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第四話 夜に潜む血の怪物


 人間に紛れ、夜の街を歩いていたレイは深く溜息を吐いた。

 痛むほどに強い力で握られた右腕。レイの足を止めさせた人物の顔など、振り返らずともすぐに分かった。


「……まだ何か?」


「何か? じゃねえよ。話の途中だったろ」


 肩越しに視線だけで振り返る。

 そこには額に汗を滲ませ、荒れた呼吸を整える神崎の姿があった。

 時間からして、あの公園からずっと走って来たのだろう。

 肌に伝った汗が見えた。


「あなたの質問には答えたはずです」


「まだ終わっていない」


「俺がそれに付き合う必要はありません」


「ある。黙って従え」


 レイの背中に体を寄せ、神崎は言った。

 背中には銃を突き付けられる感覚があった。

 いくらハンターといえども、人を襲っている吸血鬼が目の前にでもいない限り、人通りのある場所で銃を出してはならない。

 自分の身で銃を隠しつつ、脅しているのだろう。


「なぜ、そこまで俺に執着するんですか」


「お前が吸血鬼で、俺が吸血鬼狩り(ハンター)だからだ。それ以上の理由があるか?」


「吸血鬼なら、誰でも同じように追い回しますか?」


「当然だ」


「そうですか」


 そう言うなりレイは大きく一歩進んで手を伸ばし、ちょうど側を通りかかった女の腕を強く引いた。

 小さな悲鳴を漏らしながら、その女は転がるようにレイの腕の中に収まる。

 それ以上の声が漏れないようにレイの指が女の首に掛かり、呼吸を奪われた女の顔が歪むのが見えた。

 まるで盾にするように、女の体を神崎へと向ける。


「お前、何を……!」


 神崎は目を見開き、険しい表情で真っ直ぐに銃を構えた。胴を狙えば、弾は女の身体まで貫いてしまう。

 銃口は、レイの頭部を捉えていた。

 

 通行人の悲鳴と、慌てて逃げていく足音が響く。銀の銃が狙うもの、それは吸血鬼のみ。

 この世界では、それが常識だった。誰もが銀色の銃を見るなり、駆け出した。

 少しでも早くこの場から逃げ出さなくては、吸血鬼の牙が自分に向くからだ。

 

 だが、神崎だけはその場に留まった。銃の引き金に掛けた指に少しの力が籠る。


「その女性を離せ」


「何故です」


 レイの視線が女の首筋へ落ちたのが見え、神崎の頬に嫌な汗が伝った。

 隙を突かない限り、吸血鬼に銃弾など当たりはしない。

 だが、ここで吸血鬼を仕留めなければ、目の前で人間が一人犠牲になる。

 緊張で呼吸を固くする神崎に、レイは不思議そうな視線を向けた。


「吸血鬼が欲しいなら、これでいいでしょう?」


「……何?」


 神崎がそう問い返した瞬間だった。

 音のない咆哮を上げるように、女が大きく口を開けた。そこから覗く、鋭利な牙。

 赤く染まっていく瞳。それは何度も見てきた、吸血鬼の特徴そのものだった。

 レイの腕の中で暴れた女は、刃物のように伸びた爪でレイの腕を裂き、力が緩んだ一瞬の内にその胸元から飛び退いて唸った。


「どういうつもり! 仲間を売るなんて!」


 牙を剥いた肉食の獣を前にするような圧に、神崎は息を呑む。

 本来、ハンターは二人一組で戦わねばならない。片方が隙を生み出し、片方が仕留める。それが基本だ。

 だが相棒を失った神崎の隣に今いるのは、爪で抉られた傷口が塞がっていく過程を黙って見つめる吸血鬼一人だけだ。

 レイの瞳が、少しだけ不満げに神崎へと向けられた。


「何故、すぐ撃たなかったんです? 折角、差し出してあげたのに」


「お前が、奴は吸血鬼だって説明しなかったんだろうが!」


「匂いで分かるでしょう」


「分かるか!」


 神崎は思わず怒鳴る。

 その銃口の先で、女は怒りに目を見開いていた。だが、不意にその表情が歪む。


「いや、仲間じゃない。仲間なんかじゃない。この匂い——」


 一瞬で、嫌悪と侮蔑を色濃く含んだ眼差しに変わった。


「人間の血が混ざった、汚らわしい匂い……半血風情が、私に触れたな!」


 空気を震わせるようにそう吠えて、女の姿が消えた。次の瞬間、レイの眼前に刃のような鋭利な爪が迫っていた。

 レイが女の腕を掴んで止めていなければ、今頃は目玉を抉っていただろう。

 神崎は女の頭を狙って躊躇なく引き金を引いた。だが、弾が届く頃には、そこに女の姿はなかった。

 レイの腕を振り払い、霧のような残像を残して、離れた場所に女は立っていた。


「殺してやる! お前は八つ裂きにして、隣の人間は干からびるまでその血を——」


 その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 一瞬だけレイが視線を向けたその先から、唐突に銃声が響いた。女の声が途切れ、その身体が大きく揺れる。

 女の頭部を撃ち抜いた弾丸は、そのまま背後の建物の壁を穿つ。

 折れた膝が地面に落ちるよりも早く、その体は灰となって砕けた。

 血の痕跡も、悲鳴も残らず空気に溶けた。色のない灰の山だけが、そこに吸血鬼が存在したことを証明していた。


「よく注意を引いてくれた」


 そう言って建物の影から出てきたのは、男女の二人組だった。

 二人共、神崎と同じ銀の十字架を首から下げ、銀色の銃を握っている。

 男が握っていた長銃の口からは、白く細い煙が立ち上っていた。


「……どうも」


 神崎はそう言葉を返しつつ、ほんの一瞬、視線をレイへと向けた。

 レイは相変わらずの無表情で、二人のハンターを眺めていた。


「無事、吸血鬼を一体仕留めた。先日、この付近で殺された者もそいつの仕業だった可能性がある。報告書はこちらで上げておくから、お前は直帰して構わない。手柄はお前のものにしておく」


 銃を収めながら、男は神崎にそう言った。

 神崎は僅かに頭を下げて答える。

 レイも背を向け歩き出そうとしたが、ハンターの男が呼び止めた。


「お前は待て」


 一歩進んだばかりのレイの足が静かに止まる。


「簡単な検査を受けろ。そう時間は取らせない」


 そう告げる男の隣で、ハンターの女が小さな小箱を開けた。

 中身は液体の入った小瓶と注射器が一本。

 

 神崎が僅かに目を細める。

 それは、ハンターであれば誰もが所持している。

 採取した血液によって、人間と吸血鬼とを判別する薬品だった。

 

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