第16話 デジタルデトックス
白の懇願を受けて今後の対応を相談する周と別れ、電波遮断シールドに囲まれた窓のないコンクリートの小部屋に案内され、床の古い毛布に腰を下ろしたその瞬間、林の肉体はついに完全な臨界点を迎え、劇的な発作が始まった。
ガタガタと全身の骨が鳴り響くほどの、激しい悪寒。二十数年間、毎日、毎時間、数秒単位で脳の側坐核を刺激し続けていた国家製ゲームの超高頻度パルスやショート動画の残効。それがこの完全に隔離された空間で物理的に断絶されたことで、彼の自律神経は致命的なクラッシュを引き起こしていた。
(右の太ももが、燃えるように震えている――)
林は狂ったように自らの右太ももを殴りつけ、床に爪が剥がれるほど指を擦りつけた。スマートフォンを格納していたその部位の皮膚が、まるで数千ボルトの電圧で振動し続けているかのような、凶悪なファントム・バイブレーション(幻触)の往復ビンタだった。脳が物質的な飢餓に耐えかねて、存在しない『通知』の電気シグナルを物理的な神経パルスとして内側からデッチ上げているのだ。
耳の奥では、アプリの快音が超高音の金属摩擦音に化けて「キィィィン」と大音量で鳴り響き、目を閉じれば、網膜の裏側に青白いパズルグリッドが強烈な残像となってチカチカと明滅し、脳を内側から締め上げる。
「はぁ……はぁ……くそ、何か、画面を……文字を、見せてくれ……!」
林は脂汗と涙で顔を濡らし、壁のコンクリートに額を激しく打ち付けた。画面が与えてくれる偽りの達成感と安心感がなければ、自分が今どこにいて、自分が誰であるのかすら自己融解していくような強烈なパニックが、彼の喉を締め上げていた。
その時、黒い瞳の少女が音もなく現れた。
「自分の中を見つめて。頭の外にあるまやかしを追おうとすればするほど、内側から食い尽くされる」
少女の声は低く、そして驚くほど冷徹だった。
そして彼女は林の胸の中央、胸骨のちょうど真上のツボである『膻中』を、細い指先で強く、痛いほどに圧迫した。突如として胸の奥へと走る強烈な物理的鈍痛が、暴走していた林の過呼吸を一瞬だけ強制的に停止させた。
「……君は、誰だ……」
「アヤ」
少女は短く、自らの名前を告げた。
「アヤ(阿雅)。君のデータの上には、最初から存在しない人間。……胡座を組んで、背骨をまっすぐに立てて、呼吸だけを数えて」
アヤは林の強張った両肩を掴み、力ずくでコンクリートの床の上に上体を起こさせ、足を組ませた。それは、彼女たち非登録者が街から漏れ出る電磁ノイズや過酷な環境に呑まれないために日常的に行っている、原初的な身体統制の修行の始まりだった。
「目を閉じて、外の世界を完全にシャットダウンする。そして、息を吐く。口を細く開けて、体の中の熱い毒をすべて吐き出し切るように、十秒かけて、長く、長く、吐き出し切るの」
林は強烈な吐き気に耐えながら、アヤの冷たい手の感触を唯一の錨にして、指示通りに肺の空気をすべて絞り出そうとした。
「吐ききったら、次は鼻から、四秒かけて静かに吸う。お腹の底に冷たい物理的な空気が溜まるのを感じて。それを、頭の中で『一』と数える。外の幻じゃなくて、その『一』の数字の質量だけを、自分の真ん中に置くの」
吸って、吐く。呼吸の秒数を正確に数え、自らの肉体の物理的な挙動へと意識を強制的に束縛する。
しかし、最初の「一」を数えた瞬間、右太ももに再び強烈な振動が走り、耳の奥で偽のアラーム音が鳴り響いた。脳の報酬系回路が狂ったように暴れ、意識が何度も外側の残像へと引き剥がされそうになる。
「意識が外の幻に引っ張られたら、それをただ『ノイズが流れた』と頭の中でラベルを貼って、そのまま外へ捨てるの。自分の内のバグは、自分で検疫して」
アヤの声に合わせて、林は歯を食いしばりながら、必死に背骨を垂直に立て直そうとした。舌を上顎の裏に軽くつけ、呼吸の出入り――鼻腔を通る気流の冷たさと温かさ――だけにすべての注意を集中させる。それは、画面の向こうの不条理な虚構にハックされていた意識を、生身の肉体の感覚へと力ずくで繋ぎ変えるための、極めて泥臭い反復の始まりだった。
だが、限界まで過熱した林の脳は、数え切れないフラッシュバックの波に洗われ、急速にエネルギーを枯渇させていった。数十分の間、激しい息苦しさと静奏の狭間で必死に調息を繰り返した末、林は突如として糸が切れたようにその場に崩れ落ち、冷たい毛布の上へと突っ伏して、深い、泥のような意識の闇の中へと眠り込んでいった。




