第12話 マスタークロック
メリーランド州・フォートミードのサイバー作戦センター。メインコンソールの前で、主席開発技師のウォルターが必死に絞り出したパッチ構築のコマンドは、全米の中継ルーターへ向けて一斉配信されていた。しかしアメリカ全土は、エラーコードを一通も吐き出さないまま沈没し始めていた。
全米のスマート電力網は、商用の効率化のために時間が中央と一律に自動同期されていることを前提としてシステムが組まれていた。そのため、ウォルターが放った緊急パッチは、インフラ側のシステム自身によって「中央命令との不一致(異常なノイズ)」と判定され、自動でドロップされ続けていたのだ。
システムは、自分が狂っていることに最後まで気づけない。
ニューヨークのウォール街では、自らのタイムスタンプと相手方サーバーの時間にわずか一ミリ秒の矛盾を検知したアルゴリズムが、自動パニック停止を起こして大混乱に陥っていた。ハブ空港の航空管制や東海岸の港湾の無人コンテナ群も、予定されたタイムスケジュールとの数ミリ秒のズレによって処理ループを起こし、物理的にその場で沈黙。迫り来るハリケーンの避難指示すら住民のスマートフォンに届かないまま、ワシントンやニューヨークの金融街は、白昼堂々、音もなく機能不全へと渋滞し始めていた。
同じ時刻、そこから三千キロメートル以上離れたカリフォルニア州・シリコンバレーの、薄暗いガレージの片隅。
ヨレヨレの黒いパーカーのフードを深く被った男――ジェイソンは、椅子の背にもたれかかったまま、テレビから流れる全米のインフラ麻痺を伝える緊急ニュースの映像を、冷めた目で見つめていた。
彼は軍の極秘依頼を受け、ただ自らの知的好奇心と技術的探求心のままに今回の自律型プログラムの核心コードを開発し、すでに数ヶ月前に売り渡して手離れを済ませていた外部プログラマーだった。契約は終わり、コードは軍の独善によって制御不能な兵器へと変わった。画面の中で、信号がすべて『正常』を灯したまま大渋滞を起こしているマンハッタンの空撮映像を見て、ジェイソンは酷く気の抜けた、諦念の混じった呟きを漏らした。
「あー……やっぱりね」
それは、想定していた可能性の一つではあったが、破綻を目の当たりにした感想だった。しかし、彼の眼鏡の奥の虚ろな瞳には、自らの興味のままに解き放ってしまった怪物の質量に対する、救いようのない深い後悔と自責の念が沈んでいた。
システムは仕様の完全性を盲信するあまり、自らのネジが緩んでいることに最後まで気づけない。どこから仕掛けられたかという証拠も残らないまま、自らが組んだコードのきしみが世界を終わらせていく現実を前に、ジェイソンは自室のコンソールをただ無言で見つめ返すことしかできなかった。




