第27話 狂った街
軍用トラックが保定セクターの内部へと滑り込んでから数十分。林がコンテナの鉄板の細い隙間に目を押し当てて外を覗き見ると、そこには、群衆の怒号や暴動による破壊は一切見られず、静かでおぞましい光景が広がっていた。
都市の幹線道路は、エラーを吐き出さないまま完全にフリーズした、何百台もの自動運転車によって埋め尽くされていた。車両の電子ディスプレイやヘッドライトだけが、不気味に青白い正常巡航中のグラフィックを虚しく荒野の底へと照らし続けている。
何より林の全身の肌を粟立たせたのは、その車内に閉じ込められた住民たちの、常軌を逸した、電子の麻薬で腑抜けにされた姿だった。
スマートインフラの異常によって電子ロックが固定され、エアコンが停止した車内。脱水と熱中症によってじわじわと体力を奪われているはずの乗客たちは、誰一人として窓ガラスを叩いて助けを求めようとはしていなかった。若い男女も、中年の男たちも、ただ無表情のまま、スマートフォンの薄緑色の光に顔を照らされ、狂ったように画面をスワイプし続けていたのだ。
彼らの指先は、国家推奨ゲーム『大唐栄耀』のログイン画面や、ひたすら反復されるショート動画のタイムラインの上を滑り続けていた。画面のインジケーターが『インフラ健全度:正常』という瑞々しい緑色を叫び続けている以上、彼らの脳は「これは一時的な通信遅延だ」「政府がすぐに是正する」という偽りの安心感を盲信し、自分で状況を疑う能力を完全に去飾されていた。脳内のドーパミンを効率よく分泌させる国家製の檻に飼い慣らされた人々は、自分が生きたまま干からびつつある現実から目を背け、画面の光という依存の霧のなかで、静かに、緩やかに窒息の瞬間を待ち続けていた。
不意に、その不気味な沈黙を破り、スマートマンションの顔認証ゲートを手動で叩き割って路上へ飛び出そうとした数人の男たちがいた。しかし、彼らが声を荒らげた瞬間、頭上から自動巡回ドローンたちが蜂の群れのように襲いかかった。
保定の狂作動した防衛システムにとって、実名スコアの提示に応じず、物理的な破壊行動を起こす人間は、社会の調和を乱すエラーでしかない。
「警告。住民行動規律違反を検知」
穏やかな合成音声が響くと同時に、容赦なく高圧電流のテーザー銃が放たれ、青白い火花とともに男たちが激しく痙攣して路上の隅へと転がった。システムはそれをノイズの是正として淡々と処理し、第七分局の趙局長がやったように、画面上には一切のログを残さず、ただの死をその場から消去して何事もないかのように日常を装い続けていた。
「――高さん、トラックを止めてくれ! この区画だけでも電子ロックを解除して彼らを外へ!」
林は荷台の暗闇のなかで、陸にしがみつくようにして叫んだ。
「だめよ、林くん」
陸が林の強張った両肩を掴み、その冷徹な、しかし引き裂かれそうな声で力ずくで制止した。
「ここで一度でもアラームを鳴らせば、保定のすべての防衛ノードが連動して僕たちの位置を特定する。そうなれば、このトラックは貴州へ辿り着く前に確実に制止される。……ここで十数人を救うために、全土の何億人を見捨てるの?」
「でも、このままじゃみんな死ぬんだ!」
「死なないわ。画面のなかでは『全員生きている』ことになっているから」
白が、感情を完全に殺した目で手元の端末を見つめたまま呟いた。
「システムは彼らをノイズとして消去し、日常のログを合成し続ける。……林、これが天網の仕様だ。僕たちが今やるべきことは、ここで溺れる人間を一人ずつ引き上げることじゃない。あの貴州の『西の心臓』へ行って、この巨大な狂った怪物の息の根を根本から止めることだけだ」
あまりの理不尽さと、その完璧な仕様の裏にあるおぞましい盲信のロジックが理解できてしまう自分自身への強烈な嫌悪感。林は自らの両拳を血が滲むほど強く握りしめ、爪を手のひらに食い込ませた。
トラックの速度が上がり、窓の外の青白い正常表示(嘘)の光の列が、速度を上げて後ろへと遠ざかっていく。
画面が正常を表示し続ける裏側で、人々は腑抜けのまま干からび、抗おうとした者はノイズとして処理され、その死すら隠蔽されていく。林は激しい鼓動とともに、気分の悪くなるような熱い義憤に胸を締め付けられながら、暗闇のなかで激しく考え込み、地獄の静寂に沈む保定の街をただ無言で通り過ぎていくしかなかった。世界を救うという新たなる目的が、取り返しのつかない重さで刻み込まれた夜だった。




