第3話 遮断
地下四階の混沌から逃れ、エレベーターも動かない中、非常階段を必死に駆け上がった林は、第七分局の最上階にある「分局長室」の前へと辿り着いた。
「分局長! 下の階が……第三十四監視室の王室長たちがドローンに!」
林は全面液晶ガラスに囲まれた部屋の重厚な扉を体で押し開き、息を切らせて滑り込んだ。彼の背後の廊下からは、同期を失ったサーバーラックが発するキィィィンという不気味な高周波の金属摩擦音が、下の階のパニックをそのまま伝えてきていた。
だが、分局長室の内部もまた、すでに冷たいパニックに包まれていた。
「報告しろ! なぜ全土のメインフレームとの同期セッションがホールドされているんだ!?」
超エリートの趙分局長はデスクの前に立ち尽くしたまま、手元の管理モニターを血走った目で叩き続けていた。画面には、何のアラームも鳴らないまま、通信ステータスが滑らかにフェードアウトしていく空白のレイアウトだけが残されている。
「お前はどこの所属だ! 許可なく最上階へ駆け上がって何を勝手に喚いている!」
林が命からがら持ち帰った地下の事実に対し、趙分局長の取り巻きたちが睨みつけ、ヒステリックな罵倒を浴びせた。
「王室長がドローンに襲われただと? そんなわけないだろうが! 妄想も大概にしろ! 統合ダッシュボードのログには『不審なエラーなし』と表示されている。画面が正常と言っている以上、下の階で起きているのはただの機材の誤作動か、局所的な通信遅延だ。どこの馬の骨か知らんが、でたらめな嘘を並べて実名制の信用スコアをドブに捨て、処刑されたいのか!?」
システムが映し出す数字を盲信するエリートの、現実を認めようとしない喚き声。そのデスクの脇、床の点検ハッチを開けて落雷対策用の物理バイパス回路に潜り込んでいた男が、ヨレヨレの作業着の袖で額の脂汗を拭いながら、基盤の端子を覗き込んで工具を引いた。
「分局長。彼の言う通りかもしれませんよ。今起きているのは、単なる機材の故障じゃあない気がします。」
周の、いつになく低く乾いた声が、室内のノイズを冷酷に切り裂いた。
「さっき、山あいの第十四中継鉄塔の給電線に、大型の野生渡り鳥の群れが激突して物理的な高電圧ショート(アーク放電)が起きた。それは事実です。……ですが、本当の破綻も一緒にやってきた。光ファイバーのマルチプレクサがそのアーク放電のスパイク電流で一瞬ダメージを受けた、その数ミリ秒の隙間に、我が国の正規の暗号署名を逆流する形で、外部からの未知の自律型プログラムがカーネル最下層へ寄生を仕掛けてきている可能性がある」
「ハッキング……だと?」趙分局長の顔が青ざめた。
「ええ。奴らは防壁の仕様の穴を完全に突き、時間のタイムスタンプを内側から緩めながら、僕たちの天網を狂わせようとしている。……局長、今すぐこのセクターの物理有線回線を完全に焼き切って、中央室とも他国の回線とも、すべてを強制切断しなければ、昌平全体がやられるかもしれません!」
周先輩は言うやいなや、趙分局長が止める間もなく、壁の非常用レバーを独断で力任せに引き落とした。
ガチリ、とガリウム合金の物理リレーが強制ショートし、分局内のすべての電波がホワイトアウトして完全な「空間遮断」が展開された。一瞬にして館内の電子ノイズが和らぎ、廊下でホバリングしていたドローンたちが、通信を失って床へと力なく落下・フリーズした。とりあえず、物理的な処置は成功したのだ。
しかし、椅子の背にもたれかかった趙分局長の手は、ガタガタと恐怖で震え続けていた。
現代のデジタル官僚制(数治)において、上層部への報告は「システムの健全度百パーセント」が絶対の正義だった。もしここで、周の指摘通り「物理ショートに乗じた、他国プログラムによるハッキングとシステムの部分的失明を許した」などと正直に中央へ報告すれば、国家指導部からの信用スコアは一瞬で下限を割り、自らの管理能力の欠如による反逆罪として、趙分局長とその一族の政治的生命は一瞬で失脚(粛清)される。
電波が遮断された沈黙の部屋で、趙分局長は血走った目で手元のローカルコンソールを見つめながら、この未曾有の事態をどうやって誤魔化すか、冷酷に思案を巡らせ始めた。
「……いや、これは不可抗力の天災だ。中継鉄塔の事故にすべての原因をなすりつける」
趙分局長は、自らの政績を守るための言い訳のプロットを脳内でデッチ上げ、冷たい笑みを浮かべた。
「中央への緊急報告書にはこう書く。『華北山岳地帯における突発的な地滑り、および局所的な落レーパルスに伴う、第十四中継鉄塔の物理損壊』。現在、自動同期プロトコルにより是正中であり、都市の健全度および信用スコアの管理インフラは完全に正常に維持されている、と。これから報告書をつくるぞ、昌平セクターの『正常』を維持するんだ」
画面の嘘を維持するために、さらなる隠蔽の底へと踏み込んでいくエリートの傲慢。回線が復旧し、天網のダッシュボードが再び瑞々しい緑色を灯したその裏側で、一度開けられた仕様の隙間から走って這い戻ってきた他国プログラムの論理的な寄生は、誰の目にも触れないまま、この都市の最下層へと、さらに深く、滑らかに浸透を拡大し始めていた。




