第25話 狂作動の関門
給油を終えた軍用トラックの荷台は、再びディーゼルエンジンの振動と、暗黒に包まれていた。
トラックは都市の幹線道路を避け、天網の網の目が届かない未舗装の旧道を南西へと下り続けていた。だが、昌平セクターを離れて二時間が経過した頃、車外の空気は、それまでとは明らかに異なる不気味な性質を帯び始め、荷台の鉄板を通じて林たちの肌へと直接伝わってきた。
音が、消えていた。
深夜の遠くから響くはずの物流シャトルの高周波音も、スマートインフラが発する電子の唸りも、何一つ聴こえてこない。ただの夜の静けさではない。まるで物理的な空間そのものが、エラーコードを一切吐き出さないまま窒息し、その場で強引に「凍結」されているかのような、異様な完全沈黙だった。
「……保定セクターの防衛境界線が近い。ナビに表示されている信号ステータスは、すべて瑞々しい緑のままだ。なのに、現地のセンサーは一台も応答を返してこない」
陸の声が、パームトップ端末の鈍い緑色の光のなかで低く響いた。
彼女の目の前の画面には、先ほど太平洋を越えてジェイソンから届いた、天網中枢の「処理の空白時間」に関する精密な構造データが展開されていた。
「ジェイソンの解析によると、他国プログラムが仕掛けた歪みのせいで、我が国の自律型防衛システムは『自分たちの時計が狂っている』とは夢にも思っていない。ただ、中央からの暗号署名の到着がミリ秒単位で予定とズレ続けているのを、システム自身が『外部からの侵入、あるいは論理的なバグ(ノイズ)』と判定し続けているんだ。その結果、防衛AIはエラーフラグを一枚も立てないまま、マニュアルにある最も過激な『完全閉鎖モード』へと狂作動を遂げている」
陸は、昌平で使用したモジュールのソースコードを開き、ジェイソンの逆算データをベースにして作成したリアルタイムパッチの流し込みを開始した。
「今の暗号鍵のままでこの関門に近づけば、自動巡回ドローンや無人治安維持車両(UGV)の多層防衛線に『不審なエラー』として即座に肉体ごと鎮圧される。防衛システムが、中央の署名を辻褄合わせしようと過負荷でフリーズするタイミングは、時間の歪みに連動して常にランダムに変調し続けている。だから、その変調のアルゴリズムを相殺するための位相の同期を、今ここで、このモジュールに直接焼き付けなければならない」
林は、陸の手元で書き換えられていく複雑なコマンドコンソールを眺めて、感覚的に浮かんでくる幾何学的パルスの波形をじっと凝視していた。
画面の向こう側の論理的な継ぎ目を直感的に見抜く彼の脳は、陸が適用していくパッチの構造が、保定セクターを塞ぐ怪物のネジを外すための「正しい鍵の形」へと変化していくプロセスを、納得感し理解し始めていた。
ズズン、とトラックが短くブレーキを踏み、その場で完全に停止した。
スライド窓から高の低く緊迫した声が届く。
「これ以上は近づけない。百メートル先が保定の第一チェックポイントだ。……おい、あそこを見てみろ。完全にいかれてるぞ」
林が荷台の鉄板の細い隙間に目を押し当て、前方の闇を覗き込んだ瞬間、喉の奥が乾くのを感じた。
境界関門を塞ぐ重厚な電子ゲートのインジケーターは、遠目にもはっきりと分かるほど鮮やかな『緑(正常)』を灯し、世界に対して異常なしを叫び続けていた。しかし、そのゲートの手前では、中央との時間のズレによって論理矛盾を起こした最新の無人治安維持車両(UGV)の群れが、消灯したまま不気味な幾何学的陣形を組んで関門を完全封鎖しており、頭上では、無色(消灯)のまま音もなく不気味な徘徊ルートを回る自動巡回ドローンたちが、いつでもテーザー銃を放てるホバリング状態で漆黒の空間を威圧していた。
画面上の嘘の正常と、現実の物理的な完全封鎖。
狂作動を起こした保定の網の目の最前線を前にして、アヤが林の横でそっと耳を澄まし、陸は書き換えたばかりのデバイスの最終トグルスイッチを引き上げた。




