が溢れ、火が噴いていても『存在しない日常』になる。……陸さん、白さん、林くん、アヤちゃん。この先の通路の突き当たりが、基準時計の物理コアへ繋がる手前の、馬主任のいる中央管制室だ。奴らの目を完全に欺いている間に、あの檻のネジを、根こそぎ剥がしにいきますよ!」
林は、煙のなからかすかに響いてくる、浸水してショートしかけたマザーボードの基盤がミリ秒単位で発している、最後の電子の断末魔をその耳で捉えていた。画面上の虚構と、崩壊していく施設の圧倒的な事実。林は激しい鼓動を抑えながら、周の背中を追い、濁流を蹴立てて中央管制室の分厚い耐火扉へと肉薄していくのだった。




